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コートジボワール共和国、内乱で400人以上死亡


【3月16日 AFP】コートジボワール・アビジャン(Abidjan)郊外で15日、ローラン・バグボ(Laurent Gbagbo)氏の支持派が築いたバリケードの前で武装した男たちが無差別発砲し、4人が死亡する事件があった。大統領選結果をめぐる混乱が続いている同国では、ここ数日暴力事件が多発している。

 目撃したココディ(Cocody)の住民によると、3人の男がタクシーでバリケードの前まで乗りつけ、マシンガンを携えて降り、通行人に無差別に発砲した。その後同じタクシーで逃走したという。

 死亡した4人の若者については、「全員バグボ支持派だった」「全員『反逆者(=アルサン・ワタラ(Alassane Ouattara)元首相側の兵士)』だった」と、目撃者の間で意見が分かれている

 同国では、前年11月の大統領選の結果をめぐり、正式な当選者であるワタラ氏の支持者と大統領職に居座り続けるバグボ氏の支持者の対立が激化しており、国連(UN)によると両派間の抗争でこれまでに400人あまりが死亡している。(c)AFP/Christophe Koffi


http://www.afpbb.com/article/war-unrest/2790709/6961181


コートジボワール共和国は、1960年にフランスから独立した共和制国家です。

1990年、ソビエト崩壊による民主化の波がコートジボワールでも発生し、

コートジボワール初の大統領選挙にまで発展し、それまでの政権から出馬した

ウフェ・ボワニ氏が当選、しかしその3年後1993年に現職大統領のままで

ウフェ・ボワニ氏が33歳で死去すると、憲法で定められた国民議会議長の

コナン・ベディエ氏が選挙なく大統領就任、与野党ともに反対をしたため、

1995年にコートジボワールで2回目の選挙が実施されるのですが、

大統領選に出馬している人が海外で生まれている事に注目し、

コートジボワールで生まれた人意外は大統領選挙に出馬出来ないと憲法を変えて

しまっため大差で再選するも、経済を立て直すことが出来ずに徐々に人気が

落ち目となっていました。


その後、1999年には当時の政権に不満を持った軍人、ローペル・ゲイ氏によって

クーデターが発生し、政府は軍部によって抑えられたものの、2000年には国民から

選ばれたとする為に軍事監視を行いながらの大統領選が行われ、ローベル・ゲイ氏

が当選したと発表。 しかし2002年には不正があったことを再度発表し、

ローラン・バグボ氏が当選していた事を発表したり混乱が続いていた為、

内戦に発展していました。


今回は2010年に行われた選挙で、ワタラの得票率が54.1%、バグボは45.9%で

あったとしてワタラが当選者と認定したのですが、バグボ氏側は議会を後ろ盾に選挙で

不正があったことを発表、ローラン・バグボ氏も大統領就任宣言をしてしまった為、現在

コートジボワールには二人の大統領が居る事になっている。


このことに対して国連は、ワラタ氏を大統領にしてバボ氏の退陣を要求、

アフリカ連合はコートジボワールの連合加盟停止処分をし、

欧州連合はバボ氏の欧州の資産を凍結する等の処分をしているのですが、

2002年から大統領をしていた実績もあり、軍部にも強い影響力を持っていることから、

退陣する意向を見せていません。


 

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