ドラマ【江~姫たちの戦国~】
- カテゴリ:テレビ
- 2011/05/02 17:05:09
【あらすじ】勝手に佐治一成と離縁され、秀吉の養女にされてしまった江は秀吉を恨み、大坂城から出て行こうとするが、城内は広く出て行くことはできない。あきらめた江は、自分たちを不幸に貶めた秀吉がどのような人物なのか、秀吉の周囲の人々に聞いて回ることにする。実子のいない秀吉は、あちこちから養子を迎えており、中には敵方の徳川家からの養子で人質同然の立場の者もいるというのに、養子同士で和やかに過ごしているのが、江には奇異に見えた。
【感想】いつの頃からか、大河ドラマで大事な史実はナレーションや別の場面での会話のみで終わることが多く、その代わりどうでもいいような井戸端会議みたいな会話シーンばかりで時間が過ぎていくということが多くなったような。やはりこれも予算不足のせいでしょうか。悪いのは坂の上の雲のせいか! 今回も大坂城から文字通り出ることなく、そこにいる人々の会話だけですべてが過ぎていきました。初回SPだけで映画2本分くらいの予算を使ったというJINと比べると、あまりに見劣りがします! 私は結構楽しんでいるのですが、そろそろ大河ドラマファンには言い訳できない感じになってきました まぁ私が好きなのは江ではなく秀吉の方なんで、主役はどうなろうがどうでもいいですわ。江の最後の夫の秀忠役が、飛ぶ鳥を落とす勢いのムカイリなんで、それでどれだけ視聴率回復させるかなってところですな。ただ、もう1回別人と結婚する話が待っているので、まだ先のことですな…。秀忠まだ子役だし。このドラマ、いろいろ無理はありますが、やはり一番無理なのは、江と会話する秀吉が、江に信長の顔が重なるというシーンでしょう。あれがなきゃまだ少しはいいんですがねぇ…。脚本は篤姫と同じなんですが、何故こうも違うのか…。まぁ正直私は篤姫もそんな好きではなかったんで、当時なぜ視聴率いいのかわかりませんでしたw 嫌いというわけではなく、何かすっきりしないんですよね…。
【今回の試験に出る史実】
・紀州攻め…1585年 和歌山県 当時治外法権的な権力を持っていた寺社を中心に発展した都市や、自治を行ってきた豪族たちの集団が多くいた紀州を、羽柴軍が攻め取った一連の戦。
・四国攻め…1585年 四国 当時四国を統一していたと言われる長宗我部元親に対し、羽柴秀吉が10万もの兵を送り込み、長宗我部を土佐一国に押さえ込み、四国を平定した戦。
【あらすじ】秀吉は大坂城に、母のなかや妹の旭などの家族を呼び寄せる。三姉妹が彼女たちと対面している時、秀吉が自ら将軍になりたいと言い出したため、三姉妹はもちろん、秀吉の家族ですら無理だと呆れるが、秀吉は本気で、江にどうしたらいいかと聞いてきた。江が捨て鉢に今の将軍様に頼んでみてはどうかと言ったため、秀吉は早速足利義昭に秀長を通じて打診。しかし義昭はけんもほろろで、取り付く島もない。次に秀吉は、将軍が無理なら帝の次に位の高い関白になろうと画策する。
【感想】今日はちょっぴり面白かったなw しかし、関白になったのは茶々の気を惹くためというのは、あまりに暴論w いろいろ調べたのですが、この時点でもう1000年以上続く朝廷の世界は、下賎の者には理解できないほど複雑で、理解しがたいのですが、少しだけ。今回のドラマで秀吉がさも公卿たちを買収して関白の位を買ったように描かれていましたが(全然金をばらまかなかったというわけではないとは思いますが)、どうやらこの頃朝廷には天下人になる人物には、ある程度の官位を与えなければいけないという風潮があったようで、朝廷からの働きかけもあったようです。鎌倉幕府ができて武家に実質的政権を奪われてから400年、この頃には貴族も朝廷内の政権争いをするくらいしか力がなかったのでしょう。そんなことより麿はプリンが食べたいでおじゃるって感じでしょうかw 公卿としての面目が立ち、それ相応の生活が続けていければ、問題ないと考えていたのかもしれません。尚、秀吉が足利義昭に養子にしてくれと頼んだという逸話は、後世に付け加えられたフィクションのようです。秀吉としては、しょっぱい公卿と大差ない足利家を継ぎたいとは思わなかったでしょう。何しろ、神になろうとした信長の家臣だったのですから。そして、今まで秀吉を毛嫌いしていた茶々が、初めて秀吉を肯定するような言葉を発しましたね。第一印象が最悪な人ほど、後からいいところが見えたりしてくるものです。逆に第一印象がそこそこいい人は、単なるいい人で終わってしまう可能性がw それと、禁じられた恋というのも燃え上がるもの。歴史ドラマは散々だけど、さすが微妙な女心は描き分けるなと思いました。
【今回の試験に出る史実】
・関白相論…1585年 京都 二条昭実と近衛信輔の間で発生した関白の地位を巡る争い。これは、この年に羽柴秀吉が内大臣に昇進した事をきっかけとした人事抗争であるが、結果的に当事者の2人を差し置いて秀吉が関白に就任することになり、豊臣政権にとっては大きな画期となる。(Wikipediaより)