「昭和枯れすすき」
- カテゴリ:30代以上
- 2011/10/14 10:19:24
http://www.youtube.com/watch?v=2QCRT80a3m4
すすきの背景(前景?)のせいか、この歌が頭から離れません。
子供の頃にしか聞いていないはずなのですが、未だに空で歌えます(笑
あらためて聞くと、身もふたもない歌ですよね。
私が小さかった頃、日本はまだまだ貧しかった。
私の家も、かなり貧しかったようです。
「ゴミやさんみたいな事をしていたのよ」
お米を買うお金もなく、リヤカーの後ろにちょこんと座り、小さなおにぎりをほおばる私たちの横で、お芋を食べている。
そんな母達の姿が忘れられない。
後年、従姉が私にそう話してくれました。
住居も頻繁に変えていたようです。
私が覚えているだけでも、10回近くはあります。
私が小学生の頃住んでいた街が1番長かったでしょうか?
家は1回変わりましたが、5年くらい住んでいました。
当時私には、とっても仲のよいお友達(以前書いたMちゃんです)がいたので、気を遣っていたのかもしれませんね。
生活が安定してきていたから、と言うのが1番大きいのでしょうけど。
そんな風にして育ててもらいながら、親不孝なことばかりしている私。
ダメ人間の見本ですね(*^^*ゞ
今は、決して裕福とは言えませんが、人並みの生活を送っています。
私が初めて3ナンバーの車を買って、ドライブに連れて行ったとき
「家もこんな車に乗れるようになったんだねぇ」
しみじみと言った母の笑顔の奧には、どんな思いがあったのでしょう…
……………………………
この歌の二人は、ご夫婦なのでしょうか。
その後、どんな人生を歩まれたのでしょう。
願わくば、お孫さん達に囲まれて、幸せに暮らしていると良いな(#^.^#)
でも、みんな家にいたから・・おばあちゃんとかがよく一人っ子同然の私の相手をしてくれました。
年の離れた妹が生まれて・・・寂しくなくなったよ。
「昭和枯れすすき」・・・・よく覚えてます(^_^;)
たまに・・会社の宴会で歌われてるな・・私は歌わないけどね。
土曜のドラマだったなぁ。
父親が近所の中華屋さんから
出前をとるのを楽しみにしていました。
中華屋さんの焼きそばって
なんか、美味しかったなぁ。
ソース味じゃないやつ。
歌が味に直結してます(^^;)
わたしもそうだなぁ~
母が身体弱かったから 家で内職してた
飛び出す絵本って それ 作ってたよ^^
マッチ詰め とか 割り箸とかwww
いやぁ~ まさしく 昭和だぁwww
私もメロディーラインはバッチリかもです。^^;
人生色々・・・こんな言葉一つでくくれるようなものではないけれど、思い出として語れるようになったのなら自分の中で消化できたってことなんでしょうね。
ウチもいつか思い出話に出来るといいな。
「アノ頃のあんた達はホントに大変だったわよねー」って。^^
私は、たぶん、今幸せなのです。
だからこんな事を思い出したり、書いたり出来るのでしょう。
仕事も忙しかったです。
まあ、大金持ちではありませんでしたが、デパートに行くには必ず
家からタクシー。外食もよくしました。
ところが、石油ショック以降はだんだん貧乏になっていき、
生活水準が少しずつ下がっていくのがわかりました。
そのほうが辛いですね。