「契約の龍」(50)
- カテゴリ:自作小説
- 2009/06/05 00:57:58
植え込みを乗り越えて木立の中に入ると、陽射しが遮られて涼しい。
目的の場所へは、図書館前の小道からではなく、寮の前から木立の中を突っ切っていくことにする。その方がクリスの心理的な負担が少ないだろう、というのと、多くのモノをひっかけられるだろう、という理由からだ。今日はあえて「不可視」を外しているクリスには、寮を一歩出たところから色々なモノが吸い寄せられてきている。
「…今年の夏も暑苦しかったなぁ……」
木立に入ってしばらくしたところで、クリスがぼそりとつぶやいた。
「暑苦しいって?」
「服だ服!この、襟!」
ああ、そういえば去年の夏も襟の詰まった服で暑苦しかったと言ってたな。
「いつまでこんな暑苦しい服でいなきゃいけないんだ?」
そりゃ、クリスが「ゲオルギア」を受け入れるか「ゲオルギアの龍」がクリスから手を引いてくれるまででしょう。
「……そう思ってたら、ついスプラッシュ用の「罠」が強化されてて……エアリアル、引っ掛かるかなあ?」
「大分、ついてきてるみたいだけど?第一段階の「見つける」と第二段階の「おびき寄せる」は苦労がなくて楽だな」
卒業年次に工作室に籠る連中は、まずこの段階で躓く。
「この子たちが見えない学生からすれば、恵まれてる方なんだよな、私は」
恵まれている方、どころではない。幻獣を親から継承しているだけで、新入生全体の半分より上に入るはずだ。そのうえ、「伝説の天才」と――ここの教師の間では――名高い親から直接手ほどきを受けているんだから、確実に恵まれている。
まあ、恵まれてるからって、苦労がない、という訳でもなさそうなんだが。
問題の場所に近づくに従って、クリスの口数が少なくなる。
「……このあたり、かな」
クリスが立ち止まって周りを見回す。
「図書館があっち。だから…たぶん…」
数歩歩いて、上を見上げる。
「枝の状態が、だいぶ変わってるな。……昼間だし…高さも違う」
上を向いたまま立つ位置をいろいろ変えてみる。
「…ここ、かな」
わざわざ「その場所」を探すとは、どういう酔狂か。それとも何か意味があるのか。
「…さすがに痕跡は残ってない、か」
そうつぶやいて、一つ溜息をつき、持ってきた袋から、できたばかりのコサージュを取り出す。ていねいに形を整え、広げた掌の上に載せる。
手を差しのべて、それぞれの呪陣を発動させる一連の呪文をつぶやく。
…かと思ったが、何か短い歌に聞こえる何かを発する。
…似たような歌、前もどこかで聞いたような覚えがする…歌そのもの、というよりも、この、声を。
一連の呪文を唱え終わると、あたりにたむろっていたモノたちが、一つ、また一つとコサージュに飛び込んでゆく。
とりあえずのところは、提出までの間に逃げ出したりされなければ、課題は完了した、と言っていいんじゃないだろうか。
「…捕獲終了、かな?」
コサージュの形を直しながら「檻」を施錠する呪文を唱える。
「…面倒なことに付き合ってくれて、ありがと」
コサージュを袋にしまい、こちらに向き直ってそういう。顔色が悪く見えるのは、木陰にいるせいか。
「ただ見てただけで、何もしてないから、礼には及ばない。…一つ聞いていいか?」
「…何?」
なぜ、その場所に拘るんだ?
そう聞こうとしたが、口を衝いて出たのは、別の言葉だった。
「克服、できそうか?」
「それは……試してみないと、ね。…また日を改めて」
「改めて?」
「……帰ろう。……本、返さないといけないし、ね」