勇気をくれるもの
- カテゴリ:日記
- 2011/02/05 12:32:31
ささやかな日常の中で、人それぞれに目標がある。
自分なりに努力をしたつもりでも
報われないこともある。
気付かなかったことにも改めて知る。
己の驕りとか、本気でやったのか、冷静であったのか
などを想い連ね、小さく打ちのめされる。
打たれ強いわたしのことだから
数日経てば、ヨッツシャ!と気を取り直すのだけれど
2日ほどはウダウダと落ち込んでしまう。
年末からつい最近まで、幾つかの病の可能性があった。
もしそうならば、手術等を考えなければならない状況だった。
メデタク疑いが晴れたので、ありがたいことです。
それに比べれば些細なことだ。
と思いつつ、ウダウダとしてしまう。
そんな時、ああ……と思う記事が胸を打つ。
朝日新聞の夕刊にシリーズで連載されている人脈記
今回は「隔離の記憶」
ハンセン病患者さんだった人々の話。
以前、ブログに書いたことがあるし、写真集も持っているので
名前は存知でおられる方々の逸話が載っていた。
外にいる人との交流が綴られている。
ハンセン病の施設は隔離病棟というよりは収容所で
一度門をくぐると死んでも出られない場所だった。
親兄弟の縁を全て切り、いなかった者として生きてゆかねばならない。
厳寒の地では、「重監房」という刑罰の部屋で飢えと寒さから22人が
命を落としたという。治療の施設であるはずなのに、刑罰があった。
患者同士の結婚は認められているが、子どもを持つことは許されない。
妊娠した場合は中絶、男性の場合は断種
という非道な方法が
公然と適用され、法律で守られていた。
(奄美地方の施設では園長がカトリック神父であったのと、米国の管轄に置かれていた
ことから、子どもを出産することができた。出産後すぐに母体から引き離すと感染は
しないことが分かっていた為、園内で保育、養育した)
生きていくことは、病の身でなくても
時に厳しい。世の中は不公平だし、悲劇も襲ってくる。
やり場のない苦しみや憤りを抱えた人が、何かのきっかけで
ハンセン病施設を訪れ、交流を持つ。
在日大学生だった女性は
「おれたちは差別されているが、施設の中に居たら安心だけど
あんたはこれから大変だよ。辛くなったら遊びにおいで」
と声をかけられた。
夫に自殺され、自らも無理心中を考えた女性に
「無理心中はいかんよ。死ぬなら自分一人でね。
3人の子どもたちはタクシーに乗せて、こっちによこしたらいいから」
と、諭された。
言葉では言い尽くせない辛酸をなめた人たちが
自分に降りかかった痛みに溺れることなく
他者に示す共感と思いやりに
ああ……敵わないなぁと、涙が出て、
心がしぃんと静かな気持ちになる。
歳を重ねるにつれ、社会システムの裏側を垣間見たりする(たいしたことないけど)
地位や要職についている人の中に「特別」を見る事は限りなく少なくなってきた。
はっきり言えばつまらない。(自分もたいしたことないのを棚に上げ><)
いろんな意味で心を震わせる人は
何も持たず、逆に虐げられた人の中の報われない闘いにあることが多い。
まぁ、自分はなんと甘えていることよ。
真摯に謙虚に(実は厚かましい性格なので)
初心に戻れと、
問いかけられている気がする。
はい。いろんなこと、まだまだ半ばでありまするなぁ。。
わたしもね、たぶん同じやつを、この年末に受けたヨ^^;
不整脈があったみたいで、なんとかシンチだね。
亀ちゃんも体力ありそうだから
飲まず食わずの状態でかなり走らされたでしょう。
血液が心臓にいっているか、負荷をかけて調べるのね。
それで、大丈夫だった。
亀ちゃんもそうだと祈ってる。
ホルモンの関係で不整脈が起こることもあるかもね。。
異常はなかったけど、今でも時々、心臓がバクバクしてしまうことがあります。
実は乳癌の疑いも濃厚で、組織検査、生検をしました。
胸の横から針を入れて、組織を何か所かとるの。
これも異常がなかった^^;
まぁ。。ドキドキよね。
いろいろあるね。。
ガンはたぶんね、なる確率が上がってる。
症例が多い分、治療方法も進んでいるから、完治できなければ
共存の道もあるなぁと思った。
大学病院の放射線科で検査したので
治療をしている感じの人が、本当にたくさんいたの。
もう現代病の一つね。
亀ちゃん。きっと大丈夫。そう祈ってる。
運強いんだね^^
検査もお金と体力、精神的にもくるから
お疲れさまだったね。
健康診断で引っかかった「心筋梗塞してた疑い」の検査やっています。
今日は心電図と血圧計を接続して、ルームランナー走る検査。
それでもって、4月1日に、更なる検査入院が必要かの結果が出るそうです。
本人は今まで自覚症状なし。この年齢で珍しい心電図らしいです。
先週は、ニコッとの友だちが「悪性のがん」を宣告されたというので、
共通の友人に伝言したら、「俺もがんになってるんだ」 がぁ~~ん。
私はナマズかネズミの性質なのか、
地震の起きる2~3週間前から、なぜか食料を買い込んでいたのですね。
なので、食事は大丈夫です。きちんと食べています。ありがとう。
はっぴぃバレンタイン♥
本当の意味での優しさを学ぶんでしょうね。
そうありたいものですね。。
なかなかね、道は遠いんだけど
折に触れ、思い出すようにしていきましょうね。^^
寛容さと強さがなんとなくにじみ出てる
ですよね^^
実は世界的には治る病気として、かなり早くに分かっていたんですが
伝染性も非常に弱く、特効薬も出来ていたにもかかわらず、放置されたんですね。
多分、収容所などが、都心部や街から隔離されていた為に
わたしたちの目に入らなかったんだろうと思います。
ルルちゃん、その後いかがですか。。。
無理してないかなぁと思っています。
日本では新薬の承認が遅く、歯がゆいいろんな想いすることが多々ですね。
というか、たぶん、なってみないと、分からない部分がたくさんあって
初めて知ることばかりなんですね。
医療も日進月歩、少しでも苦しみや病が治癒できる道に進んでいくことを
願ってやみません。
いやいや、欲というのも、生きる力で、生命力の強さでありまするよw
兼ね合いの問題かもw
わたしのウダウダも己の欲を捨てきれないところから
きているのかもしれませんなぁwww
原爆被害も悲惨なものですね。
こちらは子孫にも影響を与える一代では終わらぬ苦しみです。
被爆者の方々も高齢になられました。
毎年、身体的にもお辛いのに、ニューヨークに「核廃絶運動」にでかけられている姿は
胸を打つものがあります。
昨年、ようやく米国にも、あらゆる意見あるものの
原爆被害が公式に流布し始めたこと、長い年月の果ての大きな一歩ですね。
苦しみの中に、何かを学ぼうとする姿勢が
乗り越えてゆく力を与えてくれるのかもしれませんね。
わたしも経験した人しか分かり得ない部分があることに
全くの同感です。
わたし自身もですが、すべての人においても、自分の経験したことから
価値基準を見い出すので、想像力が追いつかないケースがたくさんあります。
それだけ、人間は残酷だし、問題ありってことでもあるんですが。
ここらへんはいつも難しいですね。
それを考え過ぎると何も言えなくなってしまう。
言えなくなると、理解し合うという機会も失せてしまうわけです。
わたしのウダウダは完全に実力不足のものです^^;
ちょっとやっていたことが、否定されて、全部ではないのですがww
それなりに落ち込むわけですナww
まぁ、またすぐに立ち直りますが、年々、酷く落ち込むことがなくなってきたけど
立ち直るまでの時間がかかってきたという^^;;
ああ。。そこそこお歳ですなぁwww
長くてごめんなさい。
ハンセン病患者だった人々の中には、憎しみで生涯を終わられた方もおられるでしょう。
出て来られ発言されている方々は、ごく一部にしか過ぎないと思います。
長い長い闘いの末に、ようやく勝ち取った普通の人の人権
それを支えたのは、自らを愛すること忘れなかったとも
わたしには思えます。
安直な自己愛ではなく、自分の苦しみを他者への痛みへの共感に
使われるからです。
そこに、ああ…しかない感動があります。
マーメイドさんが抱えておられる物も、
大変なことなのだろうとお察しします。
自分を取り戻されて本当によかった。
どうぞ、ご自分を大切に慈しんでください。
と書きつつ、う~ん。
全部自分に返ってくる言葉なんですが。。^^;;
マーメイドさんが何か重いものを抱えてらっしゃるだろう、とは感じていました。
病も、経験した人でなければ分からない不安や辛さがつきまいとます。
そのどれもに個人差があって、どう言えばよいのかわからない部分があるんです。
わたしも数年前にちょっとした手術をしました。
ありがたいことに、非常に早期だったので、何も支障はなく数カ月毎の検診の度に
思い出すくらいになっています。
記憶のない実母と、祖母がそれで命を落としています。
考えたこともなかった実母との繋がりを、病院のベッドで思い連ねることになり
なんだかなぁ。。とやりきれなくなりました。
最悪のケースならば、余命宣告ありでした。
これからの人生は死ぬのもありか、と認識が変わった時期でもありました。
もし今死んでも、後悔は。。しないなぁ。。と思った自分に
ハハ…と笑ってしまいました。
幼少期には辛い時期もあったのですが、自分なりに逃げずに生きてきて
結構幸せだったと思えたのです。
兄や養母はかなり怒りを感じていた時期でもありました。
あらゆる面倒なこと、金銭面、精神面も含めてわたしだけが
背負わされたということがあるからです。
もし自分が死んだならば、遺された彼らは
酷く傷つくであろうということが、よく分かったんです。
それで、まぁ、ええわ。。もう。。
と、あっさりと許せる気持ちを持つことができました。
本当に怪我の功名です^^;
病以降、余生という発想が生まれました。いつもではないのですが
心のどこかに棲みつきました。
生きている限り、死に近づいている。
人は必ず死を迎えます。
限られた時間で自分は何ができるか。。
何も出来なくても、まぁ、それはそれで良いのですが^^;;
という甘ちゃんでもありますが。。。^^;;;
生きている限り、喜びも訪れますが
苦しみもやってきます。
残念ながら。
苦しみもやってくるけれど、喜びも訪れる
でも、良いかもしれません。
今ある現実を見据える
わたしはそれが一番大切のように思えます。
すべてはそこからスタートします。
逃げたところで、現実は変わらず
むしろ、精神的に大きな負担となって追いかけてきます。
幸せを見つける力を持つ人は、本当の意味で強い人ですね。
どうしても誰かと何かと比べてしまう。
それで揺らいで、混乱の中に陥いることになる。。
時には、絶対に闘わないといけないこともあります。
でも、攻撃ばかりを学んでもいけない。
赦すこと、その中からささやかな幸せの価値を見い出すこと
ハンセン病患者さんだった人々の生涯を垣間見て
その尊さを思い、心の深いところを揺さぶられるんですね。
だからこそ、触れあった人々に勇気を与え
人生を変えていく力を持つ。
権力やあらゆるものを持っている人は、強制的な力によることが多いけれど
何も持たず、社会の最下層ともいえる場所にいる虐げられた人々の中に
輝きを見い出す。
何だかいろいろ考えちゃいます。。
病気について解明されていなかった時代に翻弄された方々に対して言葉にならない。。
医療技術が発展している中、原因や治療法がわからない病気がまだまだ沢山あって歯がゆい。
大切なのは権力でもお金でもなく、健康な身体。
検査結果、なんでもなくて本当に良かった。
真摯に謙虚に。本当に思う。しかし限りない欲もあるので困ったものだわ(汗
「どうして自分たちだけが、という思いにとらわれる事はないのですか?」
確か、このような問に対して。
「被害を受けたのが自分でよかった。他の人たちがこんな思いをしていたらと考えると、やりきれませんから」
このように答えた方がいると、何かで読んだ事があります。
苦しんだからこそ、他の人の苦しみや悲しみがわかるようになるんだと思います。
私も、自分がどんなに苦しくても、人への思いやりや優しさを忘れることのない人間になりたいです。。
ウダウダは・・あって当然です!極限に置かれた事のある人間でも、極限を脱出した時には、ウダウダできたりするものだと、人間ってそういうものだと考えてます。・・って、極限にいたコトのない私がいうのもおかしいかぁ・・。
いつまで私の意識が確かなのか自信がないので身辺整理を始めちゃったり・・・それもまた前向きに生きてる事になるのかな?と言いきかせてみたり・・・^^;;
従来の持病と相反する治療になるので片方を治癒させるためには片方の機能を完全に失うことにもなり、これもまた運命さ!と受け入れるのに一年ほど自暴自棄でした。
昨年ボロッと弱音を吐いたら いつもは手厳しいコメントしか残さないある交流者様に叱咤激励され、ようやく本来の自分を取り戻せた気がします。
人の痛みのわかる人間。 私もなれたらな・・ってつくづく思います。
私などが不平不満を言っちゃイカンのだなぁ・・・。
自分の欲が満たされない事に無いして、不幸を口にする人が居る。
しかし、私たちが想像もつかないような境遇の中で、小さな幸せを見つけ生きている人も居るんだ。
つくづく思います。
たかだかの自分を見失っちゃいけない。
生きて行くことはそれだけでも大変な困難かもしれないけど
生きてゆける幸せもまた、確実に存在するんだ。
小さな幸せを感じる事が出来る感性を、持ち続けなきゃなぁって。
背負いきれない重しは乗せはしないと言いますね。
不公平を思い始めたらきりがない。
悲しみを乗り越える度に人は強く優しくなれるものだと
思いたいですね。
自分を誰かに救って欲しいと思うほど甘ちゃんじゃないけれど
救いたいと願った人々を、助けられないのは
本当に辛いこと。
でも、本当に救えるのは自分自身だけなんだと
わたしも思うんです。
出会いがあって、出来事があって、その時何を感じるのか
それがその人自身の力であり、運命を決めるものだと。
できる限り、精一杯、生きて行かなければね。
時々休むけど^^;;
無理はしないってのも、最近、カテゴリーに入ってきました^^;;;
人生は、神様と打ち合わせして生まれてきてるんだと考えるようになった。
「こんな感じでこうなって、こうやって修行してきますね。では、生まれてきまぁ~す」
それで、人生を終えたときに
「おぉ。ご苦労だったね~」って、神様が暖かく迎えてくれる。
そう考えるようになったら、自分の生き方に対しても、
自分が救えない人に対しても気持が楽になった。
生きてるうちっていろんな事がありますもんね。
職場に出掛けるのは、昨今、戦に行くような感じになってきてます。
確かに朝読むとと、ちょっとしょんぼりすることもあります。
無縁社会とかもキツかったですね。。
アッシュさんはバランス感覚がとれた、ちゃんとした人ですよ。
厳しい競争社会なので、優しいだけでは生き残れない。
そこで、自分の大切な部分が奪い取られていくような錯覚になってしまう
そんなことがあるんでしょうね。
でもきっと大丈夫。
ニコでの交流で、時間を割いていること。
こうやっていつもコメント残してくださること。ありがとうございます。
たぶん、心の保険みたいな作用があると思うんです。
なので、そのシリーズは全部読んでますよ。
朝でがけに読むと、ダメージ受けるので帰ってからね。
いろいろと考えさせられるし、文を読みつつ涙がでそうになる自分に、少しはまともな人間性が残っていると再確認できる貴重なシリーズです。