毎度、お題にはそえないのです。
- カテゴリ:家庭
- 2009/05/23 00:29:10
「休日の幸せな過ごし方」
そうですか。
いつもブログイベントのお題に困るのです。
これは、常識、良識の在る人が書くような題材を選んでますね。
定型的、類型、常套句、と言い換えても同じようなことか。
お題に対して書かれるであろう話題を、あるていど想定している。
カテゴリ「家庭」で「休日の幸せな過ごし方」ですね。
今回は特に想定の範囲が明瞭だ。。。
僕は、「家庭」で「休日の幸せな過ごし方」を持たない人間なので、どうにもなりません。
そもそも、幸せを感じることが無いので。
まあ、飯ごうアイテムが欲しいので、無理矢理書いてますけど。。。
あ、家族で休日を利用してキャンプをしようということですか、そうですか。
幸せといえば、絵に描いたような幸せですかね。
そういうブログを書けばいいんですね。
ん〜、僕は、例えば国語のテストで、「以下の慣用句を用いて例文を作りなさい」というような問題が大嫌いだったので、実はブログイベントは苦手なのでした。
定型というのは、そこに新しい発見や、思考というものは存在しないということでもあるから、僕には犯罪のように感じます。
でも、世の中、新しいことを見つけようとしても、それを理解する人はとても少ない。
新しいことを提案しても、考えもせず拒否反応を示す人が多い。
結果まで出してみせないと、受け入れられない人ばかりで、しかも、結果だけを見て、やはり、内容は理解しようともしない。
この傾向は、年々強くなっている。
・・・が、まぁ、いいか~って感じで流してしまいましたが^^;
この辺は人それぞれ思うことがあるでしょうね。
でもそれを求めてる人もいるわけだものね
とにかく幸せを実感できますように!
たとえば、スポーツ選手の競技生活で、成績が伸び悩んでいるとしたら、それが幸せなのかどうか。
客観的に見たり、のちのち、思い出してみれば、その競技生活は幸せと判断されることも多い。
しかし、その場で、競技に困難を感じていたら、直接的には「幸せ」という言葉はあてはまらない。
競技で優勝でもすれば、その場の、直接体感する幸せになるが、人間というのは、そうした幸せを、生涯のうち、そう何度も経験するものではない。
「幸せ」という言葉には、そうした二面性がある。
最近の僕にとって、直接感じる幸せが無い、というだけで、後々、この時間を振り返ったときに、自分にとって必要な時間だったと評価する可能性はあるし、今後の幸せにつながる可能性は含んでいる。
とりあえず、現在実感する幸せが無いというだけです。
それはやばいでしょう?
撮影してるときはどうなの??