「安全側」の考え方について
- カテゴリ:ニュース
- 2011/03/22 19:07:13
「安全側」と言えば、理工系の人は馴染んでいて、すぐわかると思いますが、知らない人は全く知らない言葉だと思います。
それだけに、誤解しやすい言葉でもあると思います。
なので、以下、慎重に読んでください。
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理工系の人にはなじみのある考え方「安全側」。
例えば、小さな建物で、狭い通路など、そうした建築を設計するとき、どんなドアを設置するか。
狭い通路なので、扉の開閉で出会い頭にぶつかるといった危険が考えられます。
観音開きなどの、蝶番で回転するような扉は、通路へ板が飛び出してしまいます。
「引き戸」にすれば、通路に扉が飛び出すことも無く、安全性が高くなりますね。
一方、引き戸の欠点は、壁の面積を戸板が使ってしまうことです。
壁に明かり取りの窓をつけたくても、付けられないといったこともあるでしょう。
でも、「明かり取り」と「引き戸」を比較して、どちらが「安全」か、と考えれば、「引き戸」を優先するべきでしょう。
これが「安全側」へ物事を考えるということです。
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3月22日現在、農作物に放射性物質が付着して、問題になっています。
報道を通して聞こえる言葉は、
「暫定基準値を超えています。でも、食べても安全です」
といった説明ですね。
人によっては、これを「基準なのに暫定とか、超えてるのに安全とか、矛盾だ」と言っている人もいます。
報道によって言葉が違うのも困りもので「暫定規制値」と言ったりもします。
複数の語が出回っているので、よけい矛盾を感じる人が多いでしょう。
しかし、僕は矛盾を感じません。
そもそも、ここで言われている「基準」は、「行政が何らかの行動をする」ための基準で、工学や医学での基準とは無関係です。
「規制」も、行政がなにか行うという意味ですから、工学、医学と違います。
工学、医学の方向から考えると、「行政の基準値」は、かなり「安全側」へ設定した値です。
行政が調査を行い、その結果、いくつかのデータが集められて、その値をみて、対応を考える。
何らかの事故が起きる前に、行政の対応が間に合わないといけませんから、行政の「基準値」は、余裕を持って設定されます。
法律など作るとき、よく「専門家による委員会が設置された」なんてニュースがあります。
これらに参加する大学や研究機関は、「安全側」へ数値を見積もります。
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「安全側」の考え方になじみの無い人には、現在報道されている内容がわからないと思うし、対応もできないと思います。
報道記者がわかっていない、とも、僕は感じます。
福島原発事故で、多くの情報があふれ、何を信じるべきか、判断に迷うところでもあります。
しかし、「全て信じない」などというのもバカげた話です。
情報の厳密さは不透明ですが、まだまだ余裕があると見るのが良いと、私は考えています。
流れている情報に対して、その「真偽」を判断するのは、人それぞれです。
僕としては、多くの人がなじみの無い言葉に振り回されていることを危惧しており、その人たちに、報道とは違った側面の知識を提供することが目的です。
政治について、この記事でふれるつもりはありません。
行政に対する不安は、、募るばかりではないでしょうか?
地震の震度も、改ざんされています。。
情報公開よりも、、隠蔽の方が、、多い様に感じます。
そもそも、、その昔、、東電は、原発を造る事に、反対だったそうです。
今となっては、、その当時の関係各位は、故人になっていますが。。
想定外の一言で、、逃げようとしているように感じてしまいます。
1995〜6年に、出された書籍を、私のブログで、紹介しています。
いかったら、、あ、、よかったら、、覗いて視て下さい。