ドラマ【江~姫たちの戦国~】
- カテゴリ:テレビ
- 2011/02/15 17:08:27
【あらすじ】伊勢上野城に身を寄せていた市の元にも、信長の訃報が届き、攻めて来るであろう明智勢から逃れるため、市は娘たちを連れ城を出ることにする。家康と行動を共にしていると思われる江のため、市は家康に文を書き、信包に届けてくれるよう懇願した。信長の訃報は中国で毛利攻めしていた秀吉にも伝わり、秀吉は信長が死んだことをひた隠しにし、毛利と和睦して明智を討つため急ぎ上洛する。一方、江は家康と共に何とか窮地を脱するが、もぬけの殻の伊勢上野城で野武士の集団に捕まり、家臣はすべて殺されてしまう。
【感想】今週も江大活躍のファンタジーでしたが、もう慣れてきましたw そのうち大奥に入り好き勝手できなくなるので、今のうちファンタジーを楽しんでおくことにしましょう。家康との関係を丁寧に描いているのは、後に徳川家に嫁入りした時のためでしょうね。
考えてみれば江も、姉の淀君がすごい女だったから目立たなかったものの、徳川家二代将軍秀忠の妻となり、名君と言われる三代将軍家光と、豊臣秀頼に嫁ぎ大阪の陣で城から逃げたことでも有名な千姫の母でもあるのだから、本当に数奇な運命を辿った女性と言えます。今までクローズアップされてこなかったことが不思議なくらいですね。また政略結婚のため3回も結婚させられているところも、なんかすごいし、産んだ子供の数もハンパないんですよねw 男の場合、権力者だと相手の女性が何人かいることが多いので、たくさん子供がいても不思議ではないんですが、1で10人の子供を産んだって結構すごくない? 今だったら大家族とかでテレビが取材に来てるレベルかもw お産って当時は結構危険で、産んだ後死んじゃう人とかもいたのに、すんごい体が丈夫な女性だったんだなぁと思います。で、今回の話には関係ないねw
今回は、光秀が信長の真意を知って、もうどうにでもなれみたいにヤケになってたのが面白かったです。もちろん信長が光秀のことをどう思ってたかなんて、本当はわからないですし、戦いなんてものは力と戦略で決まるものなので、どちらが正しいとかいうことはないです。ただ信長の場合崇拝者を作るくらいの圧倒的なカリスマがあったことが、彼の権力を広げる後ろ盾の一部となったのに対し、光秀は人望がなく反旗を翻すのに際しまったく根回しをしていなかった、要領の悪い人だったんだなということがわかります。信長が光秀につらく当たったのも、その要領の悪さが気に入らなかったんでしょうね。秀吉のような気が利く人間は気に入られてましたからね。頭がよくても気が利かない人っていますからね~。もしくは逆に、百姓から武士に取り立ててもらい大出世した秀吉が、信長を心から崇拝していたのに比べ、信長に仕える前に諸国を行脚していた可能性の高い光秀は、どんどん増長していく信長についていけず、それが表情に出てしまっていたのかもしれません。
本能寺の変については、やれ家康だ、秀吉だ、毛利だの、黒幕説がいろいろありますが、もし誰かが後ろにいたとしても、そいつに見放されたら自分が孤立してしまう可能性に気づかなかった光秀は、やっぱり要領が悪かったと言えるでしょう。家臣に裏切られて殺された信長もそういう意味では要領がよかったとは言えませんけど、信長の場合根っからの要領の悪さではなく、自分の権力を過信してしまったことが一番の敗因でしょうねぇ。
【今回の試験に出る史実】
●備中高松城の戦い…1582年 岡山 織田信長配下の羽柴秀吉が指揮し、毛利氏配下の清水宗治が守る備中高松城を攻略した戦い。秀吉は得意の水攻めで攻略しようとしたが、途中で本能寺の変の報せが入り、直ちに講和した。
●中国大返し(備中大返し)…1582年 岡山~京都 織田信長が明智光秀の謀反にあい死亡したことを知った羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)が、備中高松城で戦闘中だった毛利氏と即座に講和を結び、明智を討つため京都に驚くべき速さで移動したこと。
●山崎の戦い…1582年 大坂・京都 中国大返しで京都に戻ってきた羽柴秀吉が、本能寺の変で織田信長を討ち取った明智光秀と対峙した戦。この戦いにより光秀の軍勢は勢いを失い光秀は敗走、その途中で死亡した。
【今回の試験に出る慣用句】
●天王山…山崎の戦いで攻防があったとされる山の名前から、ものごとの勝敗を決める正念場や運命の分かれ目のことを言うようになった。実際に天王山が山崎の戦いでの勝敗を決めることになったかどうかは定かではない。
●三日天下…光秀が、信長を討ってから秀吉に討たれるまでの期間が異様に短かったことから、権力を極めて短い期間のみ握ることを言うようになった。実際には11~12日くらいあった。にしても短いが。