サムライ・ハポン 支倉常長の肖像
- カテゴリ:アート/デザイン
- 2011/08/24 20:41:42
まさか、日本の侍と出会うとは!
一昨年の暮れ、京都で開かれたボルゲーゼ美術館展に足を運んだ。
目的は大好きなラファエロ画の若い女性の肖像と、彼女のしている首飾り。
その絵にも感心はした。
それ以上に感銘を受けたのが、1人のサムライだった。
伊達政宗公がヨーロッパに派遣した、支倉常長の肖像画が飾ってあったのだ。
ほぼ、等身大の立派なものだ。
白絹に金糸と銀糸を使って、ススキの刺繍が施された袴と、同じく白絹の陣羽織。
細工も鮮やかな刀をさし、正面を見据えているのは。
まさしく彼は戦国の世を駆け抜け、遠くエスパーニャ(スペイン)の地を踏んだサムライ・ハポンだ、
たぶん最上級の衣装をまとって正面をにらみつけているのは、戦場に望む心持ちだったのかもしれない。
彼が日本に帰国した時、すでに幕藩体制が固まりつつあり、鎖国が始まっていた。
彼はどんな思いを胸に秘めて、その後の人生を送ったのか。
スペインにはハポン(日本)という苗字を名乗る人たちがいると、TVで紹介されていた。
彼らは支倉常長の使節に同行した人たちの子孫だという。
遠い異国で生きてきた彼らの顔からは、東洋の香りはしなかった。
でも、ハポン(日本)の姓はすてなかった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Hasekura_in_Rome.jpg
大きな、重厚な肖像画でしたね。
ハポンと名のった人たちが、どんな想いだったかわからないけど、誇りはもっていたと思います。
ハポンの血は薄まったのかもしれないけど、誇りは残ってるのかな。
まさしくおっしゃるとおりです。
沙羅さま
西班牙さん、なんか強そうな苗字やなあ。
ひょっとしたら、こんな苗字もあるかもやけど。
支倉常長、帰国してからひっそりと暮らしたみたいやけどね。
もし、伊達政宗公はもう少し早く生まれてたら、天下をとったかもしれない。
彼の業績も大きかったと思うなあ。
かおりんさま
ルネッサンス後期の西洋の肖像画に書かれた日本人像。、
たぶん、これ一枚ぐらいじゃないかと思います。
そのせいか、かなり印象に残りました。
時間が許すなら、美術館見学もいいかと思いますよ。
旦那さまとゆっくり過ごせる時間を過ごしてね^^
A-Aさま
私もこれを見たのは初めてでした。
まさか、日本に里帰り展示されてたとはw
大きな豪華な、それでいて渋い絵でしたよ。
次にくるのは、ほんとにいつになるか解らない(;;)
今もハポンと名乗って、出自を忘れず誇りにする人々。
ほんとに頭がさがりますね。
∮エイジ∮さま
老後に美術館めぐりをするのが夢の一つです。
その時、彼の肖像画に会いに行きたいですね。
鈍行の旅と並んで今やってみたいことの一つデス。
うわ、見てみたい!!
って思ったらちゃんとリンク貼ってくださっててありがたい(≧∀≦)♪
凄いですね・・・・・・向こうの人にはこういう風に日本人が見えていたのね。
うーわー、直に見て感動したいわ!!
次来るのいつだろう?!うきゃーっ!!
そして今も子孫がハポンを名乗ってるんですか。
彼らに恥じない日本人でありたいと思ってしまいますね。
その中で侍の絵画があるなんて、すごいインパクトがありますね。
私達夫婦もあまり美術には興味はないのですが
先日宿泊したホテルから美術館の無料招待券をもらい
普段は自分で行かないような美術館に行って、ゆっくり絵画や陶磁器等を見て来ました。
やっぱりじっくり見ると、昔の人達や画家がどんな気持ちで作品を作っていたのか
考えるようになりますね。
名字で西班牙……イスパニアとかエスパーニャとかは聞かんよなぁww
アジアの東端の小さな島国から来た『サムライ』……
支倉常長って、歴史では、ほんの少ししか出てけぇへんのに、
遠い彼の地に等身大の肖像画が残ってるんやねぇ。