5歳の大人はずうずうしい。
- カテゴリ:小説/詩
- 2011/04/27 03:00:26
ボクはとてもずうずうしい。
それはボクが自分を表現できだしたからだ。
ボクは自分が幼いことを誰よりも知っている。
何故ならボクは子どもが遊ぶゲーム・おもちゃ等で
遊び、満足することができるからだ。
それだけじゃない。自分の湧きあがる欲求も幼いのだ。
例えば消防活動(地域ボランティア)というものがある。
地元の同年代の「精神的にも大人」な同級生、同い年たちは、自分から進んで一生懸命に奉仕している。
山火事があれば、飛んで帰り、詰所に待機したりして・・・まったく持って感服の極みだ。
しかし・・・ボクにはまだそれがわからない。
ボクは外に遊びに行っていて・・・目の前のおもちゃを眺めることよりも奉仕をしたいと、思わない。
それはボクが幼いからだ。
ボクはおもちゃを眺めるだけでも楽しい。
ましてや大好きな本屋にいる時ならなおさらだ。
三週間前の日曜日もそうだった。
弟や、親戚のおじさんは一生懸命、畑仕事をしたり、草刈をしたり、旬のものを取りに行ったり、農機具のメンテナンスをしたりと、急がしそうだった。
でも、ボクには一日、家でTVゲームをしている方が楽しかったのでTVゲームをして遊んだ。
わかるだろうか?
ボクは「自分」に素直に生きているのだ。
親、兄弟、親戚に白い目で見られた。
あたり前だ。消防も白い目で見られたり、
怒られたりすることだってある。
だが・・・理由はわかっている。
ボクは「幼い」のだ。どう隠そうが「幼い」のだ。
そういうこともあるのだ。
そのことについてボクは完全にあきらめている。
あきらめているから・・・ボクは「幼い」ことで嫌われることは一切気にならなくなった。
これはすごいことだ。
そして何よりも・・・以前にもまして強運になった。
ちょっと運がいいとか・・・そういうレベルじゃない。
めちゃくちゃ強運になった。
「幼い」自分を隠して生きていた時は「事故」の心配。病気の心配などをよくしていたものだ。
それが無くなった。無敵の人生をボクは歩み始めた。
12年間、否定し、隠し続けた「幼い」自分を肯定し、そのままの自分で生きることで「多大」な迷惑を周囲にはかけているかもしれない。
しかしそれでいいのだ。
「幼い」自分を認めることが・・・ボクを「無我の境地」へと導く
やはり・・・このブログでは全部伝えることは無理だ。
だから、小説を書いているのだ。
レポート1000枚書いたら・・・コンテストに応募する。
ちなみ150枚は書いた。毎日こつこつと書いてやっとだ。
というかもう、3時だ。
明日は親戚のおじいちゃんの葬式だ。
さて寝るか。
それって必要なことで、逆になかなか出来得る事じゃない。
我が道をまっしぐらもいいかもね^^
はっちゃんさんと同感で、うらやましいわぃ♫
その強運
うらやまし~
うまらやし~
いやらし~www