気が重いけど、ちょっとだけ
- カテゴリ:日記
- 2011/05/10 23:01:17
ようやく人心地ついたので、少しばかり。
えらく長らく落ち着かなかったのは、去年度うけたまわったお役目よりも多分、地震のせい。
と言っても前にも書いたとおり、震災被害はほぼ無かった。
なんだけど、いらぬ記憶を刺激したのか、えらくナーバスになって、あげく省力運転とでもいうか、必要最低限のことだけして暮らしてた(周囲に迷惑かけたと思う。埋め合わせをせねば)。
脳ミソが、尻に帆かけて逃げようとでもしていたものか。
被災地のボランティアは生活一般自分でまかなえる人じゃなきゃいけないし、才も能も体力もない人間なんで、できるのは地味に募金をつづけるくらいだ。
わかってはいるけど、なんというか、落ち着かない。
感受性ゆたかとも思えないのに、それなりに抱えたモノがあったのだなと驚いた。
腐るほど文章を書いて、片端から消した。
自分の溜め込んだ鬱屈を、垂れ流すのは間違っている。
それでも、言わないと落ち着かないこともある。
えらい思いをしている人・現在進行形で大変な人にことよせて、ヘイトスピーチしたり、自分好みではない状況を批判したりと、好機だといわんばかりに言いたいことを言っていた人間に腹が立った。
前提として、わたしは阪神・淡路の震災の時、神戸にいた。
被災したと主張すべきかどうかはわからない。
ほんのちょっと本棚に挟まっていたとか、壁に穴あいた・家具が壊れたとか、二月ほど水道とガスが復帰しなかった(電気は比較的早く戻った)、くらいのものだったので。
しんどい話はいっぱい聞いた。
で。
『阪神の震災時に多発したので、被災地で強盗や性犯罪を警戒すべし』と主張する連中をネットで見かけた。
『北斗の拳』かっちゅ~の。
えらい目しとった場所を、誹謗中傷せんとってくれません?
無かったことの証拠を挙げるのは、いわゆる『悪魔の証明』で不可能だ。
でもね、ほぼ聞いたことないんだ、そのテの話。
当時、不安で、行き合った知り合い・顔見知りとは勿論、震災直後には見知らぬ人とでもやたらと言葉を交わした。
その人の現状、今来た場所の状況、開いている店・販売している物、周囲で起きたあれこれ。正直に白状すると、不幸な話も、ロクデモナイ話も聞いた。
で、「気をつけてね」「ありがとう、あなたも」と別れる。
通常ではない勢いで噂が伝播していたはずだが、強盗多発とか、性犯罪続発なんて話は聞いた憶えがない。
強盗ではなく、火事場泥棒は地味にあった。
盗まれた物から、技量のないプロかタチの悪いアマチュアか? なんぞと言われていたり、県外ナンバーの軽トラが止まっていたのを見た、なんて話も聞いた。
もの凄いぼったくり価格で食物を売りに来た販売車のことも知ってる。
でもさ、世紀末っぽい暴力横行の世界になってた、なんて聞いたこたァないのだ。
被災地外に職場がある友人が、乗り継ぎ重ねて出社できるようになって、でも残業は帰路が不用心で無理な旨言ったら、「呑んで帰るのと同程度の時間でしょ」と言われたことがあったそうだ。状況を理解してない同僚については考えなくていい、と助言した(上司さんは解ってくれてたようだし)。
街灯がなく、もれる灯火もない場所は、本当に暗い。
それこそ、時代劇等々の「月のある夜ばかりじゃないぞ」という脅し文句を実感できるくらいに。
たとえ悪意がある人間がいなくとも、車にはねられてヘッドライトの輪からはずれ運転者に気のせいだと思われたら、絶対に朝まで見つけてもらえない、確実に死ぬ、そういう闇だ。
全壊したり焼け落ちたりで、数区画真っ暗、なんてところはざらにあった。
(余談だけど、そんなのもあって大規模停電は心底恐い)
そんな「不用心」についての言説が歪んで話されたのかね? とも思う。
にしても、そのテの言説にヘイトスピーチをのせて語られているのを見ると、他者に降りかかった事態をここぞとばかりに利用する、その心性に虫酸がはしる。
そんなあれこれを鑑みるに、今回の震災について、わたしはあまりあれこれ書かない方がいいように思える。
買い占めにまわってる人を見て苛立っていたのは、「あんたがた、現地のことなんぞ考えてないだろう……というかあの時思い切り他人事だったろうよ!」という、今更発掘された古~い鬱屈が上乗せされた気持ちだった。
この調子だと、人様の苦境についての話で、便乗で自分の感情を発散してしまいそう。それは失礼だろう。
なのでちょっとだけ、一応当事者っぽい立場のことだけ書いた。
現地では、非常事態に対して張り詰めていた気持ちが、すこし平静に戻って、過酷な状況に悄然とする人もでてくる時期だろう。
大変な思いをしている方々に、すこしでもはやく、得難い『日常』が戻りますように。
御無沙汰申し訳ありません。ようやく戻ってきたり。
阪神の震災時の、性暴力多発というデマは、辿っていくとひとつのソースにたどり着くとか。
悪意ではないにせよ不自然な情報で、信頼性は薄いようです。
穏やかにで冷静に対処のスキルを説く姿勢に、大人だなぁと感服しました。
頭に血が上りやすい人間としては見習いたいです。
その手の話は聞きませんでしたねぇ。
その人のストレスのはけ口となるのは今にはじまったことでもなく、
今の世の中、流通する情報とはそういうもんだと思って流してます。
自分がそうならないための反面教師として受け取ることにしてます。
情報インフラやサービスはかなり洗練されてきましたが、
流通するコンテンツの真偽はどうしても受け手依存になりますよね。
発信に制限がかけられない以上、受診側が情報を扱うスキルを養うしかありませんねぇ。