杞憂(2)
- カテゴリ:日記
- 2011/04/14 22:23:03
地震&原発危機勃発から1ヶ月。
なんだか、漠然と恐怖心を抱いていたことがとんでもなくアホらしく思えてきました。
そのきっかけとなったのはこちらの記事。
「放射能という目に見えない恐怖がもたらすストレスの脅威」
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20110412/219418/?P=1
3月11日以降、被曝が直接の原因で死んだ人はいまだに一人もいません。
まあ国が死んだ人を隠蔽しているとか考えるのは自由ですが、
原発からある程度距離のあるところにいる人間がバタバタ死んでいるという状況でないのは事実でしょう。
原発近辺でも犬や猫などの動物が普通に生きているようだし。
「放射能事故によるストレスは自然災害よりも深刻」だった。
・・・そこまで言われると、実際にストレスを感じていた自分がものすごく未熟な、アホな奴に思えてきました。
チェルノブイリの被害、原発と原子爆弾との違い、プルトニウムの特性と過去の事故、
ウランやストロンチウムなど物質ごとの特性や半減期、甲状腺がんの危険度や予後、
ラムサールやマドラスなどの放射線濃度、ウクライナの対策予算が激減したこと、
などなどいつのまにかいろんな知識が身につき、まがりなりに知識をもとに危険度を客観的に判断できるようになりました。
そのせいもあるのでしょう。
やはり、「杞憂」でした。
再臨界は起きるかも知れません。でも起こったとしてもさほど恐ろしいとは思わなくなりました。
杞憂(3)に続く。といっても書くのはだれも恐ろしいと思わなくなっている頃かもしれません。
気にし過ぎもいけません。
過度のストレスこそ万病のもとですから。
少々の量だと、自然界でも飛行機に乗っていたって
浴びていますから、気にすることはないでしょう。
ただ、慣れるということに
異様さを感じてしまうのです。
本当にそれでいいの的な。。
わたしは個人的に9:11に次ぐ世界的問題のひとつはフクシマかもと
思っていたりするんです。
やはり人類のエネルギーに対するあり方を
考え直す時がきているのだろうと。
世界規模のレベルで。
原発反対でもは各地で起こっていますが
どのメディアも放映しない異常さも
気になって仕方ありません。
それだけ泥にまみれているんでしょうね。。
わたしが一番驚いたのは廃炉にするのに20年以上かかること。。
次世代に、そんな危険な物を受け継がせていいものか
この事故を機に真剣に考えるべきでしょうね。
こんなことが起こっても
日常という大きな渦は、消化して進んでゆく
人の意識の方が、魔物かもしれません。。
必要以上におびえて、自分の想像だけでストレスをため込むのは意味がありませんから。
ですが、放射能が恐ろしいものだ、という認識そのものは失ってはいけないのではないかとも思います。
恐ろしさを実感するような事態にならないことを祈るばかりです。
普通に生活していたって 毎日多少の放射線はあびているし
もともと「被爆国」に産まれ育っているのです ノープロブレム
それより 富士山が大丈夫か? 東海南海東南海の大地震は? のほうが 心配です
あまり専門的なことがわからないのと、
日々の仕事が忙しすぎる関係で、
私自身は放射能汚染の恐怖はあまり感じてません。
きっと、知らないうちに死んじゃうタイプの人間だよね…w
気にしない人はほんとにゴーカイに気にしませんね。
見習いたいです。
>ほびさん
往生しまっせw
漏れてる?っていうと漏れてるっていう
こだまでしょうか
水道水はガブガブ飲んじゃうし、地場野菜はバクバク食べちゃうし、雨が降っても傘を差さずに歩いちゃうしで、
逆に「少しは考えたら?」と言われてもおかしくない位、ゴーカイに過ごして来てしまいました。
でも、自分の生まれ育ったすぐそばの原発が問題を抱えて、
自分の家に帰れないような状況は、やっぱりツライ事でしょうねぇ。。。