レア魚、「木彫りの龍」のエピソード(^^)
- カテゴリ:ニコット釣り
- 2012/01/22 00:05:52
モンキー飯店にある、「木彫りの龍」のふしぎな物語。
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昔々、江戸時代に、左甚五郎という、名工がおってのう、
この「木彫りの龍」は、その甚五郎の真作といわれておるものなんじゃよ。
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そのいわれをお話して聞かせよう。
当時、4人の名工がおっての、人々は、誰が当代一の人物かとうわさをしちょったんじゃ。
そこで、寛永寺の大きな鐘楼の4本柱にそれぞれ、1匹ずつの龍を彫って、
その出来栄えで天下一を決めようということになったのじゃ。
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目利きの人物が、それぞれの進み具合を見に行くと、3人の名工の作品はそれは
美しくもきめ細かく、たいそうな出来栄えじゃった。
最後に、甚五郎の工房へ行ってみて驚いた。その粗削りな作品ときたら、とても
見るに堪えないものじゃったそうじゃ。
「こりゃ、甚五郎は最初から番外じゃわい」、とため息のお目利きさん。
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当日は、祭り日。
催し物もクライマックスを迎え、お目当ての、4本の龍がお目見えする段となった。
隠しておいた覆いを、取り除いたとき、いあわせた人々は、息をのんだ。
甚五郎の龍は、まるで生きているかのように天に昇っていったのじゃよ。
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理由を知りたいじゃろが。
それはのう、大きな鐘楼の柱では遠くから見ると、きめ細かく細工された龍は
死んだ蛇に過ぎず、粗削りな彫り物こそが、生きた龍に見えたのじゃよ。
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それにしては、この龍は小さすぎるではないかじゃと??
むむ、言い伝えというものは、いつでも、こんなもんなnじゃよ「(^^)ノシ
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(注)これはボクが、子供のころ読んだ漫画の記憶がもとになっているので
正確なものではありません^^;
左甚五郎は、日光東照宮のねむりねこ、三猿などを彫った人といわれています。
左甚五郎の木彫りの龍というのも、実際にあったけれども、火災で焼失したらしいです。
知りませんでした^^;
左甚五郎の名前は聞いた事があるような気がしますが
今、思い出せません^^;
たしか、日光の三猿も甚五郎ですよね。
この「鐘楼の4本の龍の柱」というお話は史実みたいですよ。あとは、甚五郎のすごさを
表すためにいろいろな、エピソードができたんでしょう。
他にも、遠目美人、傘の下美人とかいいますよね、これは、ぼやけてくると、ひとは
端正なほうに、頭の中で画像を集約するんだそうです。
白ニコガチャの、出物がなにかは、どうしようもないので、つい、物語中心にしてしまいます。
甚五郎は、みる人がどんな立場で見るかを、予測してそれに合った彫り物
をつくったということですね。絵の歴史でも、奥行きを感じさせる画を
書き始めたのは、それほど前ではないらしいですし。エジプトの絵画は、平面ですよね。
左利きだったから、というか、雪合戦で、雪玉を、両手で同じように投げられた
とかマンガに書いてあったような。「4本柱の木彫りの龍」ということだけは
少なくとも、史実のようですよ。
左甚五郎作といえば、日光東照宮の「眠り猫」しか知りませんが
龍にまつわる話もあるんですね。
ニコタのこの龍は良い出来だと思います。
水槽に入れるのではなくて置物にしたいです。
見える描き方と同じなんでしょうかね。素晴らしい絵画、彫り物
の美術作品ですよね~ 私も絵画をやってたので、美術的なものには惹かれます。
正確では無くても、いえ、殆んど正確でしょうけど、いつもお上手に物語を作られますね。
いつも楽しみに拝見させて頂いております。
腕がよかったので、ねたまれて右腕を切られて、それで左手だけになって
そう呼ばれたとか聞いたことがあるわ。