Nicotto Town



覚えておいて欲しいこと

眠って、起きるのが不安になった日々。
あの大災害に茫然とした日から1週間も経ったのですね。

被災地におられる方々は、厳しい1週間であったとお察しします。
安否を待ち続けられるみなさん
緊張を強いられる日々を過ごされていることと存じます。

一部の民放放送では通常の番組が戻ってきました。
都心も混乱し、不安の為の買い占めが収まらないようです。
計画停電もあり、冷蔵庫も停止するので、買い過ぎると保存が大変でしょう。
保存できる物は、賞味期限が迫るまで食べきれる量でしょうか。。
そんなことすら考えられない不安心理が働いているようですね。。

ある程度の混乱は仕方がないと、わたしは思います。

でも、ほんの少し覚えておいて欲しいのです。
直接的被害がなかったわたしたちは
混乱が終われば、当たり前の生活に、多少の不自由を感じながらも
戻って行くことができます。

ニュースは減り続け、公の援助やボランティアの姿を映す放送が
増えてくるでしょう。駅前や交通機関も整備されたと明るいニュースも
届いてきます。
直接的な被害者を知らない限り
支援は取りあえず終わり、復興も進んでいるのだと思われるでしょう。

でも、本当の個人の長い長い復興への道のりは
そこから始まるのです。

公に出てはいませんが、震災後、自ら命を絶った人もたくさんいるという
噂を聞きました。
身内を失った傷から立ち直れず、経済面も打撃で
家庭崩壊へと進んでしまった家族は、どれくらいあったのでしょう。
復興住宅に入れたものの、孤独死が相次いだのはご存じの通りです。

あの震災時、前日まで日本にいて、米国で故郷神戸が燃える姿を
テレビで見て凍りつきました。
燃えている場所がどこかなのか、全部分かりました。

名前は知らないけれど、すれ違ったかもしれない故郷の人々
電車の隣に座っていたかもしれない。
懐かしいと感じるほど、愛着を持ったこともなどなかったはずなのに
恋しくて、悲しくて、ただただ泣き続けました。

その時浮かんだのが、ボスニアの出身で日本に長年おられるヤドランカさんでした。
彼女は日本滞在時、ユーゴ紛争が勃発、帰国不可能になってしまいました。

故郷が戦火で燃える、大切な人たちが危険にさらされる痛みと悲しみを
僅かばかりですが、理解しました。

人は経験からしか、本当の理解は進みません。
被災者出ない限り、人は忘れて行くのが自然です。
それが普通なのだと、当たり前なのだと、わたしは思っています。

でも、今は、怒りでもない、不安に煽られず
被災地に大切な人がいると想像してはみませんか。
自分があの地にいたらと、発想を変えて、思い巡らしみましょう。

怒りや不安は一番分かりやすい感情です。
それに比べ他者への共感は
負けやすいものなのでしょうか。

手を繋いで避難していたのに、津波で親族を奪われた人
ご遺体を現地で確認していた老婦人
音信不通の息子さんを探しにきて、瓦礫の前に佇む老夫婦。
焼けてしまった幼稚園の送迎バスの前で
泣き続けるお母さんたち。

そして、みなさん避難されておられます。

失われた命を抱える人々の痛みを
わたしたちは泣くことはできても、本当の意味で共有はできません。
ならば、今、少しでも暖かい物を、身内を探しに行ける
ガソリンを、体を温める灯油を速やかに円滑に届けられることくらいは
協力してあげたいとは思いませんか。。

ほんの少し、頭の隅に今だけでも置いてください。
そう願っています。

そして、せめて1年間は忘れないで欲しいなぁと。。

食糧や住居が行き渡っても
失った命は戻ってくることはありません。

今、いろんな所で思いやりよりも、不安や怒りが広がりつつあります。
不安や怒りは
同じ、不安や怒りしか生みません。

みんな、みんな、なんとかしてあげたいと
願っていると信じています。





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