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スーダン南部、独立決定後も暴力激化


【4月14日 AFP】国連(UN)は13日、住民投票で独立が決まったスーダン南部で暴力が激化しており、今年にはいってからの犠牲者が800人を超えたと発表した。避難民も約9万4000人に達しているという。スーダン南部は7月の独立に向けて、治安の維持が大きな課題となった。 

 スーダンでは今年1月に南部の分離独立の是非を問う住民投票が行われ、7月に独立することが決まった。住民投票はおおむね平和的に行われたが、それ以後、武力衝突が激化しており、過去1か月で避難民の数は倍増したという。

 スーダン南部では武装勢力と政府軍の武力衝突のほかにも、土地や家畜をめぐる部族間の衝突、スーダン南部に主力を移したウガンダの反政府勢力「神の抵抗軍(Lord’s Resistance Army、LRA)」による攻撃も散発的に発生している。

 スーダン南部の主要都市ジュバ(Juba)で会見したLise Grande国連人道調整官(スーダン担当)は、「少なくとも7つの民兵組織が存在し、共同体の中でも暴力が続いている。その上、LRAの存在もある。非常に憂慮している」と語った。

 暴力の激化は2010年の統計と比較しても明らかだ。スーダン南部における暴力の犠牲者は、2010年には年間で980人程度だったが、今年はすでに3か月あまりで800人に達している。(c)AFP


http://www.afpbb.com/article/war-unrest/2795731/7086746



スーダン南部自治州は、スーダン共和国に属していますが、中国における台湾と同様、

スーダンから自治政府を置く事を認められている、スーダン10州の事です。


スーダン民主共和国の革命によってイスラム法を取り入れ、スーダン共和国となった

1983年に始まったスーダン内戦は2005年まで続いていました。

スーダンをイスラム教の国にしないとする南スーダンのキリスト教徒と、イスラムを基軸

とした国にしようとする北スーダンは激しく戦い、大量の難民が発生、第2次世界大戦後

で最も死守数の多い戦争となりました。


内戦は2005年に、アメリカ、リビア、エジプト等の国の協力で一応終結となりましたが、

今年に入って、スーダン南部の自治州の独立選挙で独立が決定したものの、石油の

発掘場所がスーダン南部に集中していることや、石油の輸出パイプラインが北部に集中

している事などから、武力衝突が発生しているようです。


 

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