『平家物語』に見る陰陽道1
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- 2009/04/01 12:27:36
○陰陽頭 安倍泰親
(巻第二 一 座主流の事)p69
されども陰陽(おんやう)の頭(かみ)安倍泰親(あべのやすちか)が申しけるは、「さばかりの智者の、明雲と名のり給ふこそ心得ね。上(うへ)に日月の光を竝(なら)べ、下に雲あり」とぞ難じける。
《訳》
しかし陰陽寮の長官、安倍泰親が申し上げたのには、「あれ程の賢僧が、明雲と名のっていられるのは納得し難い。上には日月の光を並べ(明とし)、下に雲がある(雲が光を遮る)と(その名の)難を指摘した。
《解説》
無双の碩徳(せきとく)、天下第一の高僧とうたわれた、天台宗の座主、明雲大僧正は讒言により解任、流罪になる。これは当時、朝廷と比叡山延暦寺との確執が背景にある(詳しくは平家物語を読まれたし)。
ここは陰陽師である安倍泰親が座主の名から、その運命を判じる場面。泰親の不安が、後に明雲が非業の最期を遂げる伏線となる(巻八の法住寺合戦で木曽義仲側から射殺され、首を切られる)。
泰親については後の巻三の十一で詳しく述べられている。陰陽寮は中務(なかつかさ)省に属し、天文・暦・時刻・卜筮(ぼくぜい)を掌り、その長官が陰陽頭。ただし、当時の陰陽頭はまだ泰親ではなく、賀茂在憲(ありのり)が保元から養和まで頭を勤めていた。泰親はその後に任じられた。
注)平家物語テキストは、『平家物語』上・下巻(角川文庫・佐藤謙三校註)
戦国時代、陰陽師は戦の吉凶を占うため、戦場に行っています。
まさに、軍師に変わっていくのです。
武田信玄の甲陽軍鑑はまさに陰陽道の理論。
三国志の諸葛孔明が『兵陰陽家』であったように
当時の陰陽頭の役割も、陰陽を用いた兵法を司る軍師的役目
だったんじゃないでしょか?
「八門金鎖の陣」とか「奇門遁甲」とか陰陽師に伝わってたらしいですし。
ところで、安倍泰親の『安倍泰親朝臣記』(天文変異記)が読みたいと
思ってたところ。。。
暦会館で売ってるとのこと!今度の連休にちょっくら行ってこよかな~。
(通販もあるけど、会館自体に興味がワクワクw)
おおい町暦会館
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学校の古文の授業では那須与一の扇の場面とか、義経のひよどり越えの場面とか、全く平家の話で無い所をやっており、平家物語の面白いところをちっとも出せていない、と痛烈に批判している平家物語関連の本がありました。
まさにその通りだと思います。
日本の教育はなっとらん(お前誰や?)
機会がありましたら、じっくり読んでみてください。平家一門の鎮魂の書、よく出来ていますよ。
陰陽師として感心しました。
平家物語は学校でサラッと習った(と言うよりプリントで説明された)程度なので、
「こんな事があったのか」と物凄く勉強になります。