Nicotto Town



あれから16年です

無理に読ませてすみません。

実は私は阪神大震災の被災者です。
神戸に住んでいて
住居兼事務所が全焼いたしました。
当時長男が1歳半で私は妊娠5ヶ月でした。


沢山の友人、知人が亡くなりました。

奇跡の様に生きながらえた命もあれば

何故この時に限ってっと言う方もおられました。



子供を守るためになくなった友人のご主人

遺体すら判別できなかった近所のおばちゃん

主人と子供と両の足をなくした友人

観音開きのタンスにすっぽり収まり
全壊の家屋で生きていた長男の遊び友達



ニュースの中の出来事ではなく

当時は普通の日常会話がそんな感じでした。

それ程全ての人に沢山の悲しみを残しました。



後悔を重ねても仕方が無い

涙を流しても帰ってこない

こうして命をながらえたものは

その感謝を胸に日々を送るしか出来ない・・・

今日のこの日に健康であることに感謝。



皆さんも今日だけはどうか

平穏であることの幸せを喜んで下さい。



長々と読んで頂きありがとうございました。

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2011/01/17 22:07
kamoさん>
他の地域に比べて被害が大きかったのは
時間帯と都市の大きさでしょうか?
私も戦後の日本で生まれて
冬の川で洗濯の日が来るとは思いませんでした。
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2011/01/17 22:03
うにょちん>
悲しみは消えないですが
日々は楽しく心穏やかに生活しちゃってます^^;
忘却は神が与えた能力なのかも・・・
亡くした人を忘れるのではなく
大事な思い出に変えるとともに
貴重な体験は忘れてはいけないかなって思います。
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2011/01/17 22:00
十勝沖地震、三陸沖地震、宮城県沖地震、日本海沖地震とマグニチュード8
クラスの地震も数々経験してますが、地震空白地の阪神でのしかも死者60
00人という地震は衝撃的でしたね。平和な日本でこんなことがあっていい
のかと思いましたよ。
でも地震多発地帯からみれば何か人災のような気もしてました。せめてもの
救いは耐震基準が厳しくなったことでしょうか。

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2011/01/17 21:41
大切な人を失った悲しみは、消えないと思いますが
いつか、心の春を取り戻せると良いですよね。
どうにもならない運命もある中・・・
やれるだけやってみようという気持ちを持てるだけで
自分は幸せだとつくづく思います。
明日はどうなるか誰にもわからないけど
楽しんでがんばって生きて行きたいな(*^_^*)
そしてどんな人にもいつか魂かエネルギー体になって
再会できると信じたいです。
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2011/01/17 21:38
パプちゃん>
読んでいただいてありがとうございました。
我が家(9階建てマンション7階)も
海側の古い町並みからの火が広がり全焼でした。
どんどん火が近づくのに
消防車が来ることも出来ませんでした。
結局一軒家の火がうちのマンションを
焼ききるうちに火が自然鎮火でした。
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2011/01/17 21:33
そうだったんですか…(゜-゜)
読んでいて鳥肌が立ちました。
さぞ怖ろしかったでしょうし、哀しかったでしょうね…
立ち直るのにも大分時間がかかったことでしょう…

あれは私が結婚して3カ月経った出来事で 朝のニュースを見て驚きました!
早朝だったから 朝食の用意などで火を使ってる家が多かったらしく あちこちが火事になっていて悲惨でしたね…
もう16年が経ったんですね~
ほんとに毎日を感謝して生きていこうと感じました!
こちらこそ 辛い体験談をありがとうございました。
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2011/01/17 21:20
まなかさん>
神戸はスゴイ勢いで復興しましたよね。
古い建造物がなぬなったのでかえって綺麗なのが悲しいくらいです。
確かに人生も考え方も震災で大きくかわりました。
でも日々はそれら全てを忘れて
感謝の心を忘れて生活しちゃってます。
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2011/01/17 21:14
おっちゃん>
そうですね。
あれから耐震などの意識が変わりました。
災害時の報道や連絡も
何よりあの時に今ほど携帯が普及してたら
救えた命もあったかも・・・

後悔するより教訓をどう生かすかですね。
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2011/01/17 21:11
bonoちゃん>
無事でありこうしてbonoちゃんと出会えて感謝です。
愛する人との別れはつらいですね。
bonoちゃんも私も友人の分もしっかりと
日々をおくりましょうね~^^
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2011/01/17 21:08
銀さん>
復興に携わっていただいたんですね。
本当に現実とは思えない光景でした。
振り返るとリアルでもあり
どこか現実とは違ったことのようにも思えます。

私はな~~~んにも無理をせずに生活させて頂いてます^^
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2011/01/17 21:06
今の神戸に行くと、当時の参事は本当に嘘みたいに復興していますね。
でも、確かに、テレビで観たあの光景は真実で、多くの方が亡くなられた
事実があるんですよね。
私の友人にも、被災した方はいましたけど、幸いにも皆、それほど大変な
ことにはならず、安心したことを思い出しました。

kanさんにとっては、人生を大きく変えてしまうような出来事だったと思います。
でも確かに、今生きて、ここにいることに感謝です。
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2011/01/17 21:06
あの日から16年。。。。

ニュースの中でのライブ映像が、現実の出来事として受け取れなかったのを思い出します。

あれから日本では、震災に対する認識が大きくなりました。
大きすぎる代償と引き換えに・・・・





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2011/01/17 20:33
貴女が無事であった事が
何よりです。

友人を無くす事は悲しい。
私も多くの友人の死を経験しました。
なぜ、私だけが・・・・
って思う事もあります。

でも・・・・・
彼らの分もしっかり生きられたら
いいな って思っています。
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2011/01/17 13:11
1995年から16年ですね。

震災復興に携わった人間として、
あの光景は忘れる事が出来ません。

被災者の方々の気持ちは、
量り知ることはできませんが、

街は復興されましたが、
人の心は違いますからね。

kanちゃん、
無理しないでね。



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