占いは予知では無く予報
- カテゴリ:占い
- 2011/05/27 17:22:50
タロット占いと聞くと、たまにいらっしゃるのが
「未来なんてわかるわけないじゃん。非科学的だ」
という方です。
非科学的かどうかはさておいて、そもそも占いは未来を予知するものではありません。
未来の流れを見る行為と言った方が正確と言えます。
占いとは風見鶏のようなものです。
私は占いを始める前に必ずそういった説明をします。
今どっちの方向から風が吹いて、どっちへと流れようとしているのか。
そしてその風の強さは 性質は?
人は川に浮かび流されている小船という例えでも良いかもしれません。
川はどっちに流れていて、流れの強さはどれくらいで、最終的にどこに流れ着く予定なのか。
どっちが上流かわからなければ、漕ぐべき方向や途中にある暗礁などに注意することもできません。
つまるところ現在を知り、その現在から未来を予報するのが占いなのです。
現実の天気予報と同じですね。
風の向きや雲の位置、気圧の変化や地形から未来の天気を当てようとするのと同じなんです。
じゃあなんで適当(適当でも無いのですが)に引いたカードでそんな流れがわかるのかというと、まず物事にある”流れ”というものを理解する必要があります。
一流のスポーツ選手や企業家、作家や芸能人など、必ずと言っていいほど言われるのが
物事には流れというものがある。
ただの偶然か?それとも必然か。
何か大きなこと、良い事も悪い事も含めて何かが起こる時、身の回りに何かそれを予兆するものが現れるのだと言います。
「自分好みの飲み屋を偶然見つけて、そこで自分の求めていた人間に出会えた」
「なぜかやたらと店員が間違いを起こし、安い値段で少し高い物が食えることが増えた」
「適当にくじを引くと、当たるということが続く」
「信号無視の車に轢かれそうになることが増えた」
「毎朝欠かさずやっていた歯磨きを最近なぜか忘れることが増えた」
「大切にしていた物が壊れた」
なんとなく、それとなく現れる予兆は、大抵何か物事が起きた時、ああそういえばあの時ああいうことがあったなぁ、そういう流れだったのか、と思い返すまで見逃してしまうことが多いです。
もちろん、現実的な流れのこともおっしゃっているのは当然です。
他者の動向、現在の状況、その他現実でわかっていることを総合して流れと言うのも間違いではありません。
ですがそういう流れを口にされる方になぜかそれ以外の”流れ”を信じていらっしゃる方は多いのです。
なんだか宗教じみてきたので怖がっている方も居そうですね・・・。
でも私自身説明できないことがいくつもあるのです。
なぜ、恋の悩みを占う時に限ってやたらと”恋人”のカードを見るのでしょう?
なぜ、悪い結果が出た人をもう一度占うと、似た結果が出ることが多いのでしょう?
なぜ、何度占っても良い結果しか出ない人が居るのでしょう?
趣味で始めた占いでそういった結果の偏りを目の当たりにして、私も初めて占いの活用を信じるようになりました。
よく考えてみると、私に占ってもらうという選択肢以前に、その人には多くの選択肢があったはずです。
ネットの無料の占いもあるし、そもそも私を知ることができたということ、占いをしてもらおうかなと思ったこと
偶然が積み重なって実際占う時に出たたった一枚のカード
そのカードには何か意味があるはず
もしかしたら予兆なのかも知れないと私は思っています。
とまあ、いろいろ語りはしたのですがぶっちゃけ信じなくても良いです。
だって証明の仕方が無いのですよ。実際非科学的なものだし。
実際に何度も占って、その偏りを見て当たったから私も信じてるわけですしね。
いきなり語られて信じるなんて正直無理です。
信じてない人に関しては、日ごろの何気ないことに対する注意喚起になれば良いかなと思ってます。
なお、最後に占いの結果の見方に付いて少しだけ。
悪い結果が出たからといって落胆しないでください。
その結果とは「放っておいたらその結果に行くよ」という意味でしかありません。
悪い方向に流されていても、どこに支流があるのか知ることができ、漕ぎ出すことができれば良い結果にすることもできるでしょう。
あくまで予報。気をつけようと思う位で大丈夫です。
良い結果の時も同じです。
良い結果が出たからといって油断しないでください。
「今までと同じ努力をすれば良い結果に行くよ」という意味なのですから。
気を抜いて注意を怠れば、悪い結果に行き着くこともあるのです。
ある意味、知らなければ何も気にせず良い結果に行けたという意味ですから、人に寄ってはこっちの方がやっかいな結果かも知れませんね。
どちらにせよ、傾倒しすぎず、日ごろに対する引き締めの意味で占いをするというのは、非常に有用な活用方法なのではないかと思います。