Nicotto Town


TANA☆BEのあたまンなかは…


あの日から①

3月11日から今までの間まとめようと思ってもなかなか
まとまら無かったので、先送りにしてき
たが、出来事を記録しなければならない気がするので、ここで記録しておこうと思う。

3月11日朝
通常通りの朝、この日はママの実家から、孫の顔を見せて
いない状況だったので、行って顔を
見せる手はず。
 ママはまだ運転ができないので、病気療養中で年末から実家に
帰って来ている私の弟に運転を
任せる。

3月11日2時ころ
遅番が来るので、管理の仕事が任せられると思い、新しい金型の製品搬出口改良のため溶接作
業を始める。
 一時、手を止め、各ラインの確認をするために道具を一時撤収し
ライン見回りに出る。

2時47分(地震発生は46分だったと記憶しているが、
手元の時計は47分だった)
 今まで聞いたことのない、“地鳴り”がする。音が3~4秒続いたのちに揺れ始める。
 最初はゆっくりと小さく、約2秒後、本揺れが始まる。
幸い、周りに物がないところに立っていたが、重量物を扱う工場なので、下手に動くと材料の
下敷きになる。
 天井を警戒しながら、しばらくサーフィン状態で立っている。
 そろそろ収まるか…と思い動こうとしたとき、さらに大きな揺れが始まる。
 さすがに身の危険を感じ始めた時、向こうで呼ぶ声がする。
でも、その方向には、倒れそうな材料と、機械が2台。
どうしたもんかなー、と悩む。呼んでる向こう側は事務所などの
敷地で、建屋の天井が吊って
いるだけだから、そっちも危ない。
 揺れはどんどん激しくなっていく、約15メートル上の水銀灯が踊り狂い、もうすぐ落ちそうな
勢い。時折、どこか断線するのかチカチカ瞬く。振り返って非常口を見てみるととっくに製品が倒れて通行はできない。
 意を決して、呼ばれているそのルートから避難。
ギシギシ揺れる建物の中を頭を庇いながら進んでいくと、外に出る頃には揺れも収まっていた

 人数を確認し上司に報告。全員建屋からの避難を確認した後、数人単位ででロッカーの中の自
分の貴重品を取りに行かせる。
 10分おきに大きい揺れ。生まれて初めて余震というもの体験する。

 派遣、パートを家に帰し、社員だけで、工場建屋内をチェック。
余りにすごい状態にあっけにとられる、1t近い材料や金型が見事にずれている。落ちなかった
のが不思議なくらいだ。

 棚を確認すると軽い50Kg程度の金型が落ちていた。重さが幸いしたらしい。

 余震が続き、非常に怖い状態だが、ずれている金型をそのままにしておけず、これ以上落ちることがないように、クレーンで床に
直置きする。
 作業をしていると、家族が心配になってくる。家は、家族は、子供たちは学校だ。
 学校もどうなっているか分からない。

ママもみつきを連れたまま実家だ、そこもどうなっているか分からない。
作業を終えるとすっかり5時を回っていた。

帰り道のほうは、異常が見当たらなかった。
でも所々瓦屋根がすっかり落ちているところもみられ、ただ事ではない。
 いつもの曲がり角を曲がって、家が見えた時の安堵感は
生涯忘れることができないだろう。

 帰って家に入ってみると、全員無事。
“その時”の報告会をする。
 その時、家の母上が何かを感じとり、スタンドに灯油を頼む。
この行動が、家の明暗を分ける決定的な判断になるとはだれも思わなかった。

テレビでは、考えられないような映像が次々出て来る。

とくに田畑と近隣の民家を押し流しながら進んでいく津波の映像は恐ろしかった。

見慣れた景色が無残になったところも映っていた。

去年、泊った気仙沼のホテルがすっかり火の海になっていた。

子供のころ、よく海水浴に行った浜が無くなっていた。

これで、今回の地震がただならぬ事態であることを、ようやく知ったのだ。

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2011/04/07 14:14
自衛隊やプロの救援から、やっと一般ボランティアの方々が
ご活躍の時期に入ってきましたね。
未だ避難されている方々や、住む場所を失ってしまった被災者の方々には
義援金が届かない状況とか…気が急いてしまいますね><

北海道にも、福島産の加工食品や野菜等入って来ていますから
(今日お米を購入できました^^/)
現地の生産者さんや流通は動かれているのでしょうね^^

お子様達は新学期をお迎えになれたのでしょうか。心配です。
どうかお元気で、通勤通学されていますように。
応援しています。
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2011/03/25 20:15
無事で何よりです。

日本はこれからどうなってしまうのだろうか。。。。
このごろそんなことを考えてしまいます。
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2011/03/24 15:23
あの日から日本は変わってしまったと思います。
ご家族の皆様が本当にご無事で何よりでした。
あの日から10日以上が経過しましたが、まだ復興へ向けて、力強く踏み出すまでに
至っていません。
日本が受けた傷、そして被災者の方が受けた傷口の深さに、本当に言葉もありません。

何かを表現する事で気持ちが昇華される事もあると思います。
ゆっくりでいいので、TANABEさんのお気持ちを綴って下さい。
また読みに来ますね。
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2011/03/23 09:43
思い起される作業は心重い事と思います…
ここまで拝読させて頂き、本当に惨い災害と感じます。
作業所が倒壊や炎上を避けられて、ご無事で何よりです。

小学校は多分全国一緒かな…北海道も丁度下校時間だったのですが
あまり揺れや被害の無かったこちらでも、心配になり迎えに行きました。←先生と旗もって帰って来た。
当時のTANABEさんの、ご家族へのご心配お察し致します。
(家族には、学校は避難所なのだからと言われましたが、やっぱり心配でね^^;)

地形の変わる程の災害。
まだまだ長く復興へ向けて戦わねばなりませんが
心は皆共にあります事を。
書き記される事応援しています。ゆっくりでも^^。
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2011/03/22 05:54
とにかく、何かに残したいとの思いで始めています。
いつもと文体が違うのはご容赦願います。

現在進行形ですが、何か記録しておかないと、きっと後悔するような気がします。
そんな思いで始めました。

子供たちの事も書きたいのですが、ともかく綴っておかないと、“気持ち”が伝わらないと
感じたからです。

Necolabo様>
この震災は、きっと日本の隅々まで何らかの影響があるぐらい激しいものでしょう。

ましてや近隣ですので影響が大きいと思います。

YOUとよっちーは下校時間に入る直前で2人とも教室にいました。
YOUは上履きのままで帰宅。
ママ・みつき・弟組実家で茶箪笥に押しつぶされそうになったところを逃げたようです。
母は強し。
帰りに子供二人を回収して帰ってきました。

あるる様>
ともかくご無事で何よりです。
“あの日”からお目にかかれなかったのでとても心配しておりました。
あるる様のブログも拝見しています、きっと何かを残しておかないと、
気持ちが進まない気がするのは確かにそうです。
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2011/03/21 22:26
このブログを読んで また“あの時”のことを思い返しました><
私もブログを書きましたが、1回じゃ書ききれない・・でも、なんか整理できない・・・
そんな思いでいっぱいです
でも書くことで何か残したい、すっきりしたいと思い書き始めました
書くことで TANA☆BEさんが何かを昇華できますように。。。
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2011/03/21 22:11
とにかく全員ご無事でよかったです。
あの日からら、埼玉の私でさえ、生活が一変してしまいました。



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