Nicotto Town


およよ・れおポン


願うのもまた難しい

今回もまた面白いお題なのである。

「七夕の短冊に書きたい願い事」

願い事と言うだけだと範囲が広くて、「七夕」のさらに「短冊に書きたい」と絞り込んでいる。

細々考えると面白いお題なのである。

「七夕にひっそり心の中で願うこと」なら、少女漫画っぽく「誰々と仲良くなれるように」といった願いもでてきそうである。
短冊に書いちゃうとみんなに知られてしまうから、ひっそり心にしまっておくのである。

「七夕の短冊に書きたい」は、言葉に厳密になると、そういうことなのである。

(って、余談を前置きにするのだった。)


う〜ん、そうねぇ、「七夕の短冊に書きたい願い事」で、幼稚園や小学生っぽく書くなら、

大江どん仲良くなれますように!』

とか…

でも、願いって、夢想から、目標まで幅が広い。

とても手近に、「おもちゃが欲しい」みたいな願いもある。

『レンズが欲しい』

まあでもこれは、子供だから願い事になるのであって、大人になると、自分でなんとかしろということになる。

   —————

さて、

   —————

放射能汚染が少なくなってほしい。

これは、「七夕の短冊に」書くことではないか。

避難などの対策が具体化してほしい。

これは、まともな政府だったらやるはずのことなので、願うというのも寂しい。

自分にできることは無いか?
天から舞い降りるようにアイディアが出てきてほしい。

これは願いっぽい気もする。

でも、短冊に書くだけじゃなくて、自分で考えるから願いが叶うことである。

やっぱり、できることから始めるしかないのか。

とりあえず、値段が安くても、低レベルのガンマ線が測れる線量計が欲しいなぁ。


「秋葉原へ行ったら、偶然、安売りの線量計と出会えますように」とか

そういう願いにしようか。

#日記広場:人生

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2011/07/09 00:04
実現することとしないことの区別ができるようになると、
願い事は、実現しないかもしれないし、するかもしれないところに狙いが納まってくる。
実現可能なことは、実現させるべき事柄であって、願いにならなくなる。
実現不能なことは、、、、
たまに、親が子供に向かって、自分の願いを転嫁しちゃうこともあるなぁ。。。
Σ( ̄□ ̄;)
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2011/07/07 20:32
短冊に、「くるまになりたい」と書く幼稚園児も多いそうです。
子供らしいって、そう言う事なんでしょうね~。忘れてしまった価値観ですな




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