調和
- カテゴリ:小説/詩
- 2011/09/25 11:36:50
自然を生きる
玄侑宗久・釈徹宗
東京書籍
「本が好き!」http://www.honzuki.jp/ で献本いただきました。
タイトルの「自然」は「しぜん」ではなく「じねん」と読む仏教の用語。
おおざっぱに言うと「あるがまま」「そのまま」といった意味で、
「じねん」は「しぜん」を含んだ、より大きな概念となる。
玄侑宗久氏(復興構想会議のメンバーでもある)と釈徹宗氏
(「街場のメディア論」の著者、内田樹氏との共著が多い)の2人の
「縦と横」をテーマにした対談を収録したもの。
仏教についての話も出てくるが、メインの話ではないので、ついて
いけない、ということはない。
(仏教の用語には、大抵、注釈がついている。稀に分からない用語
が出てくるが、気になるほどではない)
ここで言う「縦」とは統制・管理するための秩序や序列、といった事。
本書の中では「馬の文化」とも言われる。
対して、「横」は同胞の連帯。ひとつの船では皆が仲良くするのが
前提、という意味で「船の文化」という言葉でも使われる。
東日本では「縦」の考えたが根強く、西日本では「横」の考えが主流
ではないか、という考え方は初めて聞いたので、新鮮な感じがする。
埼玉生まれの埼玉育ちで、それ以外を(肌で感じる感覚としては)
知らないので、言われてみれば、そんな感じがする、というレベル
でしかないが・・・・。
ただ、この「縦」と「横」はどちらかが他方より優れている、というもの
ではなくて、両方あって、バランスが取れている事が大切だ、と言っている。
単純に「これからは”横”の時代だ」という話にならないあたりは、
さすがは僧侶。
全国のお寺の組織の中の一部、としての立場と地域のコミュニティの
一角としての立場を持つからこそ言えるのだろう。
「縦」と「横」のバランスを取るためには、一度、「縦」または「横」の
一方に偏ってみなければ、その「中間」を取ることはできない、末端
の方が左右にブレているからこそ、「芯」がブレない、という話が面白かった。
最近「ブレない」事を声高に言う業種の人が多いが、
「ブレない」=「柔軟性に欠ける」
ということになるので、大丈夫かな、と疑問に思うことの方が多かった。
が、この2人も同様の考えで少し安心した。
両端を知らなければ「中間」など取ることができないから、「ブレる」事は、
それほど悪い事でもない、という辺りは、なるほどと関心してしまった。
今のご時世、「縦」の考え方が蔓延しているように思える。「中間」を探す
ための過程の一つ、であることを願う。
また、面白いと感じたのが「閉じて、つながる」という点。
コミュニティ、仲間などのグループでは、ある程度、外に対して閉じて
いることで、その中は団結する、というもの。
何でもかんでも「開いて」しまうと、強者の色だけに染められて、「独自」
のものはつぶされてしまうのではないだろうか。
ただ、今更「鎖国」などできるものではないし、「グローバルスタンダード」が
なければ、困ってしまうことも多いのも事実。
ほどほどに「開いて」、ほどほどに「閉じる」のがいい、その「ほどほど」を
探るために、「ブレる」のは悪いことではない、と言っている。
仏教について詳しい訳ではないが、背後に「調和」というキーワードが
見え隠れする感じがした。
今は、BMIは、24.x (四捨五入すると「メタボ」)をウロウロしています。
年末・年始、期末・期初など飲む機会が多い時期は、「成長」してしまうことも・・・。
ブロコメ、ありがと。リコメのお届け。
あはは(^∇^)
メタボのボーダーラインって?
ってか、分けてもらえるなら、どんだけでも、出しますぞ。
肥満も、痩せ症も、悩みは同じですよね。
あんまり頑なにいくと折れてしまいそうなので、
ほどほどにヘナチョコなのを目指してます。
「40にして迷わず」が「アラフォォ~にして、迷いっぱなし」な
わたくし。ブレるのも、いい加減、振り幅大き過ぎて疲れる
今日この頃でございます。。。
「ほどほど」と「調和」の取れた、グレーゾーンを目指しています♪ww