『平家物語』に見る陰陽道 4
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- 2009/04/06 12:28:31
○陰陽頭
(巻第三 三 御産の巻の事)p136
重衡の卿…、「御産(ごさん)平安、皇子御誕生候ふぞ」と、高らかに申されたりければ、法皇を始め參らせて、関白松殿・太政大臣以下(いげ)の卿相雲客、おのおのの助修(じよしゆ)・陰陽頭(おんやうのかみ)・典藥頭(てんやくのかみ)・數輩(すはい)の御驗者(おんげんじや)、すべて堂上堂下、一同にあつと喜び合はれける聲は、門外までもどよみて、しばしは靜まりもやらざりけり。
《訳》
重衡の卿、「御安産、皇子がお生まれになりましたぞ」と高らかに申されたので、法皇を始めとして、関白殿以下の大臣、公卿・殿上人、それぞれの補助僧、陰陽頭・典薬頭・大勢の験者、堂上堂下の人々が声を揃えて喜び合う声は、門外まで響わたって、しばらくは静まらなかった。
《解説》
中宮(建礼門院)が皇子(後の安徳天皇)を無事に御産みになった時のこと。清盛の五男、平重衡(しげひら)が「安産」と言っているが、むしろ難産ではなかったか。密教僧・陰陽師らが物怪退散の加持祈祷・御祓を修する中でようやく御誕生との感がある。
助修は修法の時に大阿闍梨を補助する僧のこと。陰陽頭は前述のとおり、泰親ではなく、賀茂在憲。
時の権力者である清盛の、その力の集大成とも呼べるかもしれない存在が難産、とは政治的にも言いにくかったのでしょうか…?
安産でも難産でも、生まれた子供の命に変わりはないのに…今も昔も、政治って複雑。
(でも当時の陰陽師はその中枢近くに居たんですよね…ある意味政治に精通していたのかな?)