泣ける?其の2『たったひとつの冴えたやりかた』2
- カテゴリ:小説/詩
- 2009/04/23 00:58:54
ティプトリーは、育成歴とフェミニスティックな姿勢の類似から、ル・グインと対比して語られることが多い。
ル・グインの姿勢には、マイノリティへの共感と、理不尽に抗する知性を感じるが、ティプトリーにはそれに加えて、絶望の先にあるような諦観が見えるように思う。
ティプトリーの作品では、登場人物は自分を度外視して事態を打開するために全力で行動し、その時世界はわずかに、ごくわずかにだけ動く。
そして本人はその恩恵を受けることはない。
「たったひとつ――」で涙が出たのは、作者としては前向きな若さや勇気を書いたのだろう作品で、現実の理不尽さ・苦さに帰着したからだ。
実際の出来事ならば、どう行動しても危機は回避されないかもしれない。
そうしないのが作者の意志で、希望を見せたのだろうが、しかしそれにしては結末は心に痛い。
おそらく、作者の認識する「世界」が厳しいのだ。
作家で冒険家の親の元で育ち、画家として立ち、軍人生活のなか伴侶を得、CIAの創設に関わり、辞職して心理学の博士号を得て、のちSF作家となったこの人物はどれだけの、どれほどのものを見てきたのだろう?
希望を志向しつつも、物語にはいつも容赦がない。
単行本の訳者後書きに「ティプトリー第二の衝撃」がその死だと書いてあるが、他ではティプトリーはよく三度SFの世界に衝撃を与えた、と言われていた。
第一の衝撃はその登場、第二の衝撃は伏せられていたプロフィールが明らかにされたこと、第三の衝撃が最期だ。
中編集の2作目「グッドナイト、スイートハーツ」が雑誌に訳載されて、なぜこうも苦いエンディングと思いつつも、楽しんだ。
最後の一篇の翻訳を待っていたとき、作者の訃報が伝わってきた。
驚きもしたが、なんというかむしろ腑に落ちた。
SFファンの友人との会話でも、痛ましさよりも「らしいよね」と感じたという話になった。
だから、少なくとも「たったひとつ――」に感じたモノは決して作者の死の影響によるものではない。
その後訳出された、同じ世界を舞台とする『輝くもの天より墜ち』などは読んでいてかなり辛く、痛い。
ミステリで言う「嵐の山荘物」のなかで語られるのは、身近に引き寄せて考えるならば、第三世界の収奪に、誤った正義感から起きた殺戮、死と尊厳、等々の胸が重くなるようなテーマだ。
現実的な舞台でなくとも、作者にとっての真実を書くことができるなら、そこに「本当」はありえる。
その「本当」に心が動くことはある。
「これは事実です」なんて但し書きがなくとも、心にひびく物語だ。
でも、それでも、ティプトリーに「本当に、それが、『たったひとつの冴えたやりかた』だったのですか?」と訊いてみたくは、ある。
万人にお勧めできるとは言いかねるが、力を持った作家だとは言い切れる。
この文章でも充分ネタバレ気味だが、先入観を持たないために後書きを先に読まないことをお勧めする。
『たったひとつの冴えたやりかた』
ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア/浅倉久志訳
(中編集)早川文庫/(中篇一本収録の単行本)早川書房
あまりにも長くインしてなかったので……ここ、読まれるかな?
SFって、実は社会への考察や、地味な思考の実験、作者の社会観や人間観を反映した話も案外多いです。
ガジェットがちがちの活劇も多いですけどw
えー、問題にしたのは筆致だけでして、根底に流れる諦観というかは変わらない、ってか強固になってます。
感傷的、と言う人もいるけど、底にあるものを辛くなく書こうとするとああなるのかなぁ、というか……
ストーリー主導になった部分はあるような。
初期はアイディアストーリーも結構あります。SF的な面白さならそっちがお勧めかも。
SFは、新井素子の親近感を引いてお洒落に大人にした感じと表現すれば雰囲気が伝わるかな?
そんな感じがしました。
>ティプトリーは初期は冷徹な雰囲気さえありますが、晩年は筆致が丸くなった気がします
そうか、読むなら晩年の作品のほうがいいかな?
質問集、お持ち帰りありがとうございます。
感想書くの大変でしょうが、マイペースで、ご無理なさらないでくださいね。
『歌うダイアモンド』読んだことないです。どういった感触のお話なのでしょう?
ティプトリーは初期は冷徹な雰囲気さえありますが、晩年は筆致が丸くなった気がします。
装う必要がなくなったって部分もあると思うんですが……
Cabbageさん
作者については、えー、見ての通り伏せて書いてるところもあるんで自分としては不完全燃焼気味だったり。
わたしが目の下をグシグシこすりだしたのはハミングあたりでした。
ながつきさん
逆にティプトリーの訃報で考え込みはしても、涙はなかったので、なんというかお気持ち、わかるような気がします。
例の書評は、「皆が心を動かされるだろう」と言いたいのだろうけど、涙を流す人、考える人、表に出さない人、と反応はそれぞれだろうに、とちょっとゲンナリ。
作品を評するとき、評する側もその言説で判断・評価されるわけで、心せねばと思います。
「あるべきところに帰着した」と感じる方に「たおやかな狂える手に」(『星ぼしの荒野から』収録)の感想をうかがってみたいです。
あれ、「たったひとつ——」とある意味同じ話だと思ってます。
で、「あるべきところに帰着した」と感じるのですが、でも悔し涙みたいなものがジワジワと……
ティプトリー、キッツイです。
私にとっては、物語はあるべきところに帰着したし、涙はなかったです。
この本の”これを読んで泣かなかったら人間じゃない”書評には、ちょっとショックでした。
自分にとって心に響いた、たいせつだと感じた物語で非人間のレッテルを貼られるとはw
逆に、その後に知った「第三の衝撃」で、ボロボロに泣きました。
どれほどの思いでその決断を実行したのだろうと・・・。
訃報、私もリアルタイムで友達と「らしい」と言いあってました。
P.S 私がティッシュを持ったのはスタビライザー辺りからだったかな・・・
この記述を読んで、読みたくなった~
いままで、いろいろなところで、この本のおすすめみたけど、一番心動かされた気がする。
ハヤカワの女の子が表紙に載っている奴ですよね。書店で見かけたことはあるのだ・・・
余談ですが、ヘレン・マクロイ「歌うダイアモンド」という短編集を読んだときに、
SFも書いているんだ~こんな話しもあるんだったら、海外SFももう少し読んでおけばよかったと何年か前に思ったのですよね
でも、なかなかああいうテイストの海外SFってみかけなくって・・・探し方が悪かったのかな?