断片的に
- カテゴリ:日記
- 2011/11/11 16:33:38
本当は、きちんと推敲を重ねてまとまった文章にしたいことが
いくつもあるのですが
体力気力ともに すこしまだ 足りないので
断片的に、いくつか 書いておくのもありかな、と思いました。
もう先月のことになりますが
ホスピスでチャプレンをしている女性牧師を招いて
お話をしていただく機会を持ちました。
10年ほど前にも 同じかたのお話を
まったく別のルートで聞く機会があったのですが
やはり今回も 実り多いものとなりました。
ニコッとタウンの規約によれば
特定の宗教活動をするような行為は NGなので
ここに書いていることは、宗教への勧誘と取られないように
気をつけながら、書いています。
テーマのひとつが 「苦しみの意味」 でした。
先生の話で、印象深かったひとつが、冒頭部分で語られた、
次のような話でした。
「人が受ける苦しみの意味は、それぞれが 自分なりに理解し、うけとって
つかみとっていくもので、他人が簡単に差し出すものではない
・・・・という とても当たり前のことが、しばしば 大きな苦しみを持つ人を前にすると
人は 何か自分を納得させるためなのか
あるいは、苦しむ姿をみるのが耐えられないからなのか
病院という場所に勤めていると 多くのお見舞い客の方々が
こんな言葉をかけているのに 出会う
『あなたは 今まで働きすぎだったから、ちょっとお休みしなさい ってことなのよ』
治る病気ならともかく、ホスピスにいる患者さんたちは、休むために命がとられてしまうような、そんな病気にならないといけない、などとは とても理不尽なことです・・・・」
命にかかわる病気に限らず、人がそれぞれ通る苦しみは
その人にしかわからない、つかめない何かがあるのに
善意の人であればあるほど
寄り添おうとして かえって相手を傷つけることがあるのだと
思いました。
そして、弱っている人は、相手が善意で言ってくれている言葉に
強く反論できず、だまって飲み込んでしまうことも 多いのだと。
ほんの断片ですが、書き留めておきたい
お見舞い客としてのNGワードのひとつとして
心にしっかり 留められています。
何を言っても違うような気がする・・・
そういう感覚って 大切よね。
誰かを亡くした時には、人によって、その立ち直り方も
受け止め方も 違うから 不用意に言えない、ってことは あるよね。
17年前に 子供時代の友達の 癌の末期を聞いたときは、
お見舞いに行ったとき
いつもなら 人の話をニコニコと聞いてるようなタイプだった彼女が
とても饒舌だった時期があって
そのときは、とにかく 彼女の話したいことを話せるように
それから・・・・極力 彼女が彼女らしくいられるように・・・というのを心がけたけど
4年前に中学時代のクラスメートが これまた末期がんだったときには
彼がやりたい、と思っていることを完遂できるように・・・
どっちもね、私としては「待つ」姿勢だったよ。
現実に お見舞いなどで顔をあわせるときは
とくに言葉を出そうと あせらなくても いいと思うな。
言われたことに答えるだけ、というのは よかったと思うわ。
・・・・けど あとあと 大変だったのね(誰のことかは わかってるつもり)
お守り、違う人からもらった、と思っているのなら その間違いを
一番近い人が 訂正してくれたらいいのにねぇ。
訂正してもわからないぐらい混乱してるんなら ほっとかなあかんか・・・・
何を言っても違うような気がするというか、自分が何も言われたくないと思うからかなぁ。
母の葬儀やその後もしばらく、私は母の事に他の人(かなり近しい人でさえ)が触れてくる事を拒否しつづけました。
心配してくれるとか労わってくれる気持ちはわかるんだけど
何をどのように言われても事実は変らないから・・・
現実を直視するのが怖いともいうのかな。。
お見舞いで勇気づけるというのも難しいですよね><
先日、行きたくないお見舞いで、何を言えばいいのかすごく悩んで
結果言われた事に答えるだけでいたら
その方半分夢うつつなのか何も覚えていないらしく、ボケたのなんのって周りは大騒ぎ(´Д` )
寝てるだけで居るから時間の感覚やなんやらボーっとしてるだけなんだと思うんですけどね・・・
御守り買って持って行ったのも違う人からもらったと認識しているらしく
それならもう行かなくてもいいかしら?なんて思ってしまったりしてます^^;