さまざまな時間とそれぞれの人生
- カテゴリ:日記
- 2011/01/03 03:22:15
昨年のクリスマスの少し前。
東京の新宿と言う街で仕事をした。
関西の探偵さんと合同での調査。
3泊4日での調査となった。
ところが私は、この新宿と言う街が大嫌いなのである。
何が嫌いかと言うと、この人ごみ。
あの雑踏の中にいる自分を想像する。
自分もあの中の一員、いや、あの中の一部だと考えるとがっかりする。
「会社」という看板の下に見出すアイデンティティ。
様々な重圧により抱えるストレスを癒すために、彼らは酒か食、あるいは同種族の人によるサービスに走る。
私とはまるで逆の価値観。
私のストレスを癒してくれるのは、自然の中から得られる感動。
美味しい空気であったり、風景であったり。
時には自然の中にある恐怖や醜さからも、癒しを得る事がある。
もうひとつは、お金などを払わぬとも得られる無償の愛。
時にはそんな「愛」を与える事から癒しは生れる。
とにかく、私が求めるものはこの街には皆無なのである。
そんな街で、私は4日間を過ごした。
一日の仕事が終わり、夜になれば頼りの同士の皆と食事をし、酒を飲む事になる。
その中のリーダー的存在のH氏が誘ってくれた。
「黒木さんに教えてもらったけど、とうとう一緒に行く事が出来なかった店があるんやけど。猫さんも一緒に行かへん?」
昨年亡くなったジャーナリストの黒木昭雄さんと引き合わせてくれたのも、そのH氏だった。
お店は7席しかないカウンターだけ。
狭く薄暗い店内には、ひたすらフラメンコが流れていた。
カウンターの中には、中性的な魅力を持つマスター。
「中性的」な感覚を「魅力」と感じたのは初めてだった。
自然とこの店で、一人グラスを傾ける黒木さんの絵が浮かんだ。
何となく、ここのマスターは自分と同じ匂いがすると感じた。
マスターは気さくに私たちに話をしてくれた。
マスターはバイク乗りだった。
「昔 ね、付き合っていた女性とバイクで旅をしたの。夜中にバイクで山の中を走っていたらね、彼女がおしっこをしたいって言うの。だから藪の中に入ってしてもらったの。そしたね、彼女そのやぶの中でマムシに噛まれちゃったのよ。でも恥ずかしくって言えなかったのね。痛くて苦しくて、ようやく言ってくれたのがそれから1時間経ってから。そして救急車を呼んだけど山の中でしょ?来るのに1時間かかって、病院に行くのに更に1時間。彼女ね、痛みに耐えながらそのま ま死んじゃったのよ・・・。」
マスターは一見客であるはずの私たちに、そんな大切な体験を話してくれた。
「あのね、山の中をバイクで走ってるとね、寒いでしょ。そうするとね、止まって火を焚くのよ。夜空を見るとね、満点の星なの。下を見るとね、墨が燃えてるの。それを交互に見てるとね、ほんの数分だと思っていても夜が明けちゃうのよ。」
あ、わかるわかる、こういう街の中でいる時間と、そんな自然の中にいる時間って、絶対に時間の流れが違いますよね!
「あら、わかってくれる?そーなのよ!」
大嫌いなはずだった街。
不覚にも、その街の中でほんの数分に思えた時間は2時間を越えていた。
「楽しかった、ありがとう」
と言って手を差し伸べるマスターと握手をして、私たちは店を出た。
黒木さん、素敵な時間をありがとう。
4日間の仕事を終え、帰りに家に電話をした。
息子と話す。
あのなキアヌ、新宿はすごいたくさん人がいたぞ。そりゃもう佃煮ができるくらいだ。
「え~?おとしゃん、いみわかんないよ。」
ま、あの街を夜に歩く人々はみんな楽しそうでしたよ。
私だけ「けっ」という顔で歩いていたような気がします。
隠れ家的な、自分だけのお店っていいですよね。
家以外に帰れる場所・・・みたいな。
雰囲気があるスタンドバーって良いよね・・・
特に、特定の人物の香りまで残っていればなおさら。
あら、セイシュンを過ごした街なのですねぇ。
私も幼少期は台東区だったので、買い物なんかをする時は連れて来て貰っていました。
あと、神奈川県方面に従弟がいましたので、小田急線を利用するために来ましたね。
駅のロータリーに「ピース」という喫茶店があるんですが、よくばあちゃんとそこでお茶を飲んでいました。
ばあちゃんはホットコーヒーで、私はオレンジジュース・・・。
懐かしか話ばしました。。。
マムシは比較的おとなしい蛇ですから、見かけたら何もしなければ攻撃はしないでしょう。
誤って踏んでしまうのが怖いんです。
もしも噛まれた場合、出来れば毒を口で吸い出すなどの処置が効果的ですが、不慣れな場合は安静にして医師の治療を待った方がいいでしょう。
あまり激しく吸い出そうとすると、毒が回ってしまう恐れがあります。
最近ではヤマカガシにも毒がある事がわかりました。
マムシよりも多い蛇なので、注意してくださいね。
怖い人・・・
触らぬ〇〇〇に祟り無し
ですね。
あ、でもオカマに追いかけられた暗い過去があります。。。
あぁ、関西の方からはよく
「ミナミと比べると・・・」
という話を聞きますね。
比べる対象になると言う事は、それだけ似ているという事なのでしょう。
私は、右を向いても左を見ても全て人工建造物なのがちょっとアレルギーです。
上を向いたって空も見えやしない・・・みたいな。
そしてそこにいる人々の殆どが、お金の方を向いている様でちょっと嫌です。
そんな街の中で、ふいに触れる事が出来た人間味にちょっと感動してしまったというお話でした。
今回お仕事をさせていただいたH氏は、特に黒木先生と親しかったので
未だに大きく引きずっています。
だから彼と話すとやはり黒木先生のお話になってしまうんです。
はい、お節にイワシの佃煮が入っていて、とてもおいしかったっす。
アレがあれば、ご飯は幾らでもって感じ。
新宿の人々を集めて佃煮にはしたくはありませんねぇ。
何となく大味になりそうで(爆
時間の流れが違うシチュエーションってありますよねぇ~。
私も魚釣りなどやってると、必死でやっているのであっという間です。
日常に戻ると、あの時間は夢の中だったように思う事があります。
それだけ素敵な時間を過ごしたということなのでしょうね~。
はい、私もあの街でお酒を飲んで店を出ると
「あれ?駅はどっちだっけ?」
と言う事がよくあります。。。
私のセイシュンの街ですww
早朝の新宿中央公園は、なかなかステキでした。
真夜中の歌舞伎町は、恐ろしく魅力的でした。
自然の中で過ごした経験が少ないので、マムシや野生生物への対処は知りません。
でも、新宿で怖い人をよける方法なら少し知ってます。
ミナミあたりも凄い人ですが。。
人混みはかなり苦手です。
藤原新也著の『新宿』のイメージが浮かびます。
でも、ほら、なんていうか『深夜食堂』的世界を感じます。
http://www.youtube.com/watch?v=S5DOzROYfPQ
これだとやっぱり大阪のミナミに似てるな。
車の中から流れるネオンとか見ているのは、なんとなく好きです。
ちょっと切なくなってね。
その人は亡くなっても
思い出はいろんなところで、待っていてくれるものですね。
新宿の佃煮も馬鹿に出来ませんなv (佃煮に例えてゴメンね。。)
キャンプとか行くと星空見つめてボーっとしてるだけで時間が結構経ってるときあります。
私は新宿で迷子になってから苦手です。
戦ってましたね、黒木先生。
特に最後の事件では、生涯をかけていたように思います。
暗殺説も流れておりますが、自殺で間違いありません。
そうですね、あの線路を抜ける小さな歩道のトンネルなんかも、レトロと言えばそうですね。
子供の頃ばあちゃんに連れて来て貰った頃は、あのトンネルは薄暗く汚い幹事でしたが
今では蛍光灯が明るく灯され、結構安心して通る事が出来ます。
佃煮・・・
小女子じゃないから。。。
突然のニュースに驚きました・・・。
ところで、アタシは新宿が好きです。
アタシにはなぜか懐かしさと新しさが入り混じっていて
突然、思いがけず、ふっとノストラジックになれる場所。
佃煮にしたら、美味しく頂きますよw
うん、女性はしゃがまにゃならんし、露出している部分も多いから無防備になっちゃうよね。
マムシなんかここいらには滅多にいないけど、山に入ったらいるはずだしね。
以前イワナ釣りに行って遭遇した事があるけど、そういう危険も含めて自然なんだなぁって思う。
今回ね、そういう事も勉強させてもらった。
あの人々の集団は、一見集団に見えるが実は個人が固まっているだけなんだと。
皆同じ方向に歩いてはいるけど、それぞれに個性があって守るものも持ってるんだって。
確かにきなちゃんの言う「ズカズカ感」はないよね。
でも一歩踏み込めば、確かにあるんだ、人間臭さが。
その一歩踏み込まなきゃならない「他人行儀」が、心地よさを感じさせてくれたんだろうね。
おお、ソレだソレ。
「死の認識」な。
「死」って肉体と意識が無くなるだけで「想い」ってのは必ず残ってる。
どれだけその「想い」を残せるか。
もしかしてさ、ワシらそのために生きているんじゃないかな?って思う。
うん、何処にいたってさ、息子とほんの少し話すだけで日常に戻れる。
待っててくれてるのよ、こんな父でも。
それだけでいいやって思えるのよね。
温度で近づくから、その無防備なときは、本当に危険な様だ。
ワタシが住んでた村じゃ、バスガイドさんがそれで死んだ。
それはいいとして、私ね、あの雑踏嫌いじゃないのよ。
あの無関心が安心するんだわ。
ほら、博多なんか元々田舎だからさ、私の小さい頃はそりゃもう土足でズカズカって感じで、
それにヘキヘキしてたんだわ。だからあの無関心さを愛したわ。
その中で、フトね、触れるものがあるわけよ。
それがまた適度に他人行儀で心地よかった。
「死んで尚」だね。影響力がある人は、そんなもんだと思う。
だからさ、「死」って何か、良くわかんなくなる。
本当に死んでるのかな?いや、死って認識を、変えなきゃイケナイんじゃないかなって。
あははは、小女子の佃煮でもなんでも、そりゃ出来そうだ、東京(笑