アメーバブログより転載:日々の雑感
- カテゴリ:日記
- 2012/02/01 14:58:36
子どもは、どんな子どもでもそうであるように
まわりの大人から影響をうけて育つ。
それが肉親であるか、そうでないかはかかわりなく。
大抵の小さな子どもは、親または親代わりの人の価値観がすべてだ。
だから、まわりの大人は気をつけなくてはいけない。
まっ白な布に どんな色をつけるかは 大人次第なのだ。
でも、子どももやがて大きくなる。
そうすれば、それまで絶対だった価値観が、
実はそうでもなかった、ということがわかってくる。
ゆがんだ世界観を持つ親に育てられた子どもは
やはりゆがんだ世界観をもって、そのまま子どもの世界に出てゆく。
学校生活で、友達づきあいで、
「あれ・・・?」ということが出てくる。
うまくそこから学ぶことのできる子どもは幸いだ。
でなければ、長く人間関係の結び方に苦労をすることになる。
これらのことを書いたのは
私が、まさにそういう子どもの一人だったからだ。
幸い、私は苦労の末、どうにか人並みに 人とつきあうことを覚え
人から信頼されるにたりる 人間になることができた。
でも、子ども時代に受けた悪影響は、すっかり消えたわけではなく
いつも、どこかにひそんでいる。
だから、何かことが起こったとき、自分の裡におきている反応が
果たして客観的にみて 健全なものなのか、
それとも 過去の、傷ついた子どもが反応しているのか
それを見極める必要がある。
現実世界でも、インターネット上でも
数多くの「傷ついた子ども」を持つ大人に出逢う。
あるひとは 極度にやさしく
ある人は 常に怒りを内側にもっていて
ある人は 極端に傷つきやすい。
そういう人たちの中には、自分をわかってもらいたくて
わかってくれる人のところになだれ込むようなタイプもいれば、
自分をわかられるのを こわがって
やさしく近づいてくる人を てひどく傷つけるようなひともいる。
理解すべきなのは、そこにある感情は共通していることだ。
恐怖。
理解してもらえないという恐怖。
理解されてしまう、知りたくない自分を暴かれてしまう という 恐怖。
恐怖の対極にある感情は何か。
それは 愛 である。
愛には、恐れがない。 という聖書の言葉がある。
英語ではCharityと訳される言葉。
日本語で愛というと 多くはエロスの愛を連想させるけど
この場合の愛は、もっと広いものだ。
相手をありのままに受け入れるということ
見返りを期待しないということ
大切にしたい、と思うこと
怒りも恐怖から出てくるものだ。
怒りを静めるには 愛で包むしか、ないのだ。
おだやかな答えは 憤りを鎮める。
愛には忍耐が伴う。
最後に勝つのは そんな愛なのだ。
実行するのは、とても、難しいけれど。
少なくとも、わたしからみたら、あると思うけど?
そうなんだよ。60すぎても、70すぎても、まだ縛られたままの人も
結構多いんだよ。
うーん、普通の人なら苦労ではないことまで
苦労になってたかも、私の場合(^^;
乗り越えた、というか 乗り越えさせていただいた、というか。
自分の手柄ではないんだあ
そうだよ。厳しさの伴わない愛は
たんなる甘やかしになるからね。
相手のためには、時には厳しくすることも。
それもまた忍耐が必要なんだよ。
どうしても自分の事が先になってしまうし。。。
子どもの頃に、親や周囲の大人から受けた影響で
心が傷ついたままの人達は、多いのかもしれないね。
それに気づいていれば、まだ、ましだけど
そうとは知らずに、他人との関係を壊していく人達もいるよね。
のえるも知っているけど
うちの親たち、悪気はないけど
平気で子供の心に悪影響を与えていたもんね。
今は、傷つかないけど、
それでも、普通なら何でもない事に、overly sensitive になる事もあるよ。
自分で、苦労して、成長してきたのえるだから
他人に優しくなれて、多くの人たちの助けになるのだろうね。
うーん。。「愛」は、優しく包み、耐えるだけではなく
厳しくすることも、一つなのかなぁ、なんて事も思うよ。