チャレンジド・大地震と私たち
- カテゴリ:人生
- 2011/03/20 19:25:40
チャレンジド、この言葉は、近年「障害を持った人」のことを意味します。
神様から、試練に挑戦する使命を与えられた人という意味です。
ニコタでボクとあいさつを重ねてくれている人の中にも、
このチャレンジドの方がおられます。
それから、NHKの土曜ドラマで、この名前を冠したドラマが
3月26日、4月2日の2回にわたって放送されます。
これは、2009年5回シリーズで放送された番組の「卒業」ドラマです。
このシリーズも、明日BShiで、再放送されます。
↓↓(番宣)
http://www.nhk.or.jp/dodra/challenged/
難病で失明した、熱血教師・塙啓一郎(佐々木蔵之介)は
必死のリハビリで教壇に復帰します。
もちろん、最初は、職場の同僚から冷たい視線を受けます。
副担任の反発、パニック症候群の生徒との接触、PTAの反発、DVに悩む家族、
いじめの発覚、修学旅行での事故責任などの難題を乗り越えながら、
生徒との熱い友情を育んでいく物語です。
これはドラマですが、深い感動を与えるのは、
ほんとうの盲目の教師が日本中に大勢いらっしゃるということだと思います。
おそらくは、ドラマでは描ききれない、辛い経験とその中からも、新たな希望
を見つけて活動されているはずだと思われるからです。
今度初めて、放送される「卒業」編はぜひ見ることをお勧めしたいです。
翻って、私たち日本人は、全員が、この大地震の出会って、
「チャレンジド」なのではないでしょうか。
被災者の方々の一刻も早くの救済を祈りつつ、
自分でできることは何かを考えていきたいと思います。
龍馬
存在しているんですね。難しい課題を突き付けられてますね。
この地図で、左のラジオボタン「Tsunami reports」と「Nuclear power plants」とチェックすると興味深いものが見えます。
日本海側に少ないのは国防上の理由もありそうですね。
このドラマは中学の2年三組の担任の先生と生徒の物語なんですよ。
「走れメロス」のドラマの精神で、というシーンがたくさん出てきてました。
ドラマが終わるとその都度、ほんとの、失明した先生の話があって感動しました。
「卒業編」、ボクと一緒に見てみましょう^^
「チャレンジド」…この言葉を今始めて耳にしました。
本当ですね…私たち皆が「チャレンジド」なのかもしれませんね。
龍馬さんが紹介して下さったドラマを見て
何回でもこの事を心に刻みたいです。
私も自分に出来る事は何でもしていきたいです…!!
ボクは、できる限りは続けていたいと思っていました。もちろんリアでの情報も
いろいろありましたが、ここで語られる、ブログなどを拝見して、なるほどと
思うことがたくさんありました。
地震のその日 隣人の意外な一面を見たり やっぱりかと思ったり
体力と気力は別物だったり 月が綺麗だったり。。。
再生は これから長い道のりとなりそうです
日本に蔓延していた閉塞感を打ち破り 日本全体に友情と結束で希望を持てる社会に変えていきたいですね
そういう表現がよくつかわれます。でも、福島原発が、まるで、津波よ、いらっしゃいと
太平洋に向かってご挨拶といった感じの建て方で果たしてそういうことがいえるでしょうか。
原発に関しては、余り不安をあおると、予定地が成立しないために、怖いものにはふたという
感じで、建設し、運転をしてきた、ということがやはり、裏目に出てしまった。
そのことが残念です。
という傾向があるみたいです。こういう一般的にはマイナスな事件を契機に
新しい目標や、団結心など、プラスの効果を見つけていきたいです。
人間の欲や、エゴなどを乗り越えてあたらしい理念を積み上げるには、このような
天災が、必要だと神様が思っているのかもしれません。チャレンジドなんでしょうか。
生まれたのだそうです。つまりハンディという言葉と意味はもう、死語にして、
ポジティブな意味だけを込めようという意志が働いています。遅れている人ではなく
むしろ先を行っている人たち、そのくらいの意味を込めたいのかもしれません。
ボクはその考えに賛成です。
津波には久慈・宮古・大船渡・釜石には大規模な湾口防波堤が設けられていて、それでも甚大な被害が出たことに関係者はショックを隠し切れずにいたのが印象的でした。このサイトも大規模に改修されることでしょう。残念です
http://www.pa.thr.mlit.go.jp/kamaishi/bousai/b01_01.html
関東大震災でエアポケットのように被災を免れている地域がいくつかありますが、そこは近隣住民が協力して消火に努めた所だそうです。戦時中の空襲の時にも同じような話を聞いたことがあります。周囲との強調と連携が大事ということで、それにはリーダーシップとフォロワーシップが求められるのではないのでしょうか。
自分でできることは備えることだと思います。私は今は無知なので、今はいろいろ調べ中です。
自分に出来ることを精一杯にし、「チャレンジド」の意味を本当に理解することではないでしょうか。
私達人間は、天災の前にあっては、無力なのだと痛感させられます。
でも、試練は乗り越える為にあり、また、乗り越えられる人に与えられる
とも聞いた事があります。
私達は試されているのでしょうか?
だとしたら正に「チャレンジ」の時なのかもしれませんね。
ひとりひとりの小さなチカラが結集すれば大きな結果をうむんですね。
こういう事を乗り越えて、みんな強くなっていくのだと思います。
1番クリアーが難しいフェンスは、偏見という心の垣根かもしれません。
ハンデは、「持っているもの」です。個性の一つということだと思っています。
アメリカには、AAMRの定義がありますが、日本はまだ確立さえしておらず
福祉先進国に比べて意識もまだまだで、チャレンジしている方の後押しができないのは残念です。
そうですよね、気持ちを引き締めて一つにすれば大きな力になるはずです。
この震災を転機に、原発再建ではなくソーラーや風力発電に変換していただけないかと願っています。