招き猫の闘病記 ~Another Story~
- カテゴリ:小説/詩
- 2009/04/10 08:30:00
入院中、ひとりのおっさんと友達になった。
30になったばかりの私は、9時消灯、6時起床という入院生活では、退屈な夜を過ごす事が多かった。
抗がん剤投与後、体力が回復した私は、カミさんが差し入れてくれたインスタントコーヒーを淹れて、見舞い客用の待合室で一人で読書などをして夜を過ごした。
私が一人の夜を満喫していると、よくおっさんが邪魔をしに来た。
「若旦那!寝むれんのか?」
「やあ、おっさんもでしょう?」
「おうよ。こんなに早く眠れるかってんだよな~。早く家にかえりてーなあ。」
「もうすぐでしょ。ひっくりかえって待ってりゃあ帰れるって。」
「旦那はいいぜ、俺ぁ老い先短けーからよ。」
「またまた、何言ってんの!。」
旦那、おっさん、と呼び合う仲だった。
おっさんは「帰りたい」と口癖のように言っていた。
実際、私より数ヶ月入院生活が長かったから、帰る順番はおっさんの方が先だろうと、私は思っていた。
おっさんは自分の病名を「胃潰瘍」と名乗っていた。
「胃をほとんど取られちゃったからよ、メシ食えねーんだよ。まいったよ。」
私はおっさんが少し痩せているのが気になっていた。
おっさんは大部屋にいた。
同室の患者さんともおっさんは楽しそうに話をしていた。
入院中は病衣姿だったが、私服ならばダンディーなおっさんなのだろうな、と私は思った。
確かにおっさんと話していると、私も楽しかった。
野球、仕事、政治、金、女、人生の先輩として、おっさんが話してくれる事は、どれも的を得ている事ばかりだった。
ある夜、やはり私が夜の読書を楽しんでいると、いつものようにおっさんが訪れた。
しかし、おっさんの姿を見て私はギョッとなった。
おっさんは病衣をまくり、その腹を私に見せた。
「旦那、見てくれよこの腹。」
「おっさん、どーしたんよ!なんだよその腹・・・。」
「腹水だってさ。コイツが鬱陶しくてねむれねーんだよ。明日抜いて貰う事になってるんだけどな。」
「こんな所をうろちょろしていていーのかよ。」
「大部屋、暑くてよ。ここは涼しくていいなぁ。ここで寝ようかな。」
「風邪ひくって。」
「帰りてーな。早くよお・・・。」
「ハハハ、そればっかやん。」
翌日、おっさんは私の隣の個室に移された。
個室に移ったおっさんは、以前より出歩かなくなった。
そのお陰で、私は一人で過ごす夜が多くなった。
ある日、おっさんの部屋の扉が空いていた。
看護師さんが、なにやら処置をしていた。
少し離れて部屋を覗くと、おっさんは横になってこっちを見ていた。私は軽く目配せをした。
確かに目が合ったはずなのだが、おっさんは私の目配せに反応してくれなかった。
おっさんは無表情な顔で、目はうつろに開いていた。
その日の夜、いや、翌日の朝方だったろうか。
ふと目覚めると、おっさんの部屋でなにやら忙しく看護師さんが処置をする音が聞こえた。
担当医も来ているようだった。慌しい足音と、小声で指示をする担当医の声が聞こえた。
夜が明けると、おっさんの部屋の名札は、外されていた。
部屋は何もなかったかのように、新しいベッドにシーツがたたんで置かれていた。
明るく、穏やかな病室がそこにあるだけだった。
私が思っていたように、おっさんは私より先に、病院から出て行った。
私が思っていたのとは、違う形で・・・。
帰りたいと口癖のように言っていたおっさんは、とうとう家に帰る事は出来なかった。
今となっては、おっさんの名前や、どこのどういう人なのか、知る術もない。
只、おっさんの人生で、私が最後の友達になった事は、紛れもない事実である。
おっさん、そっちでは楽しくやっているかい?
少し年を食っちまったけど、俺はいつまでもおっさんの友達だからさ!。
招き猫の闘病記・・・完
special thanks to
コメントを頂いた皆さん
私の入院の時も、本当に帰りたかったですね。
妻も、いってしまう直前まで帰るんだと行っていました。
時はちょうど夏休みでした。
8月中に、例え5日でも3日でも、息子と夏休みを過したいと。
その希望は叶えられる事は無く、7月25日、8月になる前にいっちまいました。
帰りたいんですよね、家に。
狭くとも、汚くとも、散らかっていようとも、我が家なんですね。
自分のものでない布団やテレビ。
食事をしても、借り物の食器や箸。
長く入院していると、それら全てが気に入らなくなります。
せめて、家族がいてくれれば・・・
だからあんなにも、家族が来てくれる事が嬉しいのでしょう。
私が入院していた時、妻は猫の写真を拡大して持ってきてくれました。
病室の壁に貼ってくれたんですよ。
妻が入院していた時、私はノートブックPCを買ってあげました。
おまえさんのだよ、と。
これでテレビも映画も観放題だよ・・・。
少しでも、家と同じように、環境が近づくように・・・。
私たちはお互いが病気をしましたから、気持ちが良くわかってたんです。
ぷっちょさんのお母様もお婆様も、精一杯を感じていたと思いますよ。
ただ、それを感じるのもまた、患者として淋しい時もあるようです。
病気はやはり辛いです。
それは患者本人も、そして家族も・・・。
特に、帰って来れないかも知れない病気は特にです。
祖母も
ここは寂しいのよ
帰りたいのよ
と言って
逝きました。
母は動かせない状態だったからしようがないし
父が亡くなるまでの3ヶ月、母と共に病院暮らしをしましたので
寂しくは無かったと思います。
祖母は、頑張れば私の家に連れて来れました。
高齢で治療はせずその時を待つだけだったから。
私の具合も良くないので
24時間の介護士さんを頼むとか
色んな物を用意するとか
大変な準備がいるんですけど
出来ない事は無かった。
せめて娘を連れてお見舞いに行くのを日課としました。
3歳の娘が「もう帰る~」と言い出すまで祖母と遊ばせていました。
3ヶ月ほどで祖母は逝ってしまいました。
どのくらい続くのか、その間私の身体が持つのか…
それが心配でためらっていたのですが
3ヶ月くらいなら頑張れたな、と思うと
悔しいのです。
お返事遅くなりました。。。
私だって入院中はいつも思っていました。
帰りたいって・・・。
家にいるとどこかに行きたいって思うくせにねぇ・・・。
そうですかぁ、魔女さんのお父様も・・・。
魔女さんのコメを読むと、妻を想わずにはいられませんでした。
私は妻の亡骸を迎えに、業者さんの車に同乗しました。
さぁ、帰ろう・・・って思ったんですよ。
もう辛い闘病も終わりだって・・・。
帰ってきた妻の顔がですね、笑ってるんですよ。
帰って来れた事を、本当に喜んでいるみたいでした。
妻は我が家に一泊だけして、葬儀場に向かいました。
たった一晩だったけど、妻は帰って来れました。。。
魔女さんのお父様も、そして私の妻も・・・
病院ではなく家で最期を迎えたかったでしょうね。
全ての人が、きっとそう思うのでしょう。
そんな希望はきっと、叶えられないのでしょうね・・・。
お返事遅くなりました。。。
そうですかぁ、10年も前にお父様を・・・
まだお若かったでしょうに。
勿論ご本人も無念だったでしょうけど、残された家族の方にとっても大きな悲しみが残った事でしょう。
いつまでもお父様の笑顔を、覚えていて差し上げてくださいね。
きっとアルビレオ☆さんを守って下さると思います。。。
お返事遅くなりました。。。
本当にこの言葉は切ないですね。。。
まるで口癖のように言っていましたから・・・。
きっといつかは帰れるって、信じていたのでしょうね。
今はきっと、安らかな時間を過ごしていると思います。。。
お返事遅くなりました。。。
はい、おっさんの最後に出来た友達は、この私です。
選ばれたんですね、私は。
このような体験も、滅多に出来るもんじゃありません。
いい経験をさせていただいたって、今は思いますよ。
だから私は、忘れないんです。
その為にも、こうして記事を書かなきゃって思いました。
そそ、きっと良かったんだって、私もそう思います!
お返事遅くなりました。。。
いや、入院するとですね、例え数分でもいいから帰りたいと思いますって。
私はいずれ帰れると解かっていましたが、それでも帰りたかったです。
おっさんは帰る事が出来ませんでした。
それがかわいそうだったですね。
きっと信じていたんだと思います。
帰れるって・・・。
たくさんの記事にコメントありがとっ!
そうでしたかぁ・・・
私のこの記事にかぶる体験ですねぇ。
きっとさぶさんの声は、届いていますよ。
看護師さんに聞いた話では、一生懸命に看病すると大抵ご家族の誰かと間違われるって。
辛いですね・・・人が亡くなるって。
妻はステルベンを見るのが嫌で、勤務部署を透析室を希望しました。
なんか解かる気がしますね・・・。
お返事遅くなりました。。。
長い長い記事を読んでいただき、ありがとうございました!
そうですかぁ、泣いていただいたんですねぇ・・・
まぁ、私も既に身体に悪い事をたくさんしてまいりましたので、保障は出来ませんが・・・
息子のためにも長生きしてやりたいですね~。
がんばります。。。
お返事遅くなりました。。。
生きる事も勿論奇跡だけど、生命が存在する事だって奇跡だと思うんだ。
せっかく得た軌跡だもの、大切に使わなきゃね!
お返事遅くなりました。。。
長い記事でしたねぇ~。
合計5回も続いてしまいましたぁ・・・。
まぁ、私のように長い事生きておりますと(年上の方はいないと仮定して)、色々な事がありますよ。
ゆきにぃもいろいろと体験してるじゃないですか。
まぁ、辛くても生きてりゃ何とかなるって、こういうお話を読んで少しは感じていただけたら幸せです。。。
文才?
誰の?
私の中坊の頃の国語の成績を見せてあげたいです。。。
お返事遅くなりました。。。
いや~読んで頂きましてありがとうございました。
そしておっさんのために涙を流していただきまして、重ねてありがとです。。。
いえいえ、そんな事はありませんよ~。
人の価値観も、その時の状況で変化するものだと思います。
今、miriさんが真剣に悩んでいる事は、今のmiriさんにとって重大な案件かと思います。
ただ、この記事をご覧になったmiriさんが、ご自身のお悩みを軽減させる効果があったとすれば、それはそれで嬉しいです。
ひまわり・・・本当に大きな人でしたねぇ。
その事を伝える事が出来たのも、本当に嬉しいことです。。。
父を最期に家に帰したくて、できる限りの努力をしたつもりでしたが
とうとう、かないませんでした。
きっと、まだまだ努力が足りなかったのだろうと申し訳ない気持ちから
今もまだ抜け出せません。
病院から葬祭場に向かう車に
お願いして家に寄ってもらいました。
先導していた兄が運転する車に同乗していて
遠いんですよ・・・いつもの道が10倍くらい
明らかに遠い
兄と同じものを見ていることがわかり
父のメッセージであることがわかりました。
ゴメンネ、こんなに遠かったんだ・・・・
家に帰る・・・かなわない場合の方が多いのかもしれませんが
本当に切ない、心からの願いです。
最後の入院は約2か月。もう手遅れで、手術も出来ずに...(-_-;) 肝臓癌でした...
24時間点滴、おなかに腹水がたまって.. それでも、前日まで会社の人に来てもらって、仕事をいました。
夜中に急変して..あんなにさびしがり屋だった父が、個室で誰にも看取られることなく... 悪い事をしました。
おっさんの話を読んで、父を思い出しました。
せつないですね。
胸の奥が痛いです。
おっさんの存在って大きいのでしょうね
おっさんにとって 猫さんはもしかしたら最期に出来た友達なのかな
奇跡的な確率で二人は出会えて、、、
きっとよかった。。。(#^.^#)
本当に本当に心の底から帰りたかったのでしょうね
悲しいですね
最初は大部屋にいて、次は個室に移って。
元気で少し口が悪かったおばあちゃんだったのですが
自分の病棟でわたしが働いていることが分かって喜んでくれていたと思います。
個室に移った頃にはもうわたしのことが分からなくなっていたようですが、毎日話しかけてました。
また庭でたくさんお花を育てるおばあちゃんに会うことは出来なかったけど
おばあちゃんにはわたしの声聞こえてたかな。
涙が止まりませんでした。
キアヌ君のためにも、ひまわりさんの分も、招き猫さんは長生きしてください。。。
きっと生きてるって それだけで奇跡かもしれないって・・・
いろいろな、出会いがあったんですね。
ほんと、考えさせられる、シリーズでした。。。
おもしろくもあり、為になる記事。
ねこさんの経験も大きいのでしょうが、
なにより、その実体験を上手に表現してくれました。
前から思っていたんですが、ねこさんてかなり文才がありますよね。
うらやましぃ。。。
おれは、全くだからなぁ。
ってか、国語苦手!
読みましたよ~
途中辛くて涙で文字がぼやけたりもしましたが・・・
なんだか
招き猫サンの日記を読んで自分がとっても贅沢なんだと
アタシノ悩みなんて
些細な事でちーーーとも辛い事じゃないんじゃないかなぁって
今こうして元気に働いて毎日が過ごせるんだから感謝しないといけないなぁって
当たり前のことなんですけど・・・そう思いました。
ひまわりさんの存在は偉大ですね^^
全部読んで下さったんですか!
長い記事を、どうもありがとうございました。
そうですかぁ、肺結核・・・
いま話題にのぼっていますよね。
大変だったでしょう?
普段は忘れがちな健康の大切さや有難さを、読んで下さった方にお伝えできればと想い
この記事を書かせていただきました。
kmikirinさんにも何かがお伝えできたようで、とても嬉しく思います。
どうもありがとう!
私は中学の時から肺結核で2回入院していて、弱かった自分を思い出しました。
今は健康でそれが普通になってしまっているけれど健康のありがたさをもう一度かみしめました。
貴重な体験をありがとうございました。