スーパーマンは地球市民?
- カテゴリ:ニュース
- 2011/05/06 00:05:36
米国で4月下旬に出版されたアクションコミック誌
なんと米国を代表するスーパーヒーロー知名度NO1の
スーパーマンが米国籍を捨てるシーンがあるという。
イランの民主化デモに共鳴しイラン政府と相対した彼は
米国政府の内政干渉と指摘され、政府の手先と見られるのはうんざり。
地球規模に視野を広げる為に、米国籍を捨てる決意をしたという。
ファンは反対派、肯定派に分かれているそうな。
おりしもそのあと、ビンラディン氏が殺害された。
実はこのニュース、ほとんど見ていない。
最近の大手メディアは操作されまくりなので、あまり信用できないからだ。
米国市民の熱狂ぶりを伝えているが、テロの首謀者とされているので
喜びはしたであろうが、そんなに単純でもないだろう。
巨悪の存在する米国だが、それを暴こうと命がけで闘うジャーナリズリストも
数多く輩出する。そして巨悪が自国民の手によって明かされることもある国だ。
スーパーマンに国籍を捨てさせた。
それを受け入れる土壌ができていたという現実があるはずだ。
そうかぁ。。地球市民かぁ。。
忘れていたなぁと、少し反省した。
この大地震以降、原発問題もあり、国難ゆえ当たり前だが
国内のことしか頭になかった。
兵庫県人は、こだわりが少ない新しい物隙の自由人気質があると言われる。
郷土愛もほとんど口にしないが、愛着は強く持っている。
阪神大震災の時、米国のニュースで燃える神戸の街を見た時
張り裂けんばかりに故郷の人々を愛おしく想い、辛かった。
こんなにも強い愛情があったんだと思い知った。
今も、NHKの9時のニュースで納棺師のボランティアで
涙してしまった。
わたしは日本人だ。
幼い頃、家庭の事情がてんこ盛りだったから
本だけが逃げ道だったのかもしれない。
現実逃避からか、欧米文学ばかり読んでいた気がする。
行けるはずもない遠い国の話が好きだった。
微かな憧れはどこかに棲みついた。
大人になって米国に住む機会が訪れ、ヨーロッパ大陸も横断旅行した。
人生は不思議だと思った。
憧れは消えて、欧米人の高慢さに苛立つも事も多かったが
優しい人はいっぱいいた。
みんな同じ人間だった。
この当たり前のことが、実はその土地、その国に行かなければ
分からないことなのだと知った。
国益や政治が絡むと、争いと謀略に変わってしまう。
どこに行っても、わたしは日本人だったし
日本をとても愛している。
でも、地球に住んでいる人間でもある。
わたしも地球市民だ。
この大震災が起こった直後、世界から寄せられた優しさは
国籍を越えた人としてのものだった。
http://www.youtube.com/watch?v=IxUsgXCaVtc&feature=related
ありがとうと涙した。
たくさんの義援金も寄せられた。
本当に本当にありがとございます。
わたしたちは同じ地球市民です。
それをしばらく忘れていました。
高濃度汚染水を海に流してしまった時
痛かったけれど、仕方がなかったと思ったけれど
もっと深く恥じなければならなかったのではないかと。
海は世界に繋がっているのに。
起こってしまったことは変えようがありません。
安直な批判はしたくないが為に
わたしなりに情報を集めり、出向いたり、考えたりしています。
わたしの手元にある本は
「朽ちていった命、被曝治療83日間の記録」
「チェルノブイリの祈り」
二冊ともごく普通の人々の犠牲の話です。
原子力発電も産業です。
そこに係わる仕事関係の方もおられるでしょう。
いろんな立場の人の事を考えます。
それでもなお、今この時期にあって
原発問題を問わないことは
わたし自身が心苦しくあるのです。
次の次の世代に自信を持って残して行けるものかと。
今もまだ先の見ない福島原発
人が入りました。
その方がたの十年後を思い、祈らずにはおれません。
21世紀に入った時、人類は環境問題で岐路に立たされるだろうと
思っていました。
9.11が起こり、米国は対処を誤り、
世界に憎しみを広げてしまいました。
それぐらいの重さを持って、わたし自身は福島を考えています。
対処を誤らなければ、エネルギーの在り方は
変わるかもしれないのです。
やはり、段階的に自然エネルギーにシフトし
原発を無くしていかねばならないと思っています。
朝日の週間百科が好きで、取っていた時があるの。
一番役に立たないのは世界の地理だったわw
こんな短い時間の間でも国境は他国の国益の名のもとに塗り替えられ
人々は分断しては泣き、怒り、争う結果になるものね。
物語の登場人物としてキナちゃんを例えるならば
広大な土地に生きる部族の酋長の娘だろうか。
インディオみたいに、土地の恵みと様々な神から
知恵を授かり伝えゆく。
その誇り高き精神をじぃちゃんととうちゃんが教えた。
いわば、お姫様だ。
誇り高き闘うお姫様に育ったんだ。
大地は誰もものでもないが、それを冒そうとする者を
決して許さない。大地は全て彼女のものでもあるのだから。
わたしは荒れ果てた何もない崖の上に住む少女。
貧しい暮らしで、明日は見えないけど
夢だけはいっぱい頭に詰まっている。
崖の下の遥かな大地を隊列がゆく。(なぜか駱駝。シルクロードのせいかな)
あの大地の向こうには何があるのだろう
そんなことばっかりを考える。
男の子しか行けないと聞いたけど
いつかはあの隊列に紛れこんで、遥かな見知らぬ風景に
見知らぬ土地を巡るのだ。
去っていく隊列の小さな影を見送りながら
いつもいつも思っていた。
この違いかな。
米国や欧米の国々を好きかと聞かれたら
好きじゃないと答えるよ。
搾取の在り方が余りにも身勝手だもの。遥か昔から。
アジアやアフリカの豊かさを犠牲にして繁栄をしてるんだから。
今もね。
でも、なんていうのかな。
空は一つでも、遠くに行けば色は違って見える。
気候が変われば、植物も変わり、生活も習慣も変わる。
大地が繋がっていれば、人は移動し、時に争いが起き
それでも交わり、文化は滅び栄える。
土地は人々の哀しみや喜びを記憶する。
その土地に立たなければ分からない記憶があると思うの。
国境という壁を作りいがみ合うのも人だけれど
それを越えて交わっていくのも人なんだと思うの。
違いを分かち合う時代がくれば
人の未来も希望が出てくるのかなぁと思う。
間引きの時代が来てるのよ。と言った人に会ったの。
ええ。。。そうなの。。
わたしはもう少しだけ人の未来を信じたいなぁと思った
私が今吐いた息は、どこかの植物が生きる糧として、私たちに必要なものを吐き出すだろう。
弱い生き物には数を与え、牙を持つ生き物からは、数を取り上げた。
そのようにバランスを的確な与えた創造主が、不公平であるはずがない。
資源がある地域、資源がない地域、作物に恵まれない凍てついた大地
肥沃な大地、イロイロあるけれど、地球がひとつと考えたならば
きっと皆が等しく生を紡ぐに足るものは、与えられてるのじゃないか。
そう思えてならない。
人は、どこに住んだっていいんだ。
行きたいところにって、住みたいところに住めばいい。
何を信じたっていいじゃないか、信じなくってもいい。
ある人は神といい、ある人は仏といい、ある人はそれは居ないといい
ただ、自分が人のそれを犯さず、そして自分が正当なりという傲慢さを知り
それだけをルールとし、きっとその中に真の幸福が存在する。
国境が、そもそも欲なのだ。
なければそれで済むじゃないか。
そう言われて育った。
それを犯すと感じたものを、猛烈に私は嫌悪する。
嫌悪し抵抗するには、必ず武力を持ってはいけないとも感じている。
「永久にコレを放棄」しなければ、いくら言ってもおためごかしなのだ。
武力を持ち、これを行使するを肯定する国を、私は正義と思えない。
個々を憎むことはないだろう。
しかしながら、国境の向こう側を憎む気持ち、これは国境がなくならない限り
私の中にずっと存在し、戦うものでもあるだろうと認識している。
どこに住んでもいいんだ。
「アタシは黄色い地域が、多分【出】なんだろうねぇ。」
「ははん、なるほどね。だから我慢強いんだね!」
「アタシは黒いから、太陽に近い地域の【出】なんだよ」
「ははん、きっとリズム感がいいんだろうね。」
「そうでもないよ、その中にも音痴はいるよ。」
そんな認識の中に暮らせたら、どんなにいいだろう。
自分でも知らないうちに疲れがたまってきていたんですよw
きっと。
キナちゃんのところでのやりとりを読んで
クールさんが感じている寂しさはこの辺りかなぁと
察しがついたんです。
キナちゃんところにコメを残そうかとも思ったのですが
彼女にとっては彼女の意見がやはり正しいのも分かるんです。
きっと堂々巡りになるかもしれないなぁと
書きかけてね消したんです。
それでスーパーマンの記事を見つけたw
地球市民という言葉にハッとしたんですね。
わたし自身、どこかで原発に対してのちゃんとした意見を
宣言しなければいけないと思っていましたから。
でもこの問題はとても難しい。
食の問題も絡むし、支援もあらゆることを
批判してしまうことになりかねない危惧があります。
一歩離れて客観的に見ることを
忘れていたんですね。
何よりもそれを取り戻さねばならないと
実感したんです。
日本人だからという意識を捨て
人としてどうするか。
最終的にはここだという想いに至りました。
異国に暮らすということは
二つの文化を内側に受け入れることですもんね。
いい面も悪い面も良く分かる。
だからこそ反目した時の辛さもあると思います。
でもやっぱりみんな同じ人間だってことに
変わりありませんものね!
世界中の人がどんどん交わって、違いはあるけれど
優しい部分に触れれば、他国を攻撃する抑止力になると
そう思っています。
クールさんはどこにいても
クールさんでイイと思いますヨ。
それより前に何かがくるとすれば人であることだけでw
米国籍を捨てるには賛否両論あると思うんですよ。
たとえアニメのヒーローでも
スーパーマンを知らない人はいないですものね。
出版するサイドは、今は大丈夫だと感じたはずなんです。
何しろ商業ですから。多くの米国人が感じ始めているはずなんです。
国益だけを重視した在り方への批判を。
海には浄化作用があるかもしれませんね。
ただ、この事故が日本に起こったことを世界が注目しました。
それほど日本は技術大国として信頼されていたとも。
何よりも、一応の落ち着きを示し始めた今だからこそ
わたしは今後のエネルギーを原発に頼っていくかどうかを
考えなければならないと思い、
自分の宣言として、書く事にしました。
レベル7 はとても重いと受け止めました。
そして、同じレベル「チェルノブイリ」を知らなければならないと思いました。
国としての体制が全く違うので
多くの点は異なると思います。
あの時代はとても畏れられた事故でした。
わたしたちですら本当のことを知るのは怖かった。
日本では起こらないと思っていたけれど
起こってしまった。
そんな時は現実を見つめ直さねばなりません。
混乱を招く時期を過ぎたのなら
曖昧にすべきではないと、わたしは考えています。
「チェルノブイリの祈り」は、被害者のインタビューから成り立っています。
見落とされた歴史の人々の哀しみです。
エネルギーを確保することは国の存続と同意語になりつつあります。
発展するには必要不可欠。
その為に冒す多大な犠牲を見つめなければ
進んではいけないことなのだと、改め実感しています。
今ではなく、ずっとずっと先のことを考えてゆく
責任も今も生きる大人の責務であるのだと。
原発も産業ならばそれに関わって生活されておられる人も
あらゆるの立場の人の痛みにも思い巡らせ
それでもなお、問わなければならない問題だと思うから
わたし自身への宣言でもあります。
命の問題も長いサイクルをかけて見つめなければならない
そんな状況になってしまっていますね。
う~ん。
本当はね期限切れなんだけどね。
この意味わかるでしょう。
世の中には巨悪があって、たぶんそれを許しているのは
わたしたちなんだと思うんです。
その中にはあなたもわたしも含まれていると
わたしは思っています。
自分の意見が正しいと思うなら
そこから逃げてはいけないよ。
そして、自分が行ったことで、人の逆鱗に触れることもあるだろうし
傷つけることもあるかもしれない。
それを受け止め、考えるか、闘うか、方法はいろいろだけれど
責任を持つ覚悟がないとね、進歩がないと思うの。
匿名性であるからなおね。
そうでなければ人は鍛えられないよ。
わたしは誰かと組んで、安全圏で物を言いたくないの。
どこまでもわたし個の意見。
それによって対立したとしても、長いやりとりをしてきています。
真摯であること。それに心配りはしているつもりです。
たぶんね、たくさんの人がここままじゃいけないと
思っている、そうわたしは感じています。
これからのことに対したくさんの不安を、よりリアルに
感じておられる人もいる。
まずは、自分がその立場に立ってもなお言えるのか
匿名性でなくても言えるのか
攻撃されても言えるのか
それをクリアしてから書かねばならない場合もあると思うの。
簡単に原発を批判できないのは
わたしたちがそれを許し、享受してきたからね。
自分も責任の一端を担っていると感じる心がないと
批判だけでは一方通行になる気がします。
極端な批判だけじゃなく、営利による存続じゃないく
ちゃんとした知識と将来を見据え
考えて行かねばならないことだと思っています。
カダフィ大佐はね、もうわたしの中では論ずる値しない人になっています。
自分の国の民に銃を向けるのは許し難いの。
ネットで得る知識は部分的な物になりやすいこともあると思います。
新聞も本も読んでみて。広くいろんな事に目を向けてみて。
「エコノミックヒットマン」ならば本を読んでみて。
ネット情報はとても速く消費されるだけ。
まずは自分の中の蓄積の為に、闘ってみてね。
そしてね、一番は逃げてはいけない、ということ。
おかえり。
もう、ありがとうございます、としか言えません。
アタシの心の中にある、言葉ではよく伝えられない部分が
とてもスンナリ語られていて、ストーンと自分の中に綺麗に納まりました。
こんな日記が読めて、すごく嬉しいです。
本当にありがとうございます。
そうなんです。
現実は厳しいし、いろんな立場もあるし
まずは食べて行かねばなりません。
生きる事の厳しさでしょうか。。
あくまでも理想論でしかありません。
そのことは良く分かっているんです^^;;
本当に。。
それでも理想は理想として
遠くにあったとしても、宣言はしておきたいなぁという
気持ちがありました。
来週で震災二ヶ月となりますね。
ある意味で慣れてしまうのではないか
そんな気持ちもあります。
なかなかストレートに言えない部分も多くて
湾曲的になってしまいましたね。。
新聞は難しくなってきていますね。
いわゆるスポンサーがつくとダメになりやすいのです。
だから市民の寄付によって成り立っている市民メディアの流す情報が
信頼性が高いと言えるかもしれません。
しかし、その場合でも偏りがあるかもしれず
数多くの情報を見ているうちに、真実がおのずと立ち現われてくることがあります。
物事の真実はやはり、その場に行くことが一番なのでしょうね。
だから現場に行ったジャーナリストの意見はとても重要な決め手かもしれません。
海洋汚染は限りなくありますね。
日本なら、やはり水俣でしょうか。今はすっかりと綺麗になっていますが
確かに母なる海の浄化作用は感じます。
人の侵した荒廃でどれだけの生物が絶滅に追いやられたのか
調べれば調べるほど憤る想いが募ります。
が、しかし、究極、人か動植物、自然かという選択を迫られる現実が
いずこにも存在します。
地球に存在する命はあまねく放射能との闘いの歴史でもあるでしょう。
それに耐性をつけながら進化の道を辿ってきたのでしょうね。
ただ、命のサイクルの短い生物の場合、突然変異の可能性も
否定はできないでしょうね。
もちろん、これは日本だけが抱える問題ではありません。
形を変え、起こり得る問題です。
だから深く問題にはならないところもあるのでしょうね。
ただ、甘え過ぎてますよね。。浄化作用に。。
このままじゃいけないことは確かです。
この件をことさら責めるつもりではありません。
起こってしまったことは解決を模索することこそ最善であるのですから。。。
ただ、慣れてしまってはいけない。
何度も書くつもりはないのです。
今一度、この時、今後原発をどうしていくかは
わたし自身が考えておかねばならないということで
書いておくことにしました。
彼の場合、市民権は地球にあっても、宇宙規模の思考ベースがあるから
気持ちは、地球人が考えるより複雑なのかもしれません。
地球だって、一つの生命体と考えれば
自然治癒のために、亀吉さんがおっしゃるような浄化作用装置を備えているかもしれませんね。
その能力を超えて、黴菌たちが暴れれば、治療のために駆除される日も来るかもしれません。
大きくても小さくても命は命。
全てを等しく尊しとする思いが、光明を見つける道なのかもしれません。
日本が今、行っている事は
「海」という、地球に住む全生物の共有財産(コモンズ)に対する、
恥ずべき犯罪行為だ。
スーパーマンは日本国籍を取るべきではない。
地球の全てが母国なのだから。
http://www.youtube.com/watch?v=TZHD0S_wWRA
http://www.youtube.com/watch?v=17mE5fPQjt0
地球市民ね。
俺もそうありたいものです。
でも、現実はけっこう泥臭いですw
昔、イギリスでしたっけ? 原油の海洋汚染がありましたね。
黒い油まみれの海鳥が、テレビのニュースで衝撃的でした。
ビキニ諸島では、原爆の実験やったり。海は汚染されてばっかり。
でもね、海のどっかに浄化作用装置があると思うんですよ。
信じているんですよ。
でも、無理かな。もう、音を上げてるかもしれませんね。