道真公ごめんなさい
- カテゴリ:勉強
- 2012/02/02 22:12:51
出来る事なら、これを費用無しで習得したい。
http://www.youtube.com/watch?v=4tuQdzadmA0
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かつて、カイソウと言う名の競走馬がいた。
北海道の苫小牧にある、錦多峯(にしたっぷ)
牧場と言う所で生まれた。
4歳(現在の換算法では3歳)の時、
東京2400メートルのレースで、
レコードタイムで勝ち、東京能力検定競争と
言う、レースに出場する事になった。
このレース、現在では東京優駿(日本ダービー)
と呼ばれている。
この年は1944年(昭和19年)、太平洋戦争の
戦局の悪化に伴い、殆どの競馬場では
レースが中止され、ダービーも上記の名称で
行われ、馬券の発売も一般の観戦も行われ
無かった。
そう言う訳で、この競争は、軍人や馬主など
関係者200人程が見守る中で行われた。
日本ダービーと言えば、現在では東京競馬場
だけで20万人近く集まる。
史上、もっとも少ない観戦者数である。
カイソウはこのレースで2着に5馬身差を
つけて圧勝した。
北海道と言えば今では競走馬の大生産地に
なっているが、北海道産の馬がこのレースに
勝ったのは、この時が初めてだった。
その後、長距離特殊競争(現在の菊花賞)
でも、1着になったのだが、このレースは
出走馬がことごとく、コースを間違えると
言う訳のわからないアクシデントの為に
不成立になってしまい、カイソウは幻の
2冠馬となってしまった。
・・・・
その後、カイソウは国民に対する戦意高揚
の意図で、軍馬として徴用され、名古屋の
師団に連れて行かれ、東海軍管区司令官の
乗馬となった。
・・・・・
1945年5月14日、B-29 480機が
名古屋を空襲、名古屋城はこの時焼失したが
カイソウはこの時に行方不明になった。
コメントありがとうございます。
実はこの時、カイソウは無事だったと、想像すると
この話も救いがある結末になりますよね。
コメントありがとうございます。
現在では競走馬の66.5%が北海道の日高地方で産まれている様です。
その後のカイソウについては今となっては誰にもわかりません><
コメントありがとうございます。
あの悲惨な戦争の記憶と言うのは、世代が変わっても
風化させてはいけない様に思います。
このまま、小説にしてもいいくらいのドラマ性があります。
最後は、馬だけにうまく逃げ延びたことにするのがかいじんさんらしいと思います。
カイソウ、行方不明だけど
誰かが、連れて逃げてたらいいなぁって思いました。
逃げ場はなさそうだけど;;;
ですから、大人たちに名古屋の空襲の話はよく聞かされました。
でも、その陰に、こんな軍馬がいたことは知りませんでした。
多くの行方不明者を出した空襲。
そこに、こういう動物たちもいたことを改めて覚えておきたいです。
コメントありがとうございます。
いろんな場所で、それぞれの当時のエピソードが
ありますよね。
コメントありがとうございます。
研究には結構時間もかかりそうですよね。
コメントありがとうございます。
戦時中の動物悲話って結構多いみたいです。
徴用されたとか
その後は飼っていません
馬小屋跡を掘ったとき鉄蹄がでてきました
JRVANのページで研究するといいかも
http://jra-van.jp/
費用がかかりますが