2月期小題 【猫/「温もり」】
- カテゴリ:小説/詩
- 2012/02/04 04:14:23
黒猫イソは、にゃぁ~と鳴きながら早(さき)の懐にもぐりこむと埋もれるように丸くなった。
イソは飼われ始めた時、どこにいても”いそいそ”していたことから名付けられたのだが、飼われて10年になろうとするこの頃にはすっかり動きも遅くなり、イソというよりトロと言った方がピッタリだった。
早は、イソの温もりを感じながら障子窓から見える風景を枕辺から眺めた。この町で暮らすようになって初めて見る雪景色だった。
水戸に生まれ、東京で夫の武雄と出会い、一人娘の恭子を生み、敗戦で夫の実家のあるこの町に来て12年になろうとしていた。昨年、娘の恭子が婿をもらい、夫と娘夫婦の4人で暮らし始めて1年になろうとした12月半ば、元々身体が弱かったところを病が襲った。ガンであった。
「熊本でも雪が降るんだね…」
床について1ヶ月。早は、十数年ぶりに雪が降るのを見ながらイソを懐に抱いて横たわり、茨城訛りの抜けない口調でポツリと呟くと静かに目を閉じた。そして、そのまま帰らぬ人となった。
51年の生涯を戦争に翻弄されながら夫とともに生き、生地から遠く離れた熊本の地で閉じた。苦労の多い人生だったが、それでも好きな人と一緒に暮らせただけ当時なら幸せだったかもしれない。
その日からイソの姿が見当たらなくなった。家族はイソの姿が見当たらないことに気付いたが、日々の忙しさに追われ、とてもイソのことにかまけている時間などなかった。
葬儀から1ヶ月ほど経った日曜日。その日は朝から心地良い日差しの溢れる”小春日和”だった。
忙中閑有りよろしく、庭の手入れをしていた恭子の夫隆志がたまたま縁の下を覗き込むと大声で恭子を呼んだ。
「イソがおったぞ…」
イソは、早が寝ていた部屋の真下で息を引き取っていた。右肩を下に横臥した格好も早と同じだった。
「イソはお母さんと一緒に逝ったつね(逝ったんだね)…」
恭子が感慨深げに呟くと、隆志はおもむろに畳を上げて床板を外し、手にしたシャベルでその場に穴を掘ってイソを埋めた。死臭はしたがイソの身体は腐っていなかった。
「死んだつは最近のごたる(死んだのは最近のことだな)。わざわざ戻って来たっとね(わざわざ戻って来たんだね)…」
イソが早の真下で死んでいたことを二人とも不思議に思わなかった。逆に、『イソならここで死ぬのが当然だ』と感じていた。どちらからともなく、二人は畳に向かって手を合わせた。
二人が合掌している間、いつの間にか縁側の陽だまりに腰掛けていた武雄はじっと畳の上を見つめていた。その目はとても穏やかで、どこか遠くを見ているようだった。
☆☆おしまい☆☆
抱っこしてもらっている夢でも見ていたんでしょうか。
いろんな思いの中、亡くなっていった妻と飼い猫。
それを温かく見送る娘夫婦の姿に、どこかホッとするものを感じたんでしょう^^
武雄さんもそれが分かっていたのだと思います
穏やかで清々しいお話、楽しませて頂きました
戦争に翻弄されながらも、人生の最後は穏やかだった。
イソはそういう象徴なのでしょうか。
独りで逝ったわけではない家内を思いやるような
暖かなしめくくりが嬉しいですね。
イソもそうだったんでしょうか。
悲しいのに、なにかスッキリさせるお話でした。
何だか懐かしさの様な物を感じました。
物語は偶然をも必然に変える力をもつ……。
波乱に満ちた生涯の最後を暖かい日だまりのような家庭で過ごせたのですから、早もイソも幸せだったのだと思います。
切ないけれど淡々としていて、不思議な位、湿っぽさがないですね。
イソもちゃんと家族の一員だったんですね・・・^^
裏山に行く途中 交通の激しい国道を渡ろうとして車に轢かれて死にました
やはり猫は死ぬ姿を見られたくないのでしょう 像などもそうですね
いつの間にか 素敵なお話をかかれるようになったんですね
猫にもちゃんと心が伝わるのですね 優しい心思いあう心は
何時の世も幸せを一杯生み出し人生に豊かさをもたらしますね
心温まるお話をありがとう^^v
でも学生時代に飼った猫も、結婚後飼った猫も、家に残ったまま逝ったんです。
確かに本能では、逝く姿を見られないように消えるのかもしれません。
ただ、その本能以上の思いが猫のなかに芽生えれば、イソのように“そこ”を選んで逝くのかもしれませんね。
いいお話でした。
イソいじらしいのです。
悲しいお話ですが、方言がほんわかします^^
台詞の後の訳?なくても、通じるかなって思いました。
ないほうが、余韻がある?九州の言葉、素敵です♥
よほど、早に可愛がられていたんですね。