願うのもまた難しい
- カテゴリ:人生
- 2011/07/05 23:52:29
今回もまた面白いお題なのである。
「七夕の短冊に書きたい願い事」
願い事と言うだけだと範囲が広くて、「七夕」のさらに「短冊に書きたい」と絞り込んでいる。
細々考えると面白いお題なのである。
「七夕にひっそり心の中で願うこと」なら、少女漫画っぽく「誰々と仲良くなれるように」といった願いもでてきそうである。
短冊に書いちゃうとみんなに知られてしまうから、ひっそり心にしまっておくのである。
「七夕の短冊に書きたい」は、言葉に厳密になると、そういうことなのである。
(って、余談を前置きにするのだった。)
う〜ん、そうねぇ、「七夕の短冊に書きたい願い事」で、幼稚園や小学生っぽく書くなら、
『大江どんと仲良くなれますように!』
とか…
でも、願いって、夢想から、目標まで幅が広い。
とても手近に、「おもちゃが欲しい」みたいな願いもある。
『レンズが欲しい』
まあでもこれは、子供だから願い事になるのであって、大人になると、自分でなんとかしろということになる。
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さて、
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放射能汚染が少なくなってほしい。
これは、「七夕の短冊に」書くことではないか。
避難などの対策が具体化してほしい。
これは、まともな政府だったらやるはずのことなので、願うというのも寂しい。
自分にできることは無いか?
天から舞い降りるようにアイディアが出てきてほしい。
これは願いっぽい気もする。
でも、短冊に書くだけじゃなくて、自分で考えるから願いが叶うことである。
やっぱり、できることから始めるしかないのか。
とりあえず、値段が安くても、低レベルのガンマ線が測れる線量計が欲しいなぁ。
「秋葉原へ行ったら、偶然、安売りの線量計と出会えますように」とか
そういう願いにしようか。
願い事は、実現しないかもしれないし、するかもしれないところに狙いが納まってくる。
実現可能なことは、実現させるべき事柄であって、願いにならなくなる。
実現不能なことは、、、、
たまに、親が子供に向かって、自分の願いを転嫁しちゃうこともあるなぁ。。。
Σ( ̄□ ̄;)
子供らしいって、そう言う事なんでしょうね~。忘れてしまった価値観ですな