Nicotto Town



どうぞ。いろんな事を話してくださいね。

都会である神戸から少し西に行くと須磨海岸がある。
JR須磨駅のホームに立つと、砂浜と海が間近に見える。

夏には海の家が立ち並び、風景は寸断されるが
秋になると、また静かな波音が戻ってくる。

夜が深まった頃、タクシーを降りた神戸市職員の男性は
暗い砂浜に歩いて行き、全身に灯油を被って自ら命を絶った。
阪神大震災があった秋のことだった。

住宅担当だったという。連日、被災者の対応に追われ
不満や、いろいろなことをたくさん抱えて悩んでおられたという。
連日の休みもない中、非日常的あ業務に忙殺されていた。
きっとまじめな方だったのだろう。

須磨駅を通過する電車の中で、暗い海を見つめながら
わたしは時々、彼を思い出していた。
それも、いつしか忘れていた頃、
この大災害が起こった。

直後に神戸市職員がボランティアとして現地入りしておられた。
風景を見て、泣いておられた。
神戸より酷いと。。

安否不明者が1万8千人以上、身元の分からないご遺体もある。
顔の判別すら難しいという。
普通の人なら耐えれない状況だという。
しかし、確認しに来られた方々は、お一人お一人
凝視して帰って行かれるそうだ。
なんとしても探しだしたいという想いの方が強いのだ。

わたしなら、うん。やっぱり淡々と同じことをするだろうと。。
泣くこともできない空虚さに押し潰されまいとしながら。

火葬が間に合わず、集団で土葬する現状も起こっていると
知っています。
捜索に当たる自衛隊、警察の皆さん、市職員のみなさん
決して忘れる事の出来ぬ情景を胸に落とし込み
この3週間を過ごしておられるのだ。
彼らの心を思うと、とても切ない。。

そんな被災地におられる人からコメントを戴きました。

慰霊碑や、墓石、埋葬についてでした。

泣く余裕すらなく、ひたすら頑張るしかないご様子です。

暗い話題に遠慮がちでおられました。

どうぞ、お話しに来てくださいね。
あなたの今ある辛い状況を、悲しい出来事に
押し潰されそうになった時、少しでも思い出してくださいね。
わたしは、読むことしかできません。
それでも語ることによって、少しは気持ちが楽になることもあると
わたしは思っています。
自分の経験から。

わたしを来訪してくれる方々も、きっと同じ気持ちだと思います。

国難クラスの災害を前にして
たくさんの亡くなられた方々を想い
同じとは、とても言えないけれど、共に泣き、悼み
そこから少しでも学ばなければ。
この国で起こっている辛い現実を見据えて行くつもりです。

でも引き摺りはしません。
西日本が頑張らないといけない気持があります。
日常を取り戻します。
元気でいなければなりませんから。

そして忘れないように
あなたの話に涙します。

泣いて、笑って、両方あるのが生きるということだから
泣いたままじゃないって信じています。

神戸は長い時をかけて復興しました。
15年の歳月を経て、慰霊碑「希望の灯り」に辿りつけた
娘さんを失ったお母さんがいました。
ようやく来れたのだと、たくさん泣いておられました。

どうぞ、心が折れそうになったら
話にきてくださいね。

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2011/04/12 22:58
さきもりさん

ごく普通であっても、生きるのは大変だと思います。
だから人よりハンディキャップがあるならば、きっと何倍も思い悩むことでしょう。
辛いことも、影響を受けやすい感受性の高い脳部分が人よりも多いなら
とても悲しい想いをされたことでしょう。

生きるって何でしょうね。
死にかけて、腹を見せながら浮かんでいる魚
それでも必死でもがいています。
どうせダメだもの。
楽になればいいものを、どうしてあんなに抵抗するのだろう。

橋の上から見ていたことがあります。
たぶん、生きる、ということが、もがくことと同じなんでしょうね。

生まれてきたからには
己の生を全うしなければならない。
それは、人ではなく、自然界のすべてに教えられることが
多いような気がします。

人は精神的な部分が非常に大きく左右する生きものです。
だから、幸せとはということに重きを置くことは仕方がないことなのかもしれません。
そうして、心というものは常に変わり続けます。

さきもりさんが遭われた理不尽な出来事
そんな中にあっても、優しい心を失っておられないと
わたしは思っています。

誰かを守って行こうと思う気持ちを持ち続けていることや
幅広い知識や、思慮深い考え方
それらが、さきもりさんであり、またそれが
さきもりさんを苦しめ続ける脳の中にこそあるんですものね。

人はみんな孤独です。
孤独だからこそ、問いかけ、繋がりを欲し
そして考え続けるのでしょうね。

さきもりさんもこの世界で唯一の個性。
優しい知性の持ち主だと思います。

醜い知性の人は溢れかえっています。
東電の社長の有様はどうでしょうか。。

ままならぬことばかり、
ご自身の体調も非常にお辛いでしょうね。

生きるとは過酷です。
でも、きっと、そんな中にも
美しさは存在するのではないか
さきもりさんはそれを感じる力を失ってはいない
そう願っています。

お大事にね。
ご自身を抱きしめてあげてください。
温かいミルクを飲んで。。

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2011/04/12 14:01
ちょと関係がないけれど、消してもらってもいいです。返信も要らないよ。

σ(・・*)、この歳まで生きていること事態が奇跡みたいなもの。

生まれる前から何度も死に掛けて、生まれてからも何度も・・・。

大学でうまく行かず、論文パクられたり、ノートが消えたり。

異常頭脳だといわれました。考える部分が、平均の30倍近いらしい。

だからパニックにもなりやすく、答えを出すのが遅れる。反射に弱い。

熟慮は強いらしいけど。 それを押さえるのに、薬を飲むから今度は甲状腺。

生きる、って言うことが、こんなに辛い。だからって、死ねば楽なわけも、補償も無い。

漫然と生きています。 

強制的に命を奪われるのは悲しい。

運命だと、人は言うかもしれない。だけど、それなら抗ってやる、と思っています。

異常頭脳にした神でも悪魔でも、ケンカしてやる。

ご存知かもしれません。リヒテンシュタイン公国。ドイツとフランスの間の緩衝国。

同時に両国の保護国。 ここの王様。 あの辺はロワール地方で 「フォン・ロワール」伯爵が

王様の時代、戦争が絶えないあの土地を、両方に下るという決断で、国を生かした偉人(?)

「自らの運命を決めるもの、それを人間と呼ぶのだ」

死にたくなったら、三度つぶやいてみる。まだダイジョウブみたいです。

(=^. .^=) m(_ _)m (=^. .^=)
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2011/04/08 14:54
亀吉さん

キャパがね、あるものね。。
わたしも毎回は訪問が無理になってきています^^;

亀ちゃんはたくさんお気に入りがあるから
それだけ大変でしょう。

コミュニケーションは双方向なので、お互いに何かを感じ合うことも
とても大切だと思います。

人の縁と相性は、出会って、良い所を認め合い
引き出し合うことが、長続きする関係かもしれませんね。
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2011/04/08 14:51
瑠偉 さん★コメントありがとうございます。

農地再建や風評被害などで
希望を見失ったんだろうね。
それでも、残念だったでしょうね。遺された家族の方々も。。

お亡くなりになったのね。。
今回の地震はけが人が少ないのが特徴のようですね。
津波に巻き込まれるかどうかで、生死がくっきりとしているようです。
それにしても、悲しい出来事です。
どれだけの方が同じように辛い想いをされたことでしょう。。

埋葬もきちんとできない、そんな状態のようですね。
のちに慰霊碑などを建てることで、癒しとなってくれるように祈りっています。

阪神大震災の時の生まれでした^^
そう。失われた命もあるけれど、
新しく生まれ出た命もある。
辛い現実はあるけれど、希望を忘れずに進んでいってと
心より願っています。
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2011/04/08 01:56
以前の自分のブログを開けて、最近音信ない人を訪問してみました。
呟きやブログの更新で、安否確認してきましたが、
更新してなくても、コーディネイトが最近のだったり、
服も呟きも1年以上前で更新してないのに、あれ?水遣りが出来る人がいたり^^
ちょっと面白かったですよ。

今日は、私が幾度なく伝言したり、チャットでも励ましたりしてるけど、
その時は前向きな返事してくれるけど、それ以上成長する気のない人。
2年以上友だちだったけどバッサリ。置いていくことにしました。。。。
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2011/04/08 01:54
今回の震災でも、農家の方が自殺されたと
ニュースで知りました。
助かった命です。捨てないでほしかった。

ニコッとのお友達の旦那さんが津波により
お亡くなりになられました。溺死です。冷たかったのに、
火葬がいつになるか分からないらしく、まだ雪も残っている
山頂に土葬されたそうです。

私は阪神大震災の年に生まれています。
なのでこのような震災は本当に生まれて初めてなんです。
伝えていかなくてはいけません。次の世代に。
だからこそ、私たちがこの現実と向き合い続けることが
大切だと思います。
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2011/04/06 23:13
ライダーさん★コメントありがとうございます。

あまり親しくはないのですが、親戚の方が亡くなった時
火葬場がいっぱいで、大阪のはずれまで、3時間かけて延々車で行ったそうです。

確かにそんな規則はあったようですね。
友人は直接の肉親だったので、トランクに隠して運んだと。。
非常事態だから、黙っていればわからないと。。

被災地からのお話ですが、火葬ができず
集団で土葬などになっているようですね。。

わたしも、どんな形でも、確認できれば、すでに悲しい結果でしかありませんが
納得がいくだろうと思うのです。。
見つからないのは、あまりにも辛いです。。
避難所を後にできない理由の一つであるようですね。。

阪神の時が最大だと思っていましたが
軽く超えてしまい、なんともいえない気持ちです。

ライダーさんは二度も辛い想いをされ
お辛かっただろうとお察しします。。

やはり、どんなことでも話すことで、少しは心の重荷がとれる
そんな気がするのです。
実は、そんな被災地からインされる方がいて
厳しい精神状態ではないかと危惧しております。。

何ができるわけではありませんが
少しずつでも、お話してくれたらなぁとは。。思っているのですが。。
今回はあまりにも甚大な被害。
厳しいですね。。
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2011/04/06 22:59
阪神の時も荼毘に伏すことが出来ず
車に乗せて大阪に来たら尼崎で止められて
自家用車に遺体を乗せて移動してはいけないと警察に止められ
杓子定規に規則ですからを繰り返す警察に言葉を失いました。
今回も同じです故郷にお墓が有るからそこに持っていきたくても
火葬にできずお骨を持って行けないのです
まだ行くえ不明の方が1万人以上
どんな形でもいいから肉親に会える日を祈ります。
生死不明のまま探し続けるよりも良いのではと思います。
私は変わり果てた姿でも見つかってよかったと思いました。
とりとめの話でごめんなさい
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2011/04/05 15:18
アッシュさん★コメントありがとうございます。

須磨公園、山と海が近い地形が神戸の地形ですよね。
須磨浦辺りは、桜が咲き始めましたヨ。
行ってないんだけど^^;きっとそう。
こちらでも桜が五分咲きになってきましたものw

実体はまだ見えてこない部分が多いのですが
知れば知るほど、被害の大きさに愕然としていくものだと思っています。

政治家たちも、一度は現地に行き、
被害の甚大な風景を胸に落としてから復興支援や街づくりを
考えて行くべきだと思っています。
何も見ずして、間接的な情報のみに頼ったやり方では
被災地とのかい離が起こる気がします。

ニュースも減って、日常が戻ってくる。
それはそれでホッとする部分があるものの
ある種のやりきれなさが、胸に残ります。
自分のできることをささやかでも、継続的にしてゆくことでしょうね。
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2011/04/05 15:01
亀吉さん★コメントありがとうございます。

メンタルケアは本当に大事になってきますね。
これから。。東北の方は我慢強いというか、そうそう進んで
お話にならない感じがします。
いろんなことを少しでもお話になると、心が僅かばかりでも軽くなることが多いので。。

亀ちゃんは具体的に自分のできることを考えているのですね。
あるお菓子屋さん、ケーキなどを販売しているのですが
パティシエを被災地から雇いたい、住居も提供しますとの募集をHPで
見かけたことがありました。

とりあえず今度は生きて行く為の個々の闘いとなってきますものね。
何もかもないので、本当に、個々の小さなグループや個人になら
提供できる物があるのだけれど。。
フリーマーケットみたいな感じで、欲しい物を選んで貰うとかね。。
これには人手とルートが必要ですね。

まず、落ち着く先が必要です。。
亀ちゃんはちゃんと提供しようとしているので、立派です。
とにかく、被災地が広域で、一番困っている人への道のりが
一般のわたし達からはなお遠いところが、神戸の震災とは大きく違うところなんですね。
原発問題もあるしね、ことはますます複雑化しています。

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2011/04/05 14:50
歌穂さん★コメントありがとうございます。

お聞きしたいことがあります。
もし、的外れだったお許しくださいね。

実はお弔いについてなのです。

あまりにも犠牲者数が多いためと、火葬場が被害にあったのとで
埋葬が十分にできない状態であるようなのです。
それはニュースでも知っているのですが
満足にお見送りできなかったという、ご遺族の痛みを
和らげる方法が、ささやかでもあるものかなぁ
ということなんです。

神戸ではのちに慰霊碑やお亡くなりになった全員のお名前を
入れる慰霊碑というか部屋があります。

この問題は非常に難しいですね。。
東北の方々は年配者が多いので、どのような言葉が
お弔いの場として、癒しになるのかなぁと。。

本当に的外れであったならば、お許しくださいね。
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2011/04/05 02:28
ゆみさん★コメントありがとうございます。

埼玉から親戚が来ました。
これは震災以前から決まっていたことです。

物がなくなったことや、
毎日、毎日、揺れること、そして停電
順番が夜だったらしく、突然、バチンと消え、暗闇の中に取り残される日々が続くと
神経がまいってくると言っていました。

東京にお住いのニコ友は、満員電車にバックに詰めた
プラスチックのお弁当箱が壊れたそうです。

いろんな報道も相次ぎ、一つ一つは、命に係わるようなこともでなく
些細なことに見えても、重なり、続くと、ゆっくりと消耗してくるのだろうと
察することができます。
ゆみさんは体調がすぐれず、メンタル面でもしんどい思いを
されたことだと思います。

気持ちを落ち着かせるためのぬいぐるみは、いつかどこかで
誰かの気持ちを温めてくれるかもしれませんね。
そんな思いを込めてみると、少し楽になるかもしれないですね^^

そして、今ある自分の不安を、自分だけにとどめること無く
たとえば、アフリカの人々の暮らし
地震じゃなくて銃声だったりすると、と思うと
非常に具体的に想像可能だったりすることもあると
わたしは思ったりするのです。

わたしたちの国を襲った悲劇を、これから起こるであろう事から
やはり、何かを学んでゆかなければならないと思っています。

でも、息抜きも必要。むやみに引き摺ることはいけないと
わたしも思っています。
直接的な被災地にいない人が、わたしたちが
元気でいないと、本当に支援もままならなくなるからです。

だからこそ、今ある日常を大切にして
笑うことも自然体で、自分の日常を取り戻して行くように
努めてゆかねばと、わたしは思っているんです^^
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2011/04/05 02:09
招き猫さん★コメントありがとうございます。

もしも。。が起こってしまった時
偶然を思いますね。

なぜ、助かったのか、その不思議を思います。
一日早かったら、わたしも危なかった。
そんなことだらけでした。

被災地ではもっと、逆の偶然で泣く方々が
たくさんおられるのでしょうね。

そんな時、自分の今あることを
感謝せねばならない
そんな厳粛な想いに捕らわれます。

そして生きている限り
過酷な明日であっても
そんな日ばかりじゃないこともあると
信じていたい
そう願うばかりです。
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2011/04/05 01:58
おおくま ねこさん★コメントありがとうございます。

はい。どうぞ、書きに来てくださいね。

阪神大震災当時、わたしの住む家も半壊状態でした。
古い家でしたが、直前にサッシを替えて、手を入れたのが幸いし
それで、家が崩れませんでした。

実は、わたしの住む地域のちょうど下に震源が走っていたのです。
まだ、住んではいなかったので、被害者がたくさん出ていましたが
面識がなく、痛手を受けるほどではありませんでした。

神戸三ノ宮、西神戸長田辺りは、母方の親戚も多く
遊び場でもあったので、記憶を辿って徘徊していました。

あの店はどうなっただろう。
辿りつくと、瓦礫の中に看板がぶら下がっていたりしました。
三ノ宮は都会なので、ビル建て直しの突貫工事中。
粉塵だらけでした。
家に帰ると喉の弱いわたしは、眠れぬほどの咳に悩まされました。

焼け出さ仮設住宅に住む叔母に会いに行ったりもしました。
街角の噂は、どこにも痛い話が流れていました。

それはすっと流れて行く、車窓みたいでした。
わたしも心の窓をしっかりと閉めて、進んでいたのだと
今になって思います。

各駅停車して、各々の悲しみを見つけていたら
とても自分の降りるべき駅に辿りつけなかったからでしょう。

半壊だった家を建てなおすのは
それはそれで、やはりイロイロありました。
しばらくは自分のことしか考えないで暮らしていたのだと思います。

それは仕方のないことです。
個としての生活再建ですからね。

本当に忘れていいかもしれないという年月がようやく経って
また、この大災害に出会いました。
今度は遠くでした。

阪神間の新聞に
何もできないと、罪悪感に悩まないでください
そんな見出しが、わりと目立つ位置に載っていました。

あの時は何もできなかったが
今回はなんとかしたいが、何もできない
そんな焦燥感を持つ人たちが、神戸阪神間にはたくさんいたのです。

大きな災害は、人知れず癒えることない傷を
潜ませていたのですね。

風景を失う経験は厳しいです。
語ることで少しだけ落ち着くこともあるかもしれません。
だから、わたしも、こうやって話しているのかも知れませんものね。
ずっと先、こんな話をしたと言える日を願って。
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2011/04/05 01:16
タコヤキさん★コメントありがとうございます。

わたしはいつも迷っています。。
どこか過信があるのです。過信は甘さになって
手ひどく、失敗する時があります。

自分のことなら、いたしかたなく、結構、まぁいいや的な感覚があります。
こうやって語り合うことは、相手があります。
相手に違うようにとられたり、一番最悪なのは傷つけてしまうことでしょう。

自分がそうなら、わりと打たれ強いので、大丈夫なんです。これは。。
でも、相手ならば、オタオタします。

そんな繰り返しがあります。
やはり、人の気持ちは分からないとわたしは思います。
それでも、ほんの僅かでも届かないものかと
思いあぐねます。

人は自分の経験から得る言葉があるように思うのです。
ならば、わたしにも、少しばかり届けられる言葉があるのでないか
そこに過信が存在するかもしれないと
それが怖い時があります。

人の話を聴くことも、きっと大事な癒しに繋がると思います。
辛い話をする時に、人はその人に話しているのではない
自分に話しているのだ。
自分の経験から思うのです。

そこにはやはり他者が必要です。
人の心のキャパはそれぞれです。

どれだけの人が辛い想いを抱えて生きて行かねばならないのか
とてもとても悲しいことです。

偶然により巡り合えたこの縁で
リアルでは難しいことも、ネットの適度な距離感が
もしかしたら、ささやかな癒しを可能にするかもしれない。

そんなことを願っています。

少し、訳が分からないレスになりましたね^^;お許しを。
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2011/04/05 00:35
KOOLKATさん★コメントありがとうございます。

まずは嬉しいお知らせから。

漂流物に乗り、海辺を漂っていた雑種のワンコが救出されました。
それが昨日。彼女はとっても元気だそうです。
そして、今日は飼い主さんが名乗り出てくれて、めでたく家族と再会できました^^
嬉しいなぁ。。お母さんの腕に抱かれて家族の許に帰って行きました。

犬は物凄くデリケートで、人の気持ちに敏感です。
愛おしい愛おしい生き物ですね。

9・11もわたしには忘れがたい風景でした。
この事件を境に世界は大きく変わり、米国自身も自由を失ってしまったと
強く思っています。
おいしい韓国焼肉の店があると、ワシントン、ペンタゴンハウスの横を
夜に延々と歩いた思い出があります。あそこにと。。

蛇足なのですが、日経新聞にわたしの履歴書という連載エッセイがあり
今回、ジョージ・ブッシュなのが、とても気に入りません。。でした。。

ニューオリンズは米国で一番行ってみたい街でした。
もちろん、行きました。楽しい思い出の街が大災害に襲われて
もともと貧富の差のある地域だったので、これも胸が痛む風景でした。。

でも、日本は災害による犯罪は非常に少ないですよね。
これは、本当に誇れることですね。。

わたしは阪神大震災の被災者でありますが
クールさんと同じく、災害当時、米国にいた経験から
故郷の人々と共有できない痛みに、ある種の罪悪感を持っていました。

だからこそ、阪神大震災関連のドキュメンタリーは長きに渡り
知る限り見続けていたとも言えます。
ただ、全てが地元ゆえ、話すこともありませんでした。
こうやって語りながら、些細な被害でしかなかったわたし自身にも
なかなか手強い心理があると、知ることができました。

そう思うと、実際に身内を亡くされ、生きる手立て奪われた人々の
痛みはどれほどだろうと、思わずにはいられません。

でも、あの震災で学んだことはあった。
そう思えることもあります。

いつの日か、あの時、あんなことを話したよねと言いながら
復興し、世界に誇れる街として甦った東北の街を見つめてみたい。
そう心より願っています。
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2011/04/05 00:05
KINACOさん★コメントありがとうございます。

神戸で焦土となった土地の近くで働いていました。
接客業だったので、わたしは覚えていなくても、相手が覚えていることが多々。
たくさんの小さな家が密集していた場所もありました。
わたしもそこで、思考回路を止めます。
本当に普通では居られなくなるから。

そんな惨状を思うと、少々の不平不満がなんと甘いことよと
自分を戒めたものでした。
実際の被害家族ではないから、その痛みの重さは
しれたもので、感傷でしかあり得ないのだろうと、思っています。

今もね、まだ救援だと思いますよ。
きっとそう。ご家族の許に帰すことこそ大きな救援かもしれません。
4月にしては記録的な寒さですね。
寒さに救われることもある惨さもあります。

忘れることのできない風景を刻みつけられる時がある
見なかった時に、戻れなくなる。
そんな辛い想いを抱えての活動が報われますようにと。

自分たちが諦めたら、あとがないのだ。
決しておごるなよ。自分たちが必要とされている時は
最悪の不幸が襲っている時だ。

隊を率いる部隊長の言葉が胸に沁み入りました。

大災害は、起こっている時は人がどんどん集まる祭りに似ていると
わたしは思ってしまうんです。
ダヤンさんのように、疲れを感じず、人は動き回れる。
でも、いつかは祭りの時期は終わるんです。

そこで、個としての喪失感が溢れ出す。
あまりにも多い犠牲者の方々と、その広範囲にわたる地域を
思うと、どうしようもない気持ちになります。。

それでも、いつかはやってくる復興を信じて
わたしたちも、少しでも何ができるかを考えてゆきたいものです。

そして、いつか、時が経って
あの時、みんな、暗い気分の中、こんなことを
一生懸命に話していたと、思い出してみたいものですね。
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2011/04/04 23:37
順番を少し飛ばして、ダヤンさん。
よくお越しになってくれました。
とても心配しておりました。

阪神大震災は、都市型災害でしたが
あの時点で最大の災害規模。
何もかもが初めてであったので、いろんなデーターが
残され、教訓として今に生きたとも、今回思っています。

疲れを感じない。
これは非常に危険だと、ご自身で自覚なさってください。
あまりの衝撃に、頭脳のスイッチがオンになったまま
電源が切れない状態だと思われます。

非常事態が続くとある種のハイ状態で
どんどん体が動き、眠りもせず働き続けることができるそうです。
いわば、ブレーキのない車状態です。
ガソリンが切れることも分からないのです。

疲れなくても、ある一定時間は、どこかでコマ切れでも良いので
休息を取るようにしてください。
ショック状態による麻痺だと考えてくださいね。

そのまま行けると働き過ぎると、倒れるか、過労死もあり得る
そのことを強く頭の隅に置いておいてくださいね。

突然、疲労感や焦燥感が襲ってきて
精神のバランスを崩す時もあるそうです。
医療関係者や、市職員などがそんな経験をされたとありました。

悲しみも精神的痛みも鈍くなってきておいでではありませんか。
これも当時、よく言われています。

泣ける時に泣けないのは、わたしも経験があるのですが
後々、精神的に重く引き摺るケースがあります。

もし今、泣いてはいけない、感傷に浸る時ではないと押し込めておられるのであれば
こちらにその状況を書かれてもいいですし
大きな揺らぎが来た時は、隠れてでも、どうぞ泣いてください。
KINACOさんが↓で書いておられますが
自衛隊員さんたちが、車座になって慟哭すると。
これは、精神的に少しでも助けになっていると思われます。

不思議ではなく、危険な状態にあると、くれぐれも頭の隅に置いてくださいね。

たぶん、ダヤンさんを頼っておられる方々もおられるはず。
倒れてしまっては、大変ですよ。
こんな時こそ、大丈夫だと過信せず、自己管理することが重要となってきます。

休息を取る、眠る、食べる、そして、感情を無理に抑制しない。
必ず実行してください。ダヤンさんは相当お疲れです。
どうぞ、忘れないで。

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2011/04/04 23:03
心遣いをありがとうございます。
早速お世話になります。

あれ?っと自分ながらに思ったのは、

・疲れを感じない

ですかね。
いつもなら疲れたーって状態になるはずなのにそれがない。
このままで大丈夫なのかな?っと。
横になるだけ休んだ方がいいのだろうか?うーん。

あ、ちなみにどこも悪くないです~。
これも地震のショックかな。不思議だ…。

黒猫手毬さんもありがとうございます。
リアでは被災地での作業など、本当に感謝の気持ちでいっぱいですね。
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2011/04/04 22:41
タキさん★コメントありがとうございます。

親友の方が、怪我もないご様子、よかったですね。
この大震災は非常に広い範囲に被害を与えています。
わたしたちの知らないところにも、多大な被害が潜んでいることでしょう。

そして、これからがますます、個として復興できるかの
個人としての闘いになってくるのでしょうね。

テレビもまだ見れない場所が多く
ラジオから流れる音楽や声が、ひととき疲れた被災者の皆さんを
ひと時、和ませてくれますようにと願っています。
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2011/04/04 22:36
ジェクトさん★コメントありがとうございます。

日本全体が重苦しいムードに覆われていますね。
ジェクトさんがおっしゃっていたように
東日本では、今も断続的に余震が続いているようですね。
停電はなくなったものの、直接的な被害がない地域にも
生活を揺るがす被害が広がりました。

そんな中で、4月となり、新しい空気も入って来て
ホッとした現実もあります。

被災地とは乖離してはいますが、他の地区の人は
やっぱり元気に働いて日本を支えなくてはいけないと思っています。
その中で、日常的、被災地のみなさんを忘れない気持ちを
ずっと持ち続けていたいですね。
何かをすることによって、自分も元気になれる
そんなこともある気がするんです。

みんなの少しが大きな力となって被災地を
手助けできることを願っています。
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2011/04/04 21:43
余りにも悲惨な災害です。
これから復興にどのくらい時間がかかるかわかりません。
未曾有の被害に、2次的3次的なものも発生していくに違いありません。
だけど・・・
明日は必ず来るのです。
明日の明日もあるのです。
だとしたら・・・
そこに向かって、できる事を。
できないこともあるかもしれないけど、やろうとする努力を。
それしかないですね。

須磨浦公園はよくデートしたとこです。
海岸もね。
赤灯台のそばのパーキングに車を停めたものです。
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2011/04/04 16:47
被災地はもちろん、日本中でストレスに悩まされてる人が多いようです。
先日ニュースで、女性警察官団が被災者のお話を聞くというメンタルケアのために
被災地に向かいました。これも必要な大切なことですね。

被災者のホームスティを調べたのですが、プライバシーのある部屋を提供できないと無理。
で、今考えてるのは、東京でもいいからと仕事を探してる被災者のホームスティ。
先月、隣駅に、富裕層用のタワーマンション数棟と商業施設が出来ました。
大手電鉄のショッピングセンターなので、今、雇用の需要があるのです。
幸い、私のアパートはもう一人位住める使っていないロフトがあるので、
被災者で職の復帰が難しく、復興への経済的自立が早急に必要な女性を、
家賃、食費などを収入があるまで無償で住んでもらうてこともできないかなと考えています。

被災者や今、被災者の支援に従事している人達のことを考えていく事は大事だけど、
個人では全部は無理だから、それでメゲちゃだめだから。自分で出来ることを考えています。
支援も、これからの今は春・夏物で、秋になったら秋・冬物をと
時期に応じて、考えて行こうと思っています。
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2011/04/04 14:27
書きたいことは山とあります。
でも、私の場合はただの愚痴のようなもの。
みんな、がんばりましょうね~
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2011/04/04 14:01
毎日今回の震災の事に関しての情報が流れてくるたびに、
悲しい思いが募ります。
うちも毎日のように小さな地震があり、小さい頃に育った所は割りと地震が多い地域だったので
それ程驚いていなかったのですが、今は少しでもびくっとししています。
変に敏感になってしまって・・・
でもこんな事よりも被災地ではもっと想像を超えたことが沢山あり、
ネットでの友達に被災された方がいるのでその言葉を読んでいるだけでも辛いです。
いつまでも辛いと嘆いているのも前には進めないと自分では思っているので、
何か役に立つことは出来ないかと思いながらもなかなか出来ることがなくて・・・
節電している代わりに最近ではちくちくとあまり布でぬいぐるみを作って、
自分を落ち着かせるのと同時にこれが何かに役立てれば良いなと思いつつ作っています。
(下手ですが・・・)

こうやって毎日普通に生きていられることに感謝したいです。
義捐金も大切ですが、人との繋がりというのもこの震災で色々と考えさせられました。
被災地の方にはこれからもずっと身の周りでできる事があったら
協力していきたいなと思います。
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2011/04/04 11:43
ただ
生きている事に
家族がいる事に
食事が出来る事に
空気が吸えることに
そして今日を迎えられた事に

ただただ
感謝したいです。
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2011/04/04 08:13
自分のブログでは直接的には書きにくかったことをお言葉に甘えて書いても良いでしょうか?

ちらりと自分のブログにも書きましたが、私の両親は宮城県の出身です。
両親の父母はとうにこの世におりませんし、兄弟姉妹たちも全てが存命ではないので、両親の兄弟姉妹では一人しか宮城県在住はおりませんが、私の従妹の世代になると宮城県内にもまだ結構暮らしています。

嫁に出た私は、従兄弟たちのと直接のつながりはすっかり切れてしまっていますが、それでも親類たちのとりあえずの無事は確認されてホッとしているところです。

父の実家では、今は父の姉家族3世代が暮らしています。今回、最後まで連絡がとれませんでした。ただ、私たちはその連絡がつく前に、電話も携帯も繋がらないだけで無事にいるだろうという予測はついていました。

なぜなら、その家の真向かいの施設が御遺体の安置場所として指定されたニュースが流れたからです。
そのニュースを耳にした時、私たちの方もまだ電気が来てなくてTVでその様子を目にすることはなく、文字通り「耳」にしたのです。
不謹慎な皮肉だと思うけど、私たち家族はそう言う場所になっているんだから、あの家は無事なんだろう、と胸の中で思い、連絡を待つだけでした。

母の実家はすでにありません。母の義妹とその息子家族が仙台市内に住んでいます。
無事では要るようなのですが、やっとつながった電話で言葉は少なかったそうです。
だけど言葉をムリに引き出したことろで何かできることもないで、いつか話せる日が来た時には、というスタンスでいるようです(複雑な事情があって、震災前からほぼ没交渉だったのもあるけど)。

ともかく直接的な親類たちの無事は確認できました。でもそこから先の少し遠い親せきやら、父母の昔の友達やらのことまでは、正直なところ今は思考を停止させざるを得ません。

両親も気になることはいろいろあるとしても、現状では当分はあちらに直接出向くことは叶わないでしょう。


でも今回の震災、あまりに範囲が広く、こんな話、あちこちに転がっていることでしょう。
あちこちに転がりすぎて、口に出せずに日々の中、笑顔を作って頑張ってる人たちも多いでしょう。
ふと相手が話したくなった時、聞いてあげてください。私もそうできるようにしたいです。
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2011/04/04 05:34
阪神淡路の時も 今回も被災していない自分には 大災害に会われた方の気持ちを本当に
分かることはない。そのことに何ともいえない気持ちは残るけれども・・・
それは直接被災された方たちしか共有しえない想像を絶するもの だと自分は感じています。
ここにコメントされている方の文章を読んで 改めてそれを感じました。

自分には推し量ることしか出来ませんが、今は日々の生活を生きることで一杯の方たちが
普段の生活を取り戻そうとした時、KINACOさんが言われているように心にやってくるのは
それまでに押し殺していた様々な感情なのでしょう。
この度の大災害で受けた傷は1人になって抱え込むには あまりに大きいと思います。
黒猫手毬さんの言われるように吐き出すことが癒えることに繋がっていくこともあるでしょう。

かける言葉はなくても聞くことは出来ますものね。自分も出来るだけそうしようと思います。
ただ 受け止めすぎないように自分は注意しなければいけないとは思います。双方が悲しみや
苦しみの底に沈みすぎては意味がないと思うから。

少しづつでも被災された方に笑顔が戻ることを祈りつつ・・・
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2011/04/04 04:03
911の時、救助犬を使った救助隊員が言ってました。
「何時間も探してやっと見つけても息絶えた人達ばかりだ。
俺達は黙々と作業するけれど、犬はそれを感じ取ってしまう。
彼らは酷くががっかりしたり、自分のせいだと思ってしまって、段々と探すのを嫌がるようになるんだよ。」
結果、彼らはボランティアの人達に軽い瓦礫の下などに隠れてもらい、それを救助犬に見つけさせ
「よくやった! えらいぞ! 生きてる人だ!」 と褒め称えてあげたんだそうです。
犬でさえ辛くなってしまう惨状・・・。 
きっと震災地も同じ、いや、それ以上だと思いますが
正直、アタシには想像ができません。
そんな中を現地で作業している人達は、心と理性で感情を押さえ込んで
必死で現実を見詰めているんでしょう。

ニューオリンズでは、あの大洪水の後の犯罪率と自殺率が何倍にも増えたと聞きます。
全てを失くし、生きる気力も意味も見つけられなくなった人達が沢山いたのでしょう。
「あんたら絶望という意味が解るか? 望みが絶たれるんだ。 もう俺には何もない・・・なにも・・・。」
そうTVで泣きながら訴えていた男性を思い出すと胸が張り裂けそうになります。

どうかどうか、現地で働く人達の心が報われますように。
今回の地震で生き残った人達が希望を失わないように。
生きている意味を見つけられるように。
そう願ってやみません。
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2011/04/04 02:39
お亡くなりになった人は、私の想像を越えました。
その亡骸を、想像できないのです。想像力が及ばないのです。
考えたくないのかもしれません。
深く想おうとすると、普通では居られない。
昔、ポンペイの話を読みました、小学校低学年だったと思います。
そこには、子供をかばってそのまま、転んでそのまま、しっかりと手を握り合った恋人たち
火山の噴火で亡くなった方の最後の姿が、生々しく今に伝えると書いてありました。

それだけでも、寝られなくなってしまっていました。
だから、その痛みを思うことは、もう辞めました。

救助の最前線におられる方のお心を思います。今はすでに救助ではないですね。。。
何処で見たのだか忘れたのですが、自衛官の方が一日の最後に、円陣に座り、
今日あった全てを吐き出すのだそうです。漏れる嗚咽。。。慟哭。。。
そしてまた汚れたままのその姿で、日が昇ればその日の作業に没頭する。
汚れたままの姿は、「昨日を忘れないために」なのだそうです。
壊れゆきそうなご自分を、どんな気持ちで支えているのだろうかと。。。
消防士の方も、警察の方も、きっとそのようでいらしたでしょう。

一瞬で、何もかもなくされた方々のお心も思います。
どうやって生きていこう、もう生きていたって何がある。。。
そうお想いになっていらっしゃる方も、きっとたくさんいらっしゃると思うのです。
どうして私だけが生き残ったと、その不思議に翻弄されてもいらっしゃるでしょう。

物資が大事です。まずは物資です。
けれど、それが一段落ついたならば、きっと色々な思いに苛まれていくと思うのです。
そのお立場お立場で、それぞれに「苛まれる」のだと思うのです。

そのお心への助けが救いが、必ず必要だと思うのです。。。

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2011/04/04 01:39
私はいわき市に親友が居まして現地の惨状を直接聞きに行きました。
無論少ないながらも救援物資持ってね・・・・・・・・・・

今、東京のニッポン放送と文化放送共同でラジオと乾電池を支援物資で送ろうと
計画しております。もし、有楽町等に近いか御用がある際はラジオか新品の乾電池を
提供して頂きたいです。

私も、4月10日の最終日に有楽町のニッポン放送にラジオと電池を持って行く予定です。
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2011/04/04 01:20
復興にはいろんなものが必要でしょうね。
気持ち、人手、物資、お金、そして時間・・・
私の少ない支援が少しでも助けになればと思います。




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