日本が尊敬される国としてなすべき事.
- カテゴリ:日記
- 2011/11/20 00:28:34
世界の人口が70億人を超えたというニュースが流れた。
日本では2011年11月11日より話題にならなかったし
多分、他のニュースに紛れて忘れ去られていくんだろう。
ブータンの国王夫妻の訪問も話題になっている。
彼は国民総幸福量を国家的指標とした政治を行っている。
国民全禁煙だし、旅行者は滞在一日200ドル以上必要な鎖国状態、
10年くらい前までTV、インターネットは禁止だったという
すごい国家だ。
そして、彼はこの10年で「国民の反対」を押し切って
王政から民主化した。国民は「賢い王様、止めないで。」
と懇願したらしい。
2005年5月末に初めて行われたブータン政府による国勢調査では、「あなたは今幸せか」という問いに対し、45.1%が「とても幸福」、51.6%が「幸福」と回答したそうな。
日本の政治や行政もGDPとか貿易額だけではなく
同じように国勢調査の結果を指標にすればいいのに。。。
一人一人の幸福の意味は違うんだから、一人一人の「幸福」という
「言葉」にそって判断された集約結果というのは貴重だと思う。
さて、「70億人」
この中のどのくらいの人々が「幸福」な人生なのだろうか。
逆に「70億人」が日本人と同じような幸福を感じる世界とは
どのような世界なのだろうか。
中国という怒濤の発展を遂げる国。
現在の発展の一つの要因は「一人っ子政策」だ。
「一人っ子政策」を取らなければアフリカのような難民国家
になり内需につぶれていたかもしれない。
高学歴層による技術/産業育成も
生まれなかったかもしれない。
世界も同じ。
高校の頃に世界の人口動態曲線を見て、「こりゃもたんな。」と思った。
そして世界が「地球の有限性」を意識していない事に愕然とした.
その頃の考えは漠然としていて、人類が火力発電所や家庭で
出す熱が地球を温めて南極の氷が溶ける。NoxやSOx、酸性雨
などの公害が世界中で起きる。なんていう幼稚な想像だったけれども。
「地球の有限性」については
オゾン層や地球温暖化問題が取り上げられるようになり
確信にかわりつつある。
一方でこの問題に世界レベルでの同意が少しづつ形成されている事に
楽観的になりつつある想いもあり、まだペースが遅いという気持ちもある。
多分、僕たちは、人類にとっても日本にとっても、歴史の曲がり角
にいるのではないか。
「地球の有限性」「人類の幸福」そして「世界レベルでの合意形成」
日本人は世界の「幸福」とは何か。
そして、どのようにその「幸福」に貢献するか考える責任があると
僕は思う。
世界に出ると日本は文化であったり経済発展であったり
気質が尊敬されている。
政治は別として、世界から尊敬を受ける国と人としての責任はある。
ある意味 政治的な力・経済界からの力が
なんとも降りかかってくるもので...
そんな力が流れを作ってしまうので,
そうなると,いつのまにか『神話』になっちゃいますよね.
そうですね。文明は捨てられないですし、自分達の存在を壊す力を含む技術も捨てられないでしょう。
まったく、人間というのはどういう風にも育ちます。
「あるべき」人間の姿というものの中に「愛」とか「優しさ」
とかが含まれるように僕は思うのですが、それは過去の偉人達が
既に発見してきたものであり「技術」とか「教育」などを得て
豊かな社会にいる自分たちは、もう一歩先の概念を見つけなければ
いけないようにも思うのです。
そして世界の中でも物的に豊かで少子化社会を迎え、自殺者が多く、
原子炉事故が起き、興味深い歴史と文化を持ち
自然災害である津波の被害を受けた日本でこそ考える気運が
あるように感じています。
なにが幸せか。
みんなが幸せとはどういうことか。
多分、その根本には自分自身の幸せの意味を深く問わなければならないのでしょう。
しかし、人間は人間として育てられないと人間にはならないのですよ。
ちょっと危ない意見かもしれないですが…。
だから、育てる側の大人があるべき人間の姿というものを
意識していないといけないなという感じです。
重箱の隅をつつくところから始めさせてもらいます。
もし、本来あるべき姿=もともと当たり前の姿ということであれば
10万年以上続けてきた狩猟採集生活が答えです。
それでも生態系に大きな影響を与えてきましたが。
(北米の大型哺乳類食べつくした等。)
しかし人類は知恵を身につけ、技術を開発し文明をつくり
学習する習慣を文化にとりいれてきました。
そして自分達の存続に影響を与える事態、大きな不幸せをも
引き起こす力を身につけました。
それが過去100年くらいの時代です。
人々が今の文明を捨てられない以上、前に進むしか無く
本当の人間のありようは、短期間の価値観の変化に対する追従や過去ではなく
未来の時代を向いて考える必要があるのかもしれません。
この21世紀の入口に日本という場所に存在しているというのは
考えるタイミングと場を与えられているのかもしれませんね.
という訳で結論は似たところです。
人間の本来あるべき姿というか
本来の幸せって何だろうということです。
いろいろと価値観の変わっていく中
本当に求めるべき人間のありようを
真剣に考えないといけないなということです。
で、最終的にはそれを自分の仕事にも
反映していかなければならないなと思うのです。
私の仕事はそこに向かって営まれるべきものだと思っています。
しっあわっせは あーるいってこない。だーーから歩いっていくんだよっ
なんてね。
ほら、僕らの学生の頃って、授業で公害とか習って、
チェルノブイリとか起きたよね。だから、こんな考えの人も生まれたってことじゃないかな。
日本は閉じた文化だけど、閉じた中では、割と多様性を認めているし
深くて静かな情感を持った文化なんだよね。そしてお笑いのレベルの高さ。
これがもっと、外に向いていくといいな。と僕は思っている。
①原発の安全神話って何だったのか
→最初から神話です。
②温暖化問題には,排出権取引や外交交渉のカードが潜んでいる
ということです.
→YES。これまでの温暖化は確実。でも
今後の人為的影響による予測のふれ幅が大きく、
不安と経済の付け入る隙が沢山あり。
環境省。 言ってやりましょう! 僕も沢山あります。
問題は,
①原発の安全神話って何だったのか
②温暖化問題には,排出権取引や外交交渉のカードが潜んでいる
ということです.
ちなみに,初期条件・境界条件(シナリオ)によって
IPCCの予測結果は非常に大きな幅を持っています.
環境省については,言いたいことが山ほどありますので(笑),
オフ会にて!(^O^)/
小さい島国だけど、日本だから出来る事・・・
てらちゃんは若い頃から、難しい事考えていたんだね~ww
幸せ・・・か~~・・・「幸せになろう」って思わない事・・・?ww
温暖化についてはIPCC 4(2007)で論じられていて、確か95%以上の確からしさで温暖化の傾向にありとの結論だったと思います。
http://www.env.go.jp/earth/ipcc/4th/syr_spm.pdf
人為的影響は90-95%だったと記憶。。。
因果と相関についてはご指摘の通りで了解です。
温暖化も火山爆発により塵が大気中に拡散されれば、日射が少なくなり
一気に寒冷化に向かう可能性もあり。
相関、因果が予測に使えるかどうかも。。。
でも、それを理解した上でも将来世代のためにすべき事はある気がします。
コメント遅れました。すいません。無線LANの調子が悪かったもので...
食糧の輸入問題については自給率のカロリーベースの評価が正しいのかという議論があるようです。
しかし、第一次産業の方が失望するような事態だけは避けたいですね。
豊かな日本。
既に終わっているのかもしれません。
一方で欧米/欧州的な「豊かさ」の概念を追い求めすぎているのかもしれません。
現在、食べている食材のうち、外国製のものを食べられない場合
米や野菜のほとんどは大丈夫ですが、サケ、タラやマグロなどの魚介類
牛肉・鶏肉などが食べられない事態にはなると思います。
でも、それでもアフリカの貧困にあえぐ諸国の方々よりは豊かじゃないかな。
なんて思ったりもします。
もっと地産地消を大事にしたいですね。
輸入にたよっている日本はこれから何年か先、すぐ先で食料問題に直面するでしょうね。
農協もいろいろ言われてますが、日本の第一次産業の方々が仕事を放棄すれば日本は終わりです。
豊かな日本はもうすぐ終わる。
心に不安の渦巻く毎日を送っています。
基本的にその通りと思います。
でも、幸福度の総量は計測できないけれど、自分を幸福と思っている人のカウントは意味があるのではないでしょうか。多分、今の政治家の方々は「日本の成長」に対して興味を持っているけれど、「日本人達の幸福」には直感的に興味を持っていない。「成長」すれば「幸福」になれると思っている。
こういった指標を加える事で、どうすればこの指標をあげられるか。「幸福でない人」はなぜ幸福と感じていないか.幸福と感じるためにはどうすればいいのか。って考えてくれるんじゃないかな.
ちなみに、このブログで言いたかったのはWW1とかWW2とか、欧州でペストが流行っていた頃って、どういう計り方をしても世界的な幸福の指標って低かったと思うんです。近い未来にそういう事態にならないためにはどうすればいいか。って幸福な人間が考えるべきじゃないかなって思う訳です。
すいません。くどくどと。。。。
以下、駄文.
昔、倫理だったかな。でベンサムとミルの幸福論の話があって、ベンサムが「最大多数個人の最大幸福」が国家の目的であるとし、ミルが「幸福の量だけでなく質(精神的な幸福)のほうが重要」として功利主義ができた。
この功利主義っていうのは、多数の幸福のためには少数の不幸を無視するところがあったり、税金を沢山取って社会福祉にまわすような立場で欠点もある。大きな政府の志向。僕の今回のブログとかコメントもこれに近い立場。
反対側に、自由主義のような小さな政府の志向があり、これはこれで無秩序になりやすく
個人の自律に頼らざるを得ないという欠点がある。
結局、この間を行くしか無いし、個人の自律能力を上げながら自由主義に向かっていくのが 理想的なんだけど、でも目指すべきものはやっぱり幸福であって成長ではない気がするんですよね。過度の自由主義は経済が競争的であり格差を生む構造である以上、功利主義と同じく弱者の切り捨てになると思う訳です。
そもそも,温暖化を示唆している調査・研究の母数は
自然現象のホワイトノイズに対して十分なのかの検証がなされていません.
また,相関というのは曲者で,『因果』と『相関』を同じものとして論じることは,
かなり危険です.
ただ,てらもっちさんが仰るとおり,様々な所に潜んでいるというか
普通に至る所に存在している『非線形性』は,とても予期しない事態を
引き起こすので,そのことに意識することは大切ですね.
僕たちより、いろいろな文化や人々とコミニュケーションしている
はっちゃんずさんのほうが
価値観もいろいろ感じられているのでしょうね。
何をもって幸せとするかは人それぞれだし、客観的には判定できないけれど
その人自身が自分の事を幸せと考えているかどうかは
一つの基準になるのではないかな.とおもっています。
「幸せ」っていう定義も、価値観や国や言葉、人によって違うとは
思うのですが、みんなが幸せって思える世界にしたいもんですよね。
となんか無難すぎるので、BC4さんのREPLYに続く。。。
地球の平均気温は確実にあがっています。よく疑われているのは人為的影響かどうかということですが
これもほぼ人為的影響として確定しています。昔、欧州であったメール問題も決着しています。
ちなみに僕自身は温暖化の曲線と、人口増加曲線がぴったり合ったので、
わりと早い段階から人為的影響を確信しています。
ただ気温上昇の影響が今後、どのように影響するかはよくわかりません。
一旦温暖にふれて、反動で氷河期になるかもしれないし、
P−T境界の大絶滅の一説のようにメタンハイドレートがメタン化して
さらに温度上昇、海洋無酸素状態になるかもしれない。
ただ、今の状態は人為的影響が不確実性を増す方向だと思う。
なーんちって。ではオフ会で....
「幸福感」はあくまで主観的・感覚的なものなので、パーセンテージで語っても無意味です。
幸福と感じている人は自分の不幸を認知していないだけなのかもしれない。
第三者から見たらなんて不幸な人なんだろう、と涙をこぼすかもしれない。
でも本人がそう思ってなければいいのです。
ドバイとか私が今住んでいるカタールとかは、日本などの比ではない格差社会ですから、幸せの基準も本当に様々ですね。
月給手取り2万円くらいでもいつもニコニコしているお掃除少年もいれば、その100倍の給料でも文句ばかりの人もいるし。。。。
中国の格差社会,行政の判断指標,地球温暖化...
このことについてはオフ会でっ♪ (^O^)/
ちなみに,ほんとうに地球って温暖化しているんですか?