Nicotto Town



(心の)痛みについて


辺見庸さん著の『たんば色の覚書』
あとがきのかわりに 痛みについて、という最終章がある。

わたしと全く同じ意見なので、読みながらそうそうと頷いた。

この本は大阪での講演会の際、受付で買い求めた。
もしかしたら最期になるかもしれない、そんな気さえしていた。
脳梗塞と大腸癌を患い、片足を引き摺り、不自然なまま止まっている右手に
痛々しさを感じた。

それ以降関西ではお見かけしなくなった。
移動できるほどの体力がないのかもしれない。

この大地震。彼の故郷の町、宮城県石巻は大津波に呑み込まれた。
生きるとは過酷だなぁと思わずにはいられない。

痛みとは、限りなく私的で他者との共有が不可能に近い。

自分の痛みは自分しか分からないのが真実だろうと
わたしも思います。
同じような経験でも、人に寄って感じ方も性格も違うので
微妙にずれてしまう。
それは仕方のないことかもしれません。

それでも自分の経験した痛みと、遠くにいる見知らぬ人の痛みには
どこか共通点があり、どんなに隔てられていても
理解しようと想像すべきではないか。

自分の痛みを出発点に、他者への痛みに何とか近づこうとする時
想像力だけが懸け橋となる。

想像するのを止めないのは、徒労でいて徒労ではない。
それこそが痛みというものの、他にはない
優れた特性であるべきであろう。

わたしが幼い頃の悲惨?だったかもしれない過去を書くのは
データー公開のつもりだ。
もちろん、悲しくもあるのだけれど。。

たとえば人生がゲームなら
底に落ちても、必ず脱出する道は残されているはず。
あきらめないで、ゲームオーバーするのは
もったいないじゃないか。
そんな気持ちです。

でも、最近、国会中継を見る度に
こいつら想像力欠如しとる!
そんなところでがーがー政権争いしとる前に
バスに乗り込んで被災地を回れ~!!
と、毒づくばかり。。

2ヶ月半が過ぎ、募金箱泥棒や、詐欺まがいも増えてきた。
日常的に、悪さする余裕が出てきたとも言えるが。。

お隣さんが家を売られ、解体工事の真っ最中。
一戸の家でもこんなに時間がかかるのだ。
そう思うと、復興の大変さが見に沁みる。

日常に戻るのも大切だが
震災前の日常には、わたしたちは戻ることはできないのだと
忘れないでおきたい。

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2011/06/07 23:14
murasakiさん★コメントありがとうございます。

初めまして^^
ようこそいらっしゃって下さいました。

解体やさんですか。。
新しい物を作る為に壊すことでも、なんだか切ないものですね。

家は人が住んでいると生きて、どんなボロボロの家でも
何かを語っています。

人がいなくなると家や建物は空洞になるけれど
なんでしょうね。
あのたまらない余白は。。

感じる、という方が近いのかもしれませんね。
想像する心を失ったら
悲しみを知ることもだけれど
その裏側にあったはずの、喜びや愛情もなかったこととして
忘れ去ってしまう気がします。

これが人と動物とを分ける
唯一の長所かもしれないと、わたしは思っています。

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2011/06/07 21:56
ε=ε=ε=【はじめまして!ブログ広場から来ました♪♪】>c=(●'▽'●)ゝ

人のところから^^commentが気になって訪問させて頂きました

解体やです・家壊すのもあとのある・・解体と人の人生を思わせる悲しい解体もあります


なんて…「痛み」     同感です


分かる・といったら。。。語弊有りますが・・の世界です

100&%解するなんてできない
でも・・・理解したいとは思います



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2011/05/30 01:03
KINAちゃん

全然分からんかったのでググってみたww
バラエティはほとんど見ないの^^;

それでようやく、ああこれかと。
投票した人のバカさ加減の方が気になるわw

テレビってまぁ晒しもんだしね。
アホぼん典型やね。
黙殺ですわwwやがて消えるやろう。
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2011/05/30 00:49
ぜんぜん話が飛ぶけど、あのナントカタイゾウって議員、若いの、あれなに?
いやにバラエティに出てるじゃん?

なんちゅう目立ちたがり屋の、人の話が聞ききらん人間を、あの場に立たしてんだろう。

スキャンダルを、三面記事的にツツクつもりもないけどさ、
あーいうのってどうなん?50万だっけ?

妊娠ってさ、阻止すれば阻止できるんだ。
それをしない思いやりの無さ。。。この人が誰を思いやれるんだろう。。。

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2011/05/30 00:16
らてぃあさん★コメントありがとうございます。

政治家は特に、2世3世議員が増えてますよね。
庶民感覚とは隔絶して生きてきた人が自動的になる傾向が強いので
分からないんだろうなぁと。それではイカン時期なので、多少考えて欲しいですね。

福島出身の議員さん、自民ですが、菅批判少しは言わないと
突かれると言っていました。これが精一杯の抗議なのね。
本当は被災地のことを考えた議会にしたいのに、ままならない現実に辛そうでした。

メディアもね、民放だとスポンサーがらみになったら腰が引けるし
骨のある内容が少ないのも事実ですね。
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2011/05/29 22:59
世の中いろいろなタイプの人がいていいけど、政治家として働くのなら想像力を持ってほしいです。
菅降ろしして、それからどうするつもりなのか。まるっきりわからないし。
ここ数年マスコミも眉唾だと感じます。福島の被災者の方がインタビューに「原発で何があったかより、自分たちの生活を何とかしてほしい」って答えてたのに。ニュースのコメンテーターは「政府の信用がどうのこうの・・」で結んでた。違うよね。
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2011/05/29 03:46
KINACOさん★コメントありがとうございます。

募金を集めるのかぁ。スイカくんがww
競争させるってのも手かもよ。。

想像力だろうね。。本当に。。

小出先生の話はどんどん持っていってね。
ユーチュウブのコメントを見ると福島の人もたくさん
聴いておられるみたい。

たぶんね、誰が今なったとしても確実な実績は出せない状況だと思う。
政権交代して、その無駄な時間をどうするんだって言いたいね。

ただ与党は責められる宿命にあるからね。
でもね、今の自民に戻ったとして、谷垣(呼び捨て)かい、あの臆病もんなんぞ
何ができるねと言いたいわ。。政権入りすべきが国民のことを考える政治家やろう。
覚悟のないやつを党首にしとるやんもんね。。

河野太郎さんは自民の中で数少ない原発反対を公然としてる人だワ。
彼を党首にできなかった党は昔の体質のままよ。

政治が国民の思いから乖離していく感じがするね。

菅さんは嫌いじゃないよ。
ただ、残念ながら、育てる余裕は国民にはない感じもする。
確かなブレーンがもう数人は欲しいね。
攻撃されすぎて、頑なにならないことを祈るばかり。。

自民も攻撃よりも復興の代案を出すべき。
何よりも自民に戻ると、原発推進に知らぬ間に戻る可能性も
否定できないものなぁ。。

とにかく、原発を今後どうして行くか、今、考えなくして
どうするね。。という強い思いはあるわ。。
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2011/05/29 03:27
yukinkoさん★コメントありがとうございます。

震災被害の重い地域のニュースが減ってきましたね。
仕方のないことかもしれません。。

お盆までに仮設住宅が建てばよいのですが。。
犠牲になった方々を迎えるのに体育館では悲しすぎると
地元の議員が訴えておられました。

ビルがね少ない街でしたね。
それだけ大企業がない地方だったんでしょうね。
神戸や繁華街は復興が早かったけれど、長田辺りは
本当に遅れていました。

話すだけでも人は楽になるんですものね。
カウンセリングなど。。
震災孤児の人数も多かったようで。。
先を思うと、たまらなくなりますね。。
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2011/05/29 03:19
ダヤンさん★コメントありがとうございます。

震災の経験は、実際はしたくはないものです。
天災だから、怨むこともできないし、今回は犠牲になれた方も
阪神以上に多くて。。運命と言いたくはないけれど、そうとしか言えない
経験であったとお察しします。

その時々は淡々としているのですが
ある瞬間、ブラックホールみたいに感情が抜けたり
噴出してくることもありますね。。

阪神大震災で妹さんを亡くされた教授がおれました。
お母さんの嘆きに、仕方がなかったんだ。頑張ろうと言い続けたそうです。
ご自身もお辛かったんだと思います。
その後、喪失に耐えられずお母さまが縊死された
その経験を新聞に書いておられました。
身内を亡くされた方々への教訓として、冷静書かれておられました。
痛恨の思いを抱えておられるだろうなぁと。。

痛みを抱え込んではいけなくて
何処かで吐き出すことが大切だと思うのです。
身に纏うものではなく
その経験から、他者を理解する手立てとして
自分の中から旅立たせやる。
その経験から、他者に寄り添える、そして自身も救われる
そんなこともあるかもしれません。

福島はとても厳しい状況ですね。
子どもの放射能レベルも地元の父兄の皆さんの
涙ながらの抗議によって、なんとか翻りました。

国は混乱を防ぐことを先に考えるので
将来におけることは後ろ手に回りがちかもしれません。
出れる人はいいけれど、
そう簡単に生活を捨てて出れるはずもありません。

国内難民という言葉が浮かんで
涙が出ます。
長い長い闘いになる気がします。。
実際にどういう方法が良いのか
浮かんでこない深い悲しみが横たわります。

国の援助もこれだけ広域なので、個人となるとかなり限定的なってくると
憶測できます。弱い者が犠牲にならないことを祈ってやみませんが。。

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2011/05/29 02:59
アッシュさん★コメントありがとうございます。

そうそう。涙もろくなりますwww
もうオバちゃんの域でしょうかと思うくらい^^;;
震災系はティッシュを片手に。。

出張が多いですね。
ホント。。。
続くと心身ともお疲れになりますね。。
行く場所だって初めて事ばかりだし
神経も遣うことだと思います。

落ち付かない気分ですね。。
身体に気をつけて、風土の違いに目をやったり
ほらSFの新作なんてやつも久しぶりにお伴させてみますかw

お疲れ様です。
でも、ちゃんと戻ってこれますってw
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2011/05/29 02:52
西の魔女さん★コメントありがとうございます。

主を失くした家は、なんとも寂しげです。
その家を飾る手入れされた花々の色は幸せに満ちた感じに
見えてきますものね。

うちの近所にも、不景気で家を手放された方がおられました。
門を開けると植木屋さんが出入りしているなぁと思わせる
丸い形をしたツツジや、松がある立派なお庭でした。

解体時、全部切り取られてしまうんです。
何とも切ない気分になります。
市役所に植木や樹木を預かり、希望者に渡すシステムがあるんです。
ご存知だったのかなぁ。そんな余裕もなかったのかなぁ。
と、ため息をつきました。木々が痛々しくて。。

小太りの男性、雨のせいかもしれませんね。
そういうことにしてしまいましょう。
それとも安い賃金のせいか。。
もしかしたら何か関連があったのかも。。

生きて行くことは痛みの連続でもありますね。
それでもね、わたしは思うんです。
物事を冷静に判断して、あれとこれと分けてみる。
そして自分に訊いてみる。

ねぇ、最悪こうなるよ。それでもこうする?と
そうだね。でもそうする。じゃ行くか。。
手毬さんって^^;人生はもう一人大切な自分との二人連れです。

父は自分の痛みだけに捕まった人でした。
その為に周囲が見えなくなったんです。
誰の声も届きませんでした。
その為に家族は救えなかったと後悔の念を抱き続ける結果となりました。
どこかで自分を責めてしまうんですね。

父がもっと幸せであれば、わたしも多少救われたことでしょう。
そうじゃなかった。いつでも泣いていた人だったと
別れて大人になるほどに思い出します。

確かなことは痛みに捕まらず
自分の力で抜けだそうとしなければ、立ち直れないということでした。

痛みは他者を理解する手立てとして利用すべきで
自分をその中に留めてはいけないものだと
わたし信じています。
その為には、時に自らの痛みに向かっていく勇気も
必要で、これも辛いことなんですが。。。

家を手放す。寂しい情景ですが、きっときっと
辛くても、新たな旅立ちがあった願っておくことにいたしましょう。
痛みの中に、少しだけで応援を込めて
雨に流してみましょう。。
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2011/05/29 02:25
カルカンさん★コメントありがとうございます。

一体何でしょうね。。
誰も望んでいないことを、
今することはないだろうと思うのですが。。

ここ数カ月、何も進展がない
それほど現場は大変であろうと思うのです。
どちらかと言えば過疎地ですものね。

争うエネルギーを復興に向けて欲しいものです。
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2011/05/29 02:23
笛さん★コメントありがとうございます。

わたしね、一つだけ確かに思うことがあるんです。

人は悲しみで繋がっちゃいけないって。
楽しいことで繋がっていかなければいけないって。
でなければ、会いたくなくなるんです。

これはわたしの家族から学んだことかも。
父と母と、血縁関係はどこか痛みで繋がっているんです。
だから今でも足が重くなる。

何だろうなぁと思うんです。

思いやりながら、距離を取りながらでも
痛みが少しでも軽くなり、明るい方へと向かいたい
そんな気持ちが共に生きるならば
確かな関係へと発展していくのではないかと。。

ただ、安直に「わかるよ」と言われてしまうと
う~ん。ホントかよと思ってしまうのは事実ですね^^;

無口でも傍らにある思いやりは
言葉よりも雄弁であると信じています。
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2011/05/29 02:14
おおくま ねこさん★コメントありがとうございます。

痛みは固有のものだもね。
どんなに理解が進んでもその人自身が
自分の力で抜け出るしか、方法がない時があったりします。

若い頃はもっと無邪気に
「頑張ってください」などと言えたのにね。
生きることを重ねると
経験も多少増えて、無口になるしかない
そんな時も多々ですね。

その場では何も言えなくて、心に引っ掛かり続ける
誰かの痛みを時折考えることがあります。

ある時、一つの経験から
「あっ」と思うのです。

受けてしまった痛みは緩やかに旅に出て
誰かを理解することができたなら
自分の中に巣くっていた何かもほどけれくる
そんな感じも受けるのです。
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2011/05/29 01:38
亀吉さん★コメントありがとうございます。

出会った縁なんじゃないかなぁと思います。

わたしも犬や猫が大好き。でも自分で責任を持って
世話をし看取ってやることができるか、それに躊躇があります。
だから、庭にやって来て棲みついたのなら、わかりました。
お世話いたします。みたいな。。

大金持ちでもない限り、自分の両手しかないものね。
できること限られています。その中でなにができるかなんだろうね。

大きな視点でみれば亀ちゃんのアドバイスも間違っていなかったと
思うよ。彼の心が心配だったのね。
でも目の前にいる人に手を差し伸べる強い気持ちも
とても大切よね。

やっぱり縁だなぁ。。

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2011/05/29 01:15
スイカの村で、日赤経由の募金を明日集めなきゃいかんの、スイカがwww

想像力なんだよね、もう頼るべきは。
痛みをどれほど受け止めれるか。

管さんが、被災地回ってたよね。
あの時にね、この人ホントに悲しんでると思ったのよ。
いろいろ不慣れで批判されるけど、痛みを感じようとしているその人を
私は悪い政治家だと、とても思えない。
育てようよ、この人を。
どんなに叩いても心で受け止めようとする才のない人たちが、ずっと政権についていた。
その人達なら、もっとケレン目なく、今を乗り切ったかな?

いやいや、最後は心でしょ?と、やっぱり思うんだ。
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2011/05/28 16:40
痛点が麻痺してしまっているほどに今、苦境の極地におられる方が今後、痛みを実感されて吐露できる場所がたくさんあることを願ってやみません。
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2011/05/28 10:20
こういう状況になると、想いや気持ちのズレは自然と出てくるのかもしれませんね。
震災後、ニコタでも些細な言葉でショックを受けたりしました。
震災がなかったら、気にする事もないような本当に些細な言葉でした(。-`ω-)ンー

辛い出来事をどこまで想像して近づいて接するか。
経験していれば近づけるし、難しい事かもしれないけれど…きっと出来ると思います。

そして国は…福島県民の方々事をどう考えているのかな。
こういう気持ちは感じませんね。
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2011/05/28 03:00
KOOLKATさん★コメントありがとうございます。

経験しなけらば分からないことは
たくさんありますものね。

だからといって、痛みをたくさん受けた人が優しいとも
限らないんですね。痛みから学ぶことがなければ
痛みは痛みとしてだけ、心の中でずっと疼いて離れてくれない
そんな気がします。

痛みの根底にあるものは、愛情であるのかもしれませんね。
現場にいなくても、切ないのは故郷への深い愛情
日頃は意識していないものでした。

それだけ痛みは個々に特殊性がるのでしょうね。
だからこそ、分かるとは言いがたい。
想像力で補っても、確信がないから不安になる。
その戸惑いこそが、相手に近づいて行く一歩なのかもしれませんね。
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2011/05/28 02:52
招き猫さん★コメントありがとうございます。

政局ね。嫌になります。。

痛みによって、人を知る、理解できる部分はあると
信じてもよいでしょうね。
ただ、痛みに捕まってしまっている場合はとても難しい気もします。

わたしの中でのその代表は父です。
父は自分の痛みだけを見つめ、他は受付ようとしませんでした。
その為に自分の人生も家族も傷つけ失ってしまったと
思えてならないのです。

辛い経験から学ぶ、そうする意思こそが
痛みから抜け出す力となるのでしょうね。

たぶん、人による慰めも癒しになりますが
最終的には自分でしか自分は救えないと思います。

昔に戻れないのが哀しいですね。
失った人々は帰ってくることはないですものね。
建造物は建て直すことができるけれど。。
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2011/05/28 02:45
†ゆみ†さん★コメントありがとうございます。

わたしも阪神歳震災がなければ、分からないことが多かったと
強く思っています。あの震災によって、今に生かされたことも
たくさんあったのだということが、一つの救いになりました。

神戸や阪神間からの支援のネットワークは早かったので
無駄にしていないんだなぁとホッとした思いがありました。

ただ当時、被災者であったわたしも身内を失くしておらず
比べられない実感もありました。

もしも。。自分だったらと想像すると。。
ということが可能になった大災害でした。
慣れれくると、悪事にも余裕が出来たのか募金箱泥棒が勃発。
想像力の欠如を感じます。

痛みに捕まってもいけないし、忘れてもいけない。
なかなか取り扱いが難しいものではありますね。
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2011/05/28 02:36
タコヤキさん★コメントありがとうございます。

きっとね、本当には分かり合えない部分は残り続けます。
自分自身すら、分からないことが多いですものね。

傷を受け続けている最中なら
想像は働かないかもしれません。
少し落ち着いて、それでもじくじく痛みだすを
旅に出してやらねばなりません。

痛みは個性的で自分だけのものではありますが
きっと何かしらの役目を背負っていると
わたしは思うことにしています。

たとえば、母が交通事故に遭い、相手の保険会社の理不尽な行いに
憤り、相手側の処分がどうなったのかを警察署に訊ねに行きました。

被害者対策室と掲げられた細長い部屋で待つように言われました。
簡素なソファが一つあって、目の前は薄汚れたベージュの壁だけでした。

わたしには母がいて、命には係わらないからいいけれど
犯罪被害に遭い、大切な人の命が奪われて、力もない場合
どうやって立ち向かえるのだろうかと。

被害者はいつも置き去りにされ、ボロボロな中で立ち上がらなければ
救われないのだ。それを強く感じたのです。

自分が経験した痛みを自分だけのものとしなければ
痛みはあらゆる立場の人々の傍らに立ち
理解を促してくれるものではないかと
それこそが受けてしまった痛みの効用ではないかと
思うのです。
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2011/05/28 02:26
ハレルヤさん★コメントありがとうございます。

「分かる」とは難しいことですね。
たぶん感じるとか、それが似つかわしいのかな。

「分かる」と口に出した瞬間
遠く離れて行くような感覚はあるだろうなぁと思います。

分かつというのも、やはり難しいしね。

それでも想像力を駆使して、
考えなければならない気もするんです。
何かが出来るできないは別として

それが自分の痛みにしがみつかない対処法であり
受けた痛みの、もし効用があるとすれば
そうだと思うからなんです。
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2011/05/27 19:59
オトナになるにつれ、感情移入が激しくなるデスね。
良い事でもあり、時に困る事もありますです。
どうも最近、出張が多くてw
わからない仕事をわからないなりにこなしてます。
なんていうか・・・
迷子になった時の気分ですね。
久しぶりの経験?
それなりに楽しみをみつけて、テンション高めでやってこうと思っております。
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2011/05/27 13:26
言った言わないの水かけ論は子供の喧嘩なのに・・・・

昨日ね・・・ちょっとしたことで胸が痛んで
でも、ブログに書くには、思いが不充分過ぎたのでね・・・
昨年引っ越した今の住所は、幼い頃から嫁ぐまでを過ごした場所と同じ町内です。
利用する駅も同じ。
駅のホームから見える、見慣れたお宅が今もあります。
当時はお洒落だったレンガ風カラータイルをアクセントに使った、ありがちな戸建て。
玄関へのアプローチに細いコンクリートの三和土が数メートルついています。
その両側と、片側の柵にも掛けて、たくさんの鉢植えが綺麗だったの。
昨日、雨の中、その家の前に、廃棄物搬送用の荷台そのものをクレーンで積み下ろしできるトラックが
塞ぐように止まっていたのね。
見る見る無造作に、鉢たちが深さ1メートルちょっとの荷台に投げ込まれていく・・・
雨に濡れて、一人の小太りな男性が、黙々と投げ込んでる。
でもね、なんだか、扱いが変なの。故意に乱暴にしている感じ・・・
劣化したプランターの縁を、なんの必要があってか、無意味にベキッと折ったりまでする。
表情を見てハッとしました。
明らかに憎々しげなんです。
ただの業者さんではないなと思いました。
鉢の主と、なにかしらの縁があるのでしょう。
鉢の主はどうなってしまったのでしょう。もう、その家にはいらっしゃらないのでしょうね・・・
雨に濡れた、その男性にも、鉢の主にも、計り知れない痛みがあるのでしょうね。
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2011/05/26 21:59
政権争いは
もちょっとあとに
してもらいたいで
すね^^;
せめて今だけは
歩み寄って未来の
エネルギー開発や
ら被災地の復興に
力を注いでもらい
たいです。。。
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2011/05/26 18:53
痛みは共有できない、でも他人の痛みを想像することはできる。
確かにその通りだと思います。

痛みを感じている人に、簡単に「わかるよ」なんて言ってしまって、
「何がわかる」と返されるのが怖くて、何も言えずにいてしまうことも多いのです。
痛みを感じている時に、他人に簡単に「わかるよ」と言われたら、
いやな気持になってしまうこともあるのです。

お互いにお互いの痛みに触れないように距離を取って生きるのも方法だと思います。
痛みに痛みを重ねることを覚悟しても、近づこうとするのも一つの生き方だと思います。
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2011/05/26 17:43
体のもだけど、心の痛みは本人にしか本当のところは判らないのだって言うのは思う。
なんと声をかけたらいいのか判らないこともたくさんある。

自分が体験してこなかった苦しい、厳しい、悲しい思いをして来た人たちに「うん、判るよ」とは決して言えない。
でも、判らないからと言ってその痛みを無視して放っておけるはずもない……

想像する、相手を思う、それだけしかできないけど、判らないからと言ってあきらめてしまいたくはない、そう思っています。
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2011/05/26 15:20
昔、南の島にインストラクターのトレーニングに来てた男の子が、
私たちの知り合いの障害のある子供に、めっちゃ入れ込んでヘルプしようとしていた。
その子供の心配を泣きながら話したりする。日本で会った時に、
「ジョセフだけじゃなくて、世界中にはもっと悲惨な子供たちがいるんだから、
そんなに入れこまないで」とアドバイスしたら、
「俺の力は小さいんだよ! 目の前のジョセフだけでもどうにかしてやりたい!」
その時の私、なるほどと目からウロコ。

内容はズレましたが、思い出の話。
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2011/05/26 14:40
黒猫さんとはよく言い合っていることだけれども
その場に居て一緒に経験しなければ解らない痛みもあるし
遠くに居て一緒に経験出来なかったからこその痛み、ってのもありますものね。
お互いの立場に立って考える時に必要なのは
想像力と思いやりなんだろうなぁ、とつくづく思います。
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2011/05/26 13:34
確かにね、痛みは共有する事は難しいけれども、理解は出来るはずだと信じています。
痛点は人それぞれ。
何故痛いのかよりも、その苦痛をどうするべきか?を考えてあげなければいけないのでしょうね。

被災者のお子さんが、インタビューでこう言ってました。
「今、何が一番欲しいですか?」
という問いに
「タイムマシンが欲しいです。」
元に戻ると言うのは、それほど難しいのですね・・・。

それなのに、政局やってるんだから・・・まったく・・・。
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2011/05/26 13:29
私もあの地震の恐怖を味わってから常に地震の事が頭の隅にあります。
被災地の方の地震の大きさには比べものにならないですが・・・
それまでは地震はそんなに怖いと思わなかったですが、
今は少しでもびくついてしまいます。
被災地の方はそれ以上に心に傷を受けたり、
今でも避難所生活で毎日窮屈な生活をしているのを観ていると辛くなります。
人の数だけそれぞれの心の痛みがあると思うので、全部の痛みを分かるには大変ですが、
少しの痛みだけでも分かち合いたいという気持ちは持っていたいと思います。

震災前の日常に戻ることは出来ないけれど、
また新しい未来へと少しづつ前に向えるように祈るばかりです。
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2011/05/26 06:47
自分の痛みは自分にしか分からない・・それは本当にそうだと思う。
分からないけれど、その人のことを思って想像する。それがつまり「寄り添う」ってこと
なのかな?とも思うけど どうやらその想像する力は自分はあまり持っていないようだ(-w-;

『震災前の日常には、わたしたちは戻ることはできないのだと』
これは全くその通りですね。震災に会われた方もそうですが、そうでない方も心のどこかが少し
違ってしまったかもしれない。(まぁ震災だけに限ったことではないかもしれませんが)

下でハレルヤさんが言っておられる『「分かる」は「分かつ」が元らしく・・』というのも
深いなぁ・・と思って読みました。「分かる」と言った時から、思った時から誤解というものは
始まるのかもしれないですね。
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2011/05/26 04:17
想像力が大事なことを日々痛感してます。
想像力のない人間は、悪気がなくとも人を傷つけゆくし
相手が傷ついていることすら察知しないし
成長もしないし

ああ、でも想像力が過ぎて口をつぐんでしまうことも多々w
多弁なようでいて大事なところは「分かる」とはいえないもの
「分かる」は「分かつ」が元らしくって、
口から言葉として飛び出した瞬間本質から分かれて遠いところにいってしまいそうになるから。




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