雑然
- カテゴリ:日記
- 2011/12/11 23:44:15
ずぅ〜っと言いつづけてることじゃありますが。
片付かない。
物品、まぁ特に本がなんだけど、スペースを圧迫しまくっている。
TVだかでチラ見した、評判だという整理法では「ときめき」を感じる物だけを残して取捨選択すべし、と言っていた。
無理だって。
わたしの場合、生活に必要なあれこれが、どうしてもときめけない、内心どうでもいいと感じてるのだから。
服飾に興味薄くて実は(自分が着るものとしては)スーツ嫌い(似合う人ならいいですぜ、似合えば!)。パンプス嫌い。
排除していったら、さすがに生活に差し支える。
「必要だから」で持っている物は愛着で選んでないから、次にあうものを見つけられる自信が無くて処分しずらい(次を買いに行くのも面倒だし)。
生活必需品じゃない物品の場合、思い入れがあったりすると処分を決意しようにもできず、実に面倒くさいことになる。
やはり物の取捨選択が下手なのだろう。
たとえば、PCを置いているデスクまわりを見まわすとこんな感じ。
以前書いたことがあるようにサモトラのニケの像に、ルイス島のチェスの駒(ナイト)の複製、ペン皿のそばにアリスの小さな食玩がふたつ置いてある。
あと、プリンタわきにデッサン人形。最近、絵描いてないのに。
ペン皿には万年筆等々以外に万華鏡。
アンモナイトの化石を文鎮にしてて、現在レシート等々の紙類を押さえてる(このどーしょーもない紙の山をどうすべぇ……)。
その他学生時代から使ってる辞書各種(手許に近い方から国語・英和・類語・和英・古語・独和。遠い方はさすがに最近あまり使わない)、広辞苑は重くて危ないので足許に置いてある。
ハサミだのペンだのペーパーナイフだの、筆だの扇子だのが立ってるペン立てふたつ。ツレにお誕生にもらった、お手製プラ板からの削りだし一品物の両手剣(のはず、多分)のミニチュアなんかも刺さってる。その他付箋が詰め込まれた革製の箱。
フラフープしている人の形したテープカッター。
デスクサイドのラックに、『指輪物語』の映画でアルウェンがアラゴルンに渡した「エルフの石」ペンダント(の格好した土産物。原作ではあれ、首飾りじゃないのだけど)と北欧で出土した十世紀くらいの品の複製品の雷神の槌(トールのハンマー)の首飾り(錫なんだけど気に入ってて、鎖を革紐にかえて窯変したガラスビーズと一緒に通してみた)が下がってて、地震があるとごく弱くてもこれが揺れるので大概気付く。
で突如、ペタッて寝転んだネズミの縫いぐるみ。掌をひろげたくらいのサイズの。ファンシーすぎて似合わないのはわかってるけど、〈十二国記〉のアンケートに葉書出したら当たった楽俊だったりするので手放せない。いや、だって楽俊だよ(作品の雰囲気にあってないなぁとは思うけどw)? 実はOAクリーナーだけど、お察しの通り使ってない。
でもってデスク周囲に未読本が積み上がっているわけで……
ちょっと書いただけで周囲の雑然っぷりにウンザリする。
救いようがないことに、上記あげた物品を処分する気はサラサラ無かったりする。
本当に、もう……どうしようもない。
物の取捨選択が苦手なのは、処分するべき物に人生の無駄や、出来なかったことを見せつけられるせいだろう。
物品を手放すことは、つまり、それらをあきらめることそのものだ。
だから、何を処分し何を残すか考えていると、憂鬱になるのだろう。
だからこそ本当にやりたいこと、出来ること、好きなことを選ぶことが必要なんだろう。
だけど、欲張りだからこれが難しい。要はあきらめが悪いのだ。
物を捨てることは、それを扱っていただろう、あり得たかもしれない自分を捨てること、なのだろう。
だからこそ実行できれば、選んだことをより楽しむこともできるだろうけど、これが難しい。
わかっちゃいるんだけど、ねぇ……
本は、そろそろ読み返すのが難しい量になってきているので(他の本が立ちはだかって、読みたい本が手にとりづらくて)、読むために減らすしかない状況になっています。
終わりについて考えると、減らすより「判るように整理」かなぁと思っています。
まぁ今は、自分でもわけ判らない状況なんですけどorz
本はまず無理ですね。
それこそ十年以上箱に入れてるものでも、ふと思いたって読みます。
辞書的な使い方も多いので、必要な時に必要なところだけを知るのに傍になくてはならないんです(^^;。
他の物も同じで、PCのまわりは、すかさはさんよりも凄まじい状態です(^^;。
欲の塊というのと、情報に埋もれてるのが心地良いんですよねぇ。
ただ、死を考えた場合に、スマートに死にたいという思いと、
自分が入手したものが他人にもらわれたり、他人に処分されるのを考えると、
少しずつ減らしていかないと・・・と考えるようになりました。
まあ、まだ考えただけで、実践できるかどうかは別問題ですけどね(^^;。
あります。気を許すと者が居着いてしまいます。
我が家で危ないのは文具と本。気をつけましょう!
山鳥さん
アイディアありがとうございます。
服飾なんかはそれでなんとかなるかも。
実際似たような状況で最近かなり減らせました。
ただ……書籍等は封印しても無理な気がします。
ぢょほほんさん
アドバイス、ありがとうございます。
はい、読めない本はただの紙束。身に染みてわかっています。
実際迷いなくかなりの数、売ってますし。
なんだけど……読み返すんです、基本。好きな本、気に入った本はそりゃ何度でも。
問題は「どうかな?」と思う範囲の本、境界線上の部類。あと……資料本。
え〜、以前ぢょほほんさんに「書いてみたら」と言われたことがありますが、えー、「お話」は書けなくなってますが、わたしは文章書くこと自体は好きで、で、それで参照しそうな本は手放しづらいんです(似るのは嫌だし、間違い書きたくないし、で)下手の横好きのその辺を止めれば、ためらいなく無くせるんですけど、ねw
やはり、物を処分することは、あり得たかも知れない自分を捨てることなんだな〜、と感じます。
私は本を処分するのは結構得意です。
お金がないときに、もう読まないかな、と思う本は片っ端から古本屋に持っていくのです。
画集のように、所有していること自体に価値のあるものはともかく、
本というのは読んでナンボだと私は思っています。
読まない本が増えすぎて読みたい本が読めないとしたら、本が可哀想です。
また、自分は読まない本でも、誰かが読みたいと思っているかもしれません。
ならば、その本も読んでもらえない分だけ可哀想だと思います。
本を処分すれば、逆に手元に残るのは本当に好きな本だけになります。
それはそれで精鋭ぞろいの素敵な本棚になりますよ。
まあ、私の考え方ですから、人に押し付けることはしませんが・・・ご参考になればと。
封を開けたときには
処分してもいい気分になっているか
諦めがたく思っているか
判断しやすいと思う
3年ぶりくらいで、
しまいこんでいた
いろんな箱を開けて思ったこと^^;
そこが定位置になってしまうんだよね~><