物理で表現できない心について
- カテゴリ:人生
- 2011/04/23 23:00:47
(キャンディーズの話なのに、書いてあることは遠い)(´Д`)
「生きた観音様」という表現は、人によっては下品と捉えるのかもしれない。
それとも、最近では、まったく聞いたこともない人が多い言葉だろうか。
でも僕は、時々、本気で「生きた観音様」と思う。
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あまり宗教的表現はしたくないのだが、少し説明する。
仏教的思想では、仏は、この世に満ちていると考えられる。
形ではなく、この世にあまねく満ちている。
それが、何かの目的や作用のために、形となって姿を現すことを、「権現」と言う。
だから、菩薩や観音様は、時と場合によって、形を変えて現れるのである。
仏像に作られた姿も、仮の姿でしかない。
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「生きた観音様」などと言われる側の女性は、どう感じるのだろう。
意味不明だろうか。
ただ、申し訳ないが、個人がどう思っても関係がない。
仏はこの世に満ちていて、それが権現となるのである。
その人がどう自覚しようが、そこに観音様が現れたのだから仕方ない。
例えば、芸能人が人気絶頂の時、それは、その人の努力で成し得たものか。
もちろん、それもあるが、周りの人の助けもあるだろう。
他にも、偶然が重なっているに違いない。
本人にも何が起きているかわからないまま、
自分が自分でないような、
悩みかもしれないし、夢のような時間かもしれない。
人気芸能人が舞台に上がる時、
その時の世の中が、芸能人の華となって現れるのだ。
個人の考えに囚われても意味がないということがわかってもらえただろうか。
この世に満ちているものが姿を現す、ということがわかってもらえるだろうか。
そのようにして、生きた観音様が現れることがある。
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僕にとって
キャンディーズは観音様
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優しい言葉 聞いた気がする
それが
さみしさの 季節の終わり
「アン・ドゥ・トロワ」
唄:キャンディーズ