先輩
- カテゴリ:学校
- 2009/04/06 23:38:36
カテゴリ「学校」で入学式の思い出・・というわけで。
中学入学の時の事を書いてみようと思います^^
以前、ブログで中学3年間はブラスバンド部、高校1年の時吹奏楽部に入っていた事を書きました。
そのブラスバンド部に入ったきっかけが入学式でした。
体育館に入場するときに「式典行進曲」、式では「君が代」「校歌」全てブラスバンド部の先輩達が演奏してくれたのが印象に残りました。
元々、ピアノやエレクトーンを習っていた事もあり、音楽には興味がありました。
しかし、部活動なんてする気はありませんでした。
その意識をひっくり返したのが入学式の演奏だったのです。
小学生の時からの友人達は音楽に興味のない子ばかりだったので誘っても靡かず、それでもどうしてもブラスバンド部に入りたくて1人で音楽室に向かいました。
すると、同じ小学校出身の子は私の他に2人だけ。
その子達は幼なじみ同士でとても間には入ってゆけず、ひとりぼっちでした。
それでも入るのをやめようとは思いませんでした。
どの楽器を担当するか決めるため、様々なマウスピースを試しました。
唯一音が出たのはフルートでしたが、先生が言うには私の唇の形がフルート向きではないという事で、打楽器担当にされました。
折角ブラスバンド部に入ったのに打楽器なんて、と最初の頃は嫌々練習してました^^;
打楽器の先輩は3年生が1人、2年生が2人いました。
3年生と2年生の片方の先輩は凄く上手でした。
スネアドラム、バスドラム、ティンパニ、ビブラフォン、シンバル・・
打楽器は本当に沢山の楽器がありますが、どれをやっても上手でした。
ただ、2年生のもう1人の先輩は何をやってもいまいちな感じで、1年生の私が代わりにやった方が上手くて、その先輩が担当を外されたりした事がありました。
何だか悪い事をしたなぁと思っていると、その先輩が部活に出て来なくなったのです。
もう1人の先輩に聞くと、ずっと学校を休んでいるということでした。
何でだろうと思ったのですが、先輩の説明が言葉を濁すような感じだったので、突っ込んで聞きけませんでした。
それが、1年生の5月頃の事でした。
その後、私は打楽器の楽しさを知り、部活をサボることはなくなりました。
コンクールに出たり、体育祭、文化祭などで演奏の経験を積んでいきました。
そして、3学期の終業式の日。
壇上で校長先生が言いました。
その先輩が、白血病で亡くなったと。
2年生の列から嗚咽が聞こえてきます。
でも私は、すぐには校長先生の言葉が飲み込めず、呆然としていました。
足が、膝がガクガクと震えだし、震える指先を握り合わせ、立っているのがやっとでした。
式が終わって教室まで歩く道すがら、体が宙に浮いているようで、地に足が着いていない感じでした。
教室に入って席について、涙が零れました。
慌てて廊下に出てすぐの水道へと縋り付きました。
友達がどうしたのかと聞いてきましたが何も答えられませんでした。
その日、どうやって帰宅したのか、まるで覚えていません。
一緒に過ごした時間は1ヶ月足らずの間の十数時間ほどだったと思います。
先輩と話すのも緊張していたので軽口などきいたこともなかったです。
学校に来ていないと聞いた後も、気にも掛けていませんでした。
入院していた事もまるで知りませんでした。
それでも、涙が出ました。
自分と1つしか年の違わない人が死んでしまった。
もう生きて会う事も、話すことも出来ない。
自分はなんて薄情なんだろう。
どうして学校に来ていないのか、知ろうともしなかった自分が情けない。
身近で人が亡くなったのは初めての事だったので、気持ちに収拾がつきませんでした。
春休み、入学式で演奏するために部活がありました。
打楽器の部室は静まり返っていました。
私と先輩の2人しか部室にいないのです。
入学式で演奏するには少なくてもあと2人は必要で、他の楽器から助っ人を頼んで入学式は間に合わせました。
新入部員が3人入って部室は賑やかになりました。
でも、ふとすると、あの先輩が楽しそうにビブラフォンを叩いている姿が思い浮かぶのです。
このビブラフォンを叩いていたのに。
ここに居たのに。
あの時の先輩の年を越え、倍以上生きてなお、先輩が演奏して迎えてくれた入学式の事は今でも忘れられません。
この長文を読んで下さった方、ありがとうございました^^
身近な人と永遠の別れをするのは本当に辛い事ですよね。
別れる度に何かを学び成長してゆくことが、残された私達に出来ることだと思います。
人との付き合いは私も後悔のないようにしたいと思いますが、riraさんと同じくなかなか思うようにいきません^^;
ニコッとで出会えた人達とも、リアルでの友達ともそんな付き合いが出来たらと思います。
これからもよろしくお願いします^^
私も身近な人を過去に何人か失いました。そこから学び人との付きあいは後悔の
無いようにしたいと思っています。なかなか思うようにはいきませんが・・・。
ここでも、リアルでもそんな人付き合いが出来たらいいですよね。
先輩を失ってから、色々な身近な人を失ってきました。
後悔しないような人付き合いをしようと心に決めていても、なかなか上手くいかない事もあります。
ああすればよかったと思う事は今もよくあり、自己嫌悪。
この日記を書いて、再び気を引き締められたような気がしています^^
永遠の別れを迎えるその日まで、ステキな関係を築ける人になれたらよいなと思います。
先輩と出会えた事、そして別れた事で、本当に色々な事に気付き、また知り、人として成長して来られたような気がしています。
どんなに腹が立つ事があっても自分を抑える事が出来るようになったり
人の失敗を進んでフォロー出来るようになったり
怖くて一歩踏み出せない時に心を落ち着けて進んで行けるようになったり・・・
何かある毎に先輩を思い出して生きて来たように思います。
生きているからこそ、出来る事をしようと思えるのは先輩と出会えたからです。
生きているからこそ、リアルでもニコッとでも会える人がいるんですよね^^
オヤジさんも同じような経験があったのですね。
思い出は色褪せない、本当にそうですね。褪せていかないですね。今も式典行進曲が耳に残っています^^
お~トランペットですか♪金管の花形ですよね~☆
そうそう、全然違う話なんですが、私の短大の時の友達のあだ名が「おやじ」でしたw
女の子なんですけど、入学して授業が始まった初日に、ランチジャーのお弁当箱を持ってきてて、それがオヤジっぽいという理由で即「おやじ」と命名されてしまいましたwww
彼女は嫌がりもせず2年間皆にオヤジと呼ばれて親しまれてましたね~^^(だからどうしたって話ですがw
その事を分からせてくれた先輩ですね。
ケイトさんの日記を読んで、人様との関わりを大切にしようと思いました。
永遠の別れは必ずやってくるんですものね。
特に死の別れは永遠ですもんね。
なので、会える瞬間を大切にしたい。
リアルもニコっとも。
そんな風におもいます^^
ある意味でとても貴重な体験だったんだと思います。
悲しい出来事だったのはもちろんそうなんだけど…
こうした悲しみを乗り越えて、人は成長するんだよね…
私も、高校を中退した直後に、先輩が交通事故で亡くなったり…
とても仲の良かった友達が、若くして脳溢血で亡くなってしまったり…
20歳で自殺してしまった友達もいました…
そんな人たちとの思い出は、今も褪せることなく、励みになっています。
そうそう!私も高校時代はペット吹きでした♪
今はきっと音を出すこともできないでしょうけど…