第五福竜丸
- カテゴリ:ニュース
- 2012/03/01 18:06:35
今日から3月が始まり、あと10日であの地震から1年になろうとしています。
今日は地震そのもののお話ではありません。
戦後、日本人が被爆したのは福島原発の事故が初めてではありません。
1954年3月1日、太平洋のビキニ環礁でアメリカが行った核実験により、
遠洋マグロ漁船”第五福竜丸”の乗員が死の灰を浴びたのが最初でした。
当時、大阪市立大助教授だった故・西脇安氏は、米原子力委員に
「汚染を除去する方法を教えて欲しい」
と、手紙を送ったそうですが握り潰されたようです。
被爆から半年後に亡くなった無線長・久保山愛吉さんの死因を日本医師団は”放射能症(放射線障害)”と
発表しましたが、アメリカ側は「放射線が直接原因ではない」としてこれを否定しました。
ちなみに、第五福竜丸は被爆後、SOSを発することなく自力で漁港に帰港しました。
それは、船員が実験海域での被爆の事実を隠蔽しようとする米軍に撃沈されることを恐れたからだとも言われています。
この事件をきっかけに高まった反核・反米感情を封じ込める為にアメリカは日本政府に働きかけ、
「原子力の平和利用」の名の下に原発が導入されるに至りました。
元・乗組員の大石又七さんは
「私たちは内部被爆し、たくさん病気を抱えているが、政府が当時、
原発導入を急いだ為に被害が過小評価され切り捨てられた。」
と政府を批判しました。
いま、我々ひとりひとりが原発のあり方を本気で考えなければいけないのではないでしょうか?
最後に・・・
久保山無線長の遺言にはこうありました。
「原水爆による犠牲者は、私で最後にして欲しい」と・・・
ヒロシマに、ナガサキに・・・・ 第五福竜丸に、フクシマです(T_T)
思うに、ヒロシマやナガサキは原爆投下直後はものすごい量の
放射能が充満していたんじゃないか(+o+)
だけど、避難するどころか家族や友人を探すために
市内に入り被ばくした人も多かったとか・・・じゃないか ヾ(`Д´*)ノ
こんなに国民を大変な目に合わせておきながら、
「安全神話」のもとにゴミの捨て方もわからない原子力政策を推し進めた国と、
高度経済成長とバブルで、危機感を麻痺させられたおめでたい国民性に
ムチャ腹が立つ。
dayamaさんが書かれた、第五福竜丸の被ばくに対する態度を見る限り
アメリカも、国家としてはあまり変わらないように思えるね。
とても率直な感想ですね^^
私も彼らの言葉を知ったとき、心が震えました。
これを機会に改めて能動的に考えたいと思いましたよ^^
まったく同感です^^
現在の議論は、我々の時代にはそれほどの影響を及ぼさないかもしれません。
しかし、次代にとってはとても大きな影響を及ぼしうることを忘れてはいけません。
議論することは我々にとって権利であるとともに義務でもあると考えています^^
第五福竜丸の乗組員たちの被爆事件がうやむやにされることなく、当時徹底的な原因究明がされていたならば、今回の事故を未然に防ぐ手立てがあっただろうに。。。
これほど何度も被爆している国は、世界に類を見ない。
”もし、あのとき。。。”過去を悔いても仕方ありませんが、学ぶチャンスを逃してきたことは事実ですね。
今回こそは、原発の将来について、徹底的な議論がなされることを望んでいます。