一頭の競走馬からもらったもの②
- カテゴリ:小説/詩
- 2009/05/04 07:46:45
平成元年、3月5日。後にライスシャワーと呼ばれる牡馬は、父リアルシャダイ、母ライラックポイントの間に生まれました。
ライスはスターホースと呼ばれるまでは、かなり険しい道のりがありました。
その理由は、数え4歳の前半まであまりパッとしない成績だった事ともう一つ、彼のライバルとされていた競走馬たちが、あまりにも凄い馬たちだったからです。
平成4年、数え4歳になったライスは、最初のライバル”ミホノブルボン”に出会うのです。
ブルボンは無敗のままクラシック三冠レースの一つ、皐月賞を圧勝します。
その時のライスの成績は、惨敗の8着。ブルボンのライバルの数にはとても入れてもらえないような内容だったのです。
ところが、次のクラッシックレースの日本ダービーでは、ブルボンを脅かす存在になるのです。
血統的には長距離馬(ステイヤー)のライスです。皐月賞よりも400m長いダービー(2400m)は、ライスにとって有利な条件となったようです。
それでも、無敗の最強馬ミホノブルボンの4馬身差の2着という結果でした。
夏にゆっくりと過ごしたライスは、最後の三冠レース、菊花賞に挑みます。
そのトライアルレース京都新聞杯で、またもライバル、ブルボンとの対決となります。
その結果は、1着ミホノブルボン2着ライスシャワー1馬身半差。
またも2着に敗れたライスでしたが、皐月賞惨敗、ダービー4馬身差、京都新聞杯1馬身半差と、明らかにその差を縮めてきています。
そして本番の菊花賞。ファンの誰もが無敗の2冠馬、ミホノブルボンに注目します。
実際私でさえ、ブルボンの勝利を信じていたし、応援もしていました。
ポッと出の幸運でダービー2着した馬が、無敗のブルボンに勝つはずが無い。
私自身がそう思っていたのです。ほかのファンが思わないはずがありません。
菊花賞はクラシック三冠を達成する、ミホノブルボンのためのレースという位置づけのようでした。
しかし、ライスシャワーはやってしまったのです。
3000mの距離は、ステイヤーであるライスのほうが有利である事、先行逃げ切りのブルボンの他に、大逃げを打つ馬がいた事等、いくつかの幸運が重なった事もありましたが、ライスは菊花賞レコードタイムで見事ミホノブルボンを差しきったのです。
しかも、ブルボンはハードなレース内容がたたり、足に重大な故障を負います。そして、引退を余儀なくされてしまったのです。
それにより、世間でのライスの評判は最悪となりました。
「ブルボンの三冠を奪った馬」「ブルボンをつぶした馬」
不吉な黒鹿毛の馬体も、そんな評価に追い討をかけてしまったようです。
ひねくれ者の私はこの頃から、ライスシャワーという馬が気になりはじめます。
翌年、古馬となったライスの目標は、春の天皇賞です。
このレースでライスのライバルとして立ちはだかったのは、春の天皇賞2連勝中の最強ステイヤー、メジロマックイーンです。
マックは鞍上の武豊騎手と共に、この天皇賞を勝てば前人未到の春の天皇賞3年連続勝利という大記録達成となります。
ファンの誰もがその記録達成を夢見ていたわけです、私以外は・・・。
またもや、ファンにそっぽを向かれたまま、ライスの春の天皇賞が行われます。
その時のライスの馬体は、ギリギリまで絞込み、血管は浮き出て黒鹿毛の毛艶はまぶしいほどだったといいます。7~8キロ落ちたかなと思われた馬体は、実は12キロも絞り込まれていたそうです。
ライスはいったいどんな調教をされたのでしょうか。
ライスシャワーという馬は、どんな調教も拒否をせず、全て受け入れたそうです。
その結果が、天皇賞での見事な馬体に表われました。
それでも、評論家やファンの話題の中心はマックでした。
平成5年の春の天皇賞は、やはりライスでは無く、マックのためのレースだったようです。
ところが、私のライスは私以外は誰も望まない事を、やってしまったのです。
逃げ馬メジロパーマーをマークしていたマックを、さらに後方からマークし、さいごの直線コースでごぼう抜きしてしまいます。
鞍上の的場騎手は、ゴール前では追わずに馬なりでの勝利。不可能といわれたマック粉砕を、いとも簡単にやってのけてしまった、正に圧勝劇だったわけです。
そして、このレースでライスは更にヒールとして、ファンからの認識を強くしてしまいます。
「ブルボンだけでなく、マックの記録もぶち壊しやがった。憎たらしいな、あの黒い馬。」
ところが、ひねくれ者の私の中では、世間の評判とは反比例し彼の存在はどんどんヒーローになって行くのです。私はこの天皇賞も、本当に嬉しかった。
しかし、この後もっと嬉しい思いを、ライスは私にくれることになるのです。
つづく・・・。
この頃のライスは本当にヒールでした。
憎たらしいほどに強かったんですよ~。
ストイックと言えばそうなんですが、馬である彼にそういった感情があったかどうかは謎です。
ただ単に、素直で真っ直ぐな性格だったように思います。
根っからの競走馬だったんだなぁと・・・。
ちょっとストイックな感じがまた良いね。
えっと、①のレースの事でございます。。。
ん?
なんだぁ~?