国旗に敬礼
- カテゴリ:ニュース
- 2011/04/08 00:30:26
政府の 記者会見のときに
壇上に上がるとき
国旗に 敬礼している映像が 毎回映ります
私は そういうのは 不快に感じてしまいます。
こう書くと この文章を読んで 不快に感じる人もいるのかな。
不快に感じるのは なぜなんだろう。
ただの 布切れのすぎないものに 敬礼する
どんな意味あいがあるのか
明治大学の政治学の授業を のぞきに行ったとき
「国家とは 権力である」
と 教授が 言ってました。
政治家の本音は
「自分は権力を握った人間だ」
そう思っている。
国旗を 権力の象徴として
国家という 裏づけのある権力をにぎっている
そういうことを 誇示している
そんな意味なのかな。
代議士の代は 代理人の代
「主権者は国民」
代理人が 主権者の上に立とうとしている
だから 不快感があるのだろうか。
うーーん そうですね 自分たちの 権威づけに利用している ということかな
記号のひとつではありますね。
それを 利用する人が どんなことに利用するかで意味がちがってくるのです。
そうですね マインドコントロールしてるのかもしれません
ある程度国を象徴するものなんでしょうね。
中国や韓国で反日デモがある時、絶対国旗燃やしてますもんね。
神格化は、マインドコントロールの基本なのでしょう。
国旗や天皇は、そういった道具にされているのではないでしょうか。
敬意を持つのはいいんですけど
彼らは べつに 敬意など持っていない
ただ 利用しているだけだと思う
そして 敬意を強制することを 考えているし
彼らの権力を保証する権威の象徴のようなものでしょうか。
いや、国旗はあくまで国旗でしかなく、
国の象徴のようなものですから、
代議士になって国旗に敬意を表しないならばやはり問題。
まあ陛下ではありませんが、敬意を表する事が『強制』されるのは
もちろん問題ですけどもね。
コメントありがとうございます。
ちょっとちがうのは
代議士の代は 代表の代ではありません
代理人の代です。
選挙という形をとるので どちらも かんちがいしている人が多いのです。
人口が少ないうちは 直接 政治をできますが
人口が多くなると それが困難になるので
代理人を選んで かわりにやってもらうことになります。
かわりにやってもらうのですから 代理人ですね。
選んで というところで 錯覚してしまうんです。
この文章は 国旗が嫌いだ ということを書いているのではなく
政治家の行動が 不快に感じる ということを書いています。
ただ、私は海外をよく巡るのですが、
出先で日本の国旗を見掛けると無性に嬉しくなります。
この感情は20台前半、つまり海外渡航が極めて少なかった頃には持ち得なかった感情です。
その頃は、「せっかく日本を脱出したのに、海外でも日本人の顔を見るなんて真っ平御免」でした。
しかし年月を経るごとに、海外に出るからこそ「日本のよさ」がより鮮明に見えるようになったのです。
法律が法律として守られている。時間が時間として認識されている。道徳心などなど。
日本にいればこれらは極当然ですが、世界を見回せば多くの国が絶望的な低秩序下で生活しています。
nagataさんの仰る点は理解できます。ただ、それはどの国にでも内在しています。
私は日本が大好きです。日本人に生まれてよかったと思っています。
もっとも昔は日本が嫌いでしたが。
国旗は、自らのアイデンティティー証のようなもの。
日本国民の象徴、「誇り」のようなものだと個人的には考えています。
長文、スミマセン・・・。
代議士は、国民の代表なのですから、庶民感覚を常に持つべきだと思います。
そうでなかったら、辞職して欲しいです! あまり、よいコメントではなくて御免なさい。
同意 ありがとうございます
なるほどそうですね
私は、nagataさんのブログ見ても不快に感じませんよ!
国家とは、
固有の領土と、
主権がある事と、
国民がいるということだと 私は思います。
政治家が、パフォーマンスで、
心無い事をしているから、
不快に感じるかもしれませんね。
そもそも、国家とは 権力であるというのは、
マルクスの左翼思想の影響が大きいのかなぁ、
今の政府も自助努力の精神が根底にあれば、
最小不幸社会と言わずに最大幸福社会としたほうが、
経済も外交もうまくいくかと思います。
まぁ 参考程度にコメさせていただきます。