Nicotto Town



三題噺: 紫陽花 雫 海

三題噺:紫陽花 雫 海 で書きました。
タイトルが思い浮かばなかったので無題ですが、不思議な紫陽花の咲く町に住む女の子のお話です。
コメントいただけると嬉しいです。


「ねぇ、朝ちゃん、今日のニュースで気象庁が今年は水神地区に梅雨はありませんでしたって報告してたんだけど、知ってる?」

数年前から地球温暖化が問題視され、梅雨の時期は年々曖昧になり豪雨の年もあれば数日で終わってしまう年もあったがそれでも降らない年は今までにはなかった。
けれど6月、最後の週末を残して未だ海辺のこの町にはとうとう雨が一滴も降っていなかった。
1週間分をまとめた新聞をトントンとそろえながら私は顔を上げて同僚の樋口朝子を見やった。

「そうみたいね、室内にいると天候には鈍くなるけど。雨が降らないと湿気が少なくて本には優しいわ。」

返却されてきた本を揃えながら朝ちゃんが興味がなさそうに返事をくれる。

私、新野小夏は今年から小学校から住んでいる水神町の図書館司書として働いている。
6月の最終週、夏休みにも入らないこの時期の平日はほとんど図書館の利用者はいない。
正確には職場の先輩である朝子を「朝ちゃん」と呼んだのは、小さい頃から家が近かったため。
職場でも二人きりの時は昔からの「朝ちゃん」がついつい出てしまう。
のほほんとした私と正反対の朝ちゃんはいつも冷静で、きっと本当に本が湿気にやられなくて良かったと思っているに違いない。
確かに本は湿気に弱い。湿気が大好きなカビは本の天敵である。
だから、私達にとっても湿気は天敵といっても間違いではない。
雨が降ると湿気はぐんとと上がるから良くないってのは分かる。
ここのところのカラッとした陽気は大歓迎だ。

「でもね、朝ちゃん、この町は水の神がおわす街、水神町だよ?隣の西下市に日照が続いた時だってここは海から雨雲がやってきて雨が降ったし、
町のPRだって『美しい雫の見れる町、水神町』だよ?」

私はさらに言い募った。
この町は本当に水源と降水量に恵まれた土地だ。
南からの湿った空気が梅雨前線を生みだし、ちょうどこの町の上空から雨が始まる。そんなふうに理科の授業で習った。
その話を今も思い出せるのは、海風がこの町に雨を降らす現象が神話のようだったからかもしれない。
きまって海がある南の方から湿った温かい風が吹いてくる。
そうして、誰かが「あ、降る。」と言った次の瞬間には頭上にもくもくと広がった濁った灰色の雲から雨の雫が次々と落ちてくる。
このとき東側隣の西下市では雨は降っておらず、ちょうど30分後に雨が降るので梅雨の時期は隣町の友人からのメールが絶えなかった。
みんな雨対策に連絡をよこすのだ。
そのことを知ったとき、なんて不思議なんだろうと小さかった千夏は思った。
そしてなんて神秘的なんだろう、と。

小学1年の6月父親の急な転勤でこの町にやってきた時、小夏は人生で初めて傘ををねだった。
この町では、梅雨時になるとカラフルな傘が町中にあふれかえり、あまり知られていないが全国へ傘を出荷している工場も多い。
曇り空を彩るその光景は町民のひそかな自慢であり、だからこそ小さな町のPRにも傘から滴る雫をキャンペーンのマスコットに採用しているのだ。
7歳だった私の目には校庭を行きかうキラキラと回転する色とりどりの傘がとてもまぶしくみえた。
『小夏ね、ピンクのキラキラのがいいの』
確か母親にそうお願いした気がする。おねだりしたあのフリルのついた傘はもうだいぶ前に失くしてしまった。

「東北の一部では降ったって言ってたわよ。いくら雨が降りやすいことを宣伝してるからってここが降らないこともあるわ」

冷静な朝ちゃんの言葉で私は昔の思い出から引き戻される。

「それはそうだけど。」
「残念だけど、そんなに雨が降るのを期待しても望みは薄いんじゃないかしら」
なおも手元はスムーズに返却された本を並べつつ朝ちゃんの声が棚の向こう側から聞こえてくる。
「でもでも、今日は6月の最終週。まだ可能性はあると思わない?」
「思わないわ。」
朝ちゃんの方が生まれたときからこの町にいるというのに、思い入れは薄いらしい。
しかめっ面になったりふくれっ面になったりしている私の作業は進んでいない。
1週間分の新聞をスクラップするのが今しなくてはいけない仕事だ。
「手、止まってるわよ」
すかさず指摘が入った。
「は~い」
仕方なく手を動かし始めたが、私の周りに来館者はいない。
再び昔の記憶へと思いが巡っていく。



つづく(文字数の関係で次のブログに続きます)




Copyright © 2024 SMILE-LAB Co., Ltd. All Rights Reserved.