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前漢(西漢)・兵制

戸籍に登録された男子は23歳から56歳の間の1年間は自分の属する郡の軍の兵士に、
1年間は中央の衛士とならねばならない。
ただし病人・不具・身長六尺二寸(143cm)以下の者は除く。

軍事の最高職は太尉である。
しかし帝国すべての軍事権は皇帝に属するものであり、
当初の太尉は必要に応じて改廃を繰り返す非常置の職であった。
武帝のB.C.119年に将軍号に冠する一種の称号として大司馬が設置される。
この頃に大司馬になった者としては衛青・霍去病の両者があり、
その親族の霍光もまた大司馬大将軍として政権を執った。
宣帝のB.C.67年に称号ではなく実際の役職となるが、
この頃になると外戚の長が大司馬になって政権を執ることが多くなり、
大司馬は軍事よりも政治の職となった。

首都長安に置かれる中央軍は中尉が指揮する北軍と衛尉が指揮する南軍とがあった。
北軍は長安の北部にその屯所があり、
長安周辺の人々が構成員となって長安の防衛・警察に当たった。
南軍は地方から衛士としてやってくる人々が構成員となって宮殿の警備に当たった。
皇帝の身辺警護に当たるのが郎中令によって統括される郎官である。
長安の十二の門には城門候が置かれて警備に当たり、
城門候を統括する存在として城門都尉があった。
別に屯騎・歩兵・越騎・長水・胡騎・射声・虎賁の七校尉が統括する部隊がある。

地方軍の単位は郡単位であり、統括者は太守である。
太守の下で実際に軍事に携わるのが都尉である。
通常都尉は郡に一人だけでだが、軍事的に重要な辺境の郡などでは複数おかれ、
これを部都尉と呼ぶ。
また太守の軍事面での副官として郡長史が付く。

これらが平時体制である。
遠征の際にはこれら軍兵をまとめるための将軍が置かれる。
「将、軍にありては君命も受けざるところあり」と言われるように、
将軍は人事権や懲罰権などその軍に付いてはほぼ全権を持っていた。
将軍の最高が大将軍である。
大将軍はその他の将軍に対する命令権を持つ特別の将軍である。
大将軍の次に位するのが車騎将軍・衛将軍であり、
それに加えて票騎将軍が霍去病の活躍により前期の三将軍と同格とされ、
この四将軍の位は三公に匹敵した。
この次にくるのが左右前後の四将軍である。
これに加えて任命される時に名前も同じく付けられる雑号将軍がある。
また偏将軍および裨将軍があり、
これは独自の軍は率いず、他の将軍の下に入って指揮するものである。

将軍は司令部として幕府を開く。
最高の四将軍の幕府には副官として長史と司馬が付き、それぞれ事務と兵を司る。
参謀として従事中郎が二人付き、他に書記官として掾・属・令史・御属が付く。
実戦の部隊の最小単位は「屯」でありその長は屯長、
屯がいくつか集まって曲になりその長は軍候、曲が集まって部になりその長は校尉、
部が集まって全体の軍となる。

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