父の幸せ子の不幸?
- カテゴリ:人生
- 2012/03/04 13:15:51
私の中で5本の指に入る劇画作品「MASTERキートン」のワンシーン。
少女は、父と離婚し新しい恋人を作る母が許せなかった。
母はその事を知っていて、恋人との結婚を躊躇していた。
そして少女も、自分には優しかった父が母には暴力を振るっていた事実を知っていた。
主人公のキートンが、少女に放った言葉。
「人は自分の幸せの何十分の一でも他の人のために犠牲にする事は大変な事なんだ。例えそれが親子の間柄であっても。」
ばあちゃんが、息子に聞いた事がありました。
「キアヌ、新しいお母さんはいらない?弟とか妹は欲しくない?」
息子はきっぱりと言いました。
「オイラの母さんは死んだ母さんひとりだよ。妹も弟もいらない。」
息子はそれほど母を愛していたんですね。
そして賢いゆえに、妹や弟が出来たら自分への愛が薄れてしまう危険性を感じたのかもしれません。
私の幸せは、妻が残してくれた息子の夢をかなえてあげる事。
彼の幸せが私の幸せだと、私は思っています。
今、彼は私が年老いてもずっと一緒に暮らすと言ってくれています。
しかし、その保障はどこにも無く、もしかすると彼は私を置いて出て行ってしまうかも知れません。
それも、彼の道です。
私は何も言わずに、彼を見送らなければ・・・と。
MASTERキートンの件。
キートンの言葉は本当に的を得ていると思います。
しかし、私には出来ない。
まぁ、幸いと言うべきか、そういったお相手がいないのも事実なのですが・・・。
しかし、もしも息子が私の元を離れて行ってしまった時、隣で一緒にお茶などをすすってくれる人でもいたら、救われるかもしれないなぁ・・・
等と思ってしまうこの頃だったりもします。
ちなみに・・・
キートンにその言葉をもらった少女は、次第に母を許す方向へ心が傾きます。
結末はこうです。
「キートンさんが私と踊らなかったのは当然だわ。こんな子供の私とは踊れないもの。」
「いや、では今踊りましょう。昨日までとは違う、今の君は立派なレディだ。」
性格も、そしてルックスも男前なんですよ~。
学校でも、競争率は高いと担任が言ってましたから。。。
キートンは素晴らしい作品でしたね。
最終話の長編はドキドキの連続で、最後はしっかり泣かせてくれました。
ああいう作品は、この先は出てこない気がします。。。
キアヌ、いいヤツでしょう?
幸せな人生を歩んでいただきたいもんです。
そんな事、息子が言うでしょうかねぇ?
そんな台詞を息子が吐いたら、立派になったという嬉しさ半分
そして一抹の寂しさ半分といった所でしょうか?
確かに、お互いが少しずつ譲り合って、負担を負えば丸く収まるのでしょうね。
ま、人間が生きてゆく上で、それが難しいからさまざまなトラブルが発生するのでしょう。
息子の場合、すでに母のいない人生という大きなマイナス要因を負わせてしまっています。
そのハンデを負っている息子に、父の幸せも考えろとは私には言うことは出来ません。
それも親バカなのかもしれませんけどね。
もしも、彼が成長した時。
自分が父の幸せを奪ったと考えることは、私は無いと思っています。
恐らくは、母のいない寂しさを支払った息子は、父も同じようにそういった寂しさを払ったのだと
父は一生母を愛し、残りの人生をかけて祈ったのだと、そう思ってくれればそれでいいと思います。
ま、もしも選択肢を持つ事が許されたら・・・
そりゃ、その時にでも一生懸命考える事にしますか。。。
もうずいぶん前の作品になってしまいましたねぇ・・・。
私は今でも十分に寂しいんですけどね。
何せ、亡くなってからもう4年以上も経つというのに、ひょっこり帰ってきたりして・・・
なんて事を考えたりしています。
息子が独り立ちする頃は、もう私も老後になっちゃっている事でしょう。
そういった気力もなくなっている事と思います。
ま、せいぜい孫と遊ぶ権利を勝ち取っていたとすれば、十分に勝者と言えるでしょうねぇ。。。
う~ん、息子はそう言うでしょうかね?
息子も、そして私も、いつまでもひまわりを引きずっているかもしれません。
まぁその時になってみないとわかりませんが、それはそれでずっと引きずってやろうという気持ちもあったりします。
ああ、カトちゃんですか。
アレは自分には出来ませんねぇ。
やはり相手の幸せの事と、相手の家族のことを思うと
手放しで「良かった」と言えないですから。
キートンさんは、母へのほんの些細な嫌がらせのつもりで、父方の祖母の家に行ったきりの娘を取り戻して欲しいという母の依頼で動いていたという位置です。
非常に難しい立場だったわけです。
本当にねぇ、自分の幸せが別の愛する存在を不幸にしてしまうのであれば・・・
私もやはり息子を思いやってしまいますね。
そういう所が、やはり私とむーさんが似てるところだなって感じます。
お互いが思いやり、そして譲り合ってしまうところが人間の悲しい部分であります。
だから、やはり生きているって素晴らしいし、人は体温を持って生きている生物なんだと。
そうですねぇ・・・
やがて時間が経って、お互いがそれぞれの、さまざまな答えを見付けて
そして「あんときゃさぁ・・・」って話せたら素敵であります。
それにはまだまだ、経験値が不足してるんでしょうねぇ・・・。
息子には、自分の幸せと父の幸せの他に
それらよりも強いかもしれない「母への想い」というのも持ち合わせているようです。
もちろん、私にも息子に負けないほど、その想いは持っておりますが。
そして私たちのその想いが、生きてゆくうえで足かせにしてはならないって思っているんですよね・・・。
積極的に見付ける努力はせずに、そういう人が現れたら仕方ない・・・程度にしておきます。
「キートン」は浦沢作品でも、原作者が別にいましたからね。
勝鹿北星氏は個人ではなく集団ではないか?などと言う憶測まで飛び交いました。
正体はラデック・鯨井氏と同一人物のきむらはじめ氏でしたけど・・・。
連載後期には、編集者と浦沢氏から、原稿料のトラブルがあったようです。
しかしながら、私はあの作品は原作者が優れていたという印象しかありません。
その後の「モンスター」は酷かったですから・・・
はじめまして。
老人の孤独死が増えているようで・・・
社会現象になっちゃってますね。
子どもに期待しちゃいけないってのはわかってるつもりですが
それでも心のどこかで期待しちゃってる自分がいたりします。
ま、がっかりしないためにも、淡い期待は持っていないほうがいいのかも知れませんね。。。
男前だ!!^^
本当にいい話が多いです。
キアヌ君
立派やなぁ・・・
誰か(女性)がそばにいてくれる幸せに気がついて
「お父さんも誰かいないの?」なんて言ってくれそう。
それが許される、というのが子どもの特権でしょうね。
誰かの犠牲の上で成り立つ幸せより
大きな幸せの為に
みんなが少しずつ我慢をする
この方法を模索する方が、
負担分散で、
振り返っても後悔しない生き方が見つかるような気が
わたしにはします。
綺麗ごともやせ我慢も
みんな人間で弱いから、限界もあるんです。
子どもは変わっていきます。
その時々で、
やがて、大人になって親の幸せを奪っていたんではないか
そう思うことの方が、ずっと辛い気がしますヨ
みんな大人になり、長い人生を生きて行きます。
大きな幸せを選択するには
目の前にある小さな不幸を分散し
我慢しなければならないこともあります。
その時々、
何が幸せに導いてくれるのか
選択肢をたくさん
持つことも重要ではありませんか?
私は、新しい恋人を作っちゃうお母さんの気持ちも判ります…。
女は寂しい生き物なんですww
でもきっと、招き猫さんが寂しくなるときが来たら、自然とお相手は現れますよ~^^
その時は、キアヌくんも独り立ちしてる時かも~^^
何となくそんなもんだろうな~って気がします♪
でも、大丈夫大丈夫!
そこは、男の子。
中学生、高校生にでもなれば、「おやじ~、彼女くらいつくれよ!」
と、言ってくれるはず。
お互い、加藤茶さんを、見習いましょう。w
人のために自分を犠牲にすることは・・難しいか・・・
けど逆に人を犠牲にして自分の幸せをとるほうが苦しい気がするけど・・
キアヌ君が言ったこと・・わかる気もする
でもその言葉が・・もし招き猫さんに好きな人ができたら痛いですよね、
うちの息子もよく一生お母さんと暮らすと言っていました。
お母さんの面倒は僕が観る。
けれども・・わたしも多分彼があと5年もしてもっと大人になって現実的に好きな子ができたら変わると思う。
寂しいけどそれでいいと思う。
親は所詮 順番通りで行くなら子供より早く死ぬ。
だとしたら子供が共に生きる、大切思える相手を見つけて家族をまた作っていくことの方が
私もきっとうれしいから^^
おばあちゃんになった・・むーばーさん^^;といつか
そういえば;・・と今の話をできるほどのブロ友でありたいですと思います.o┐ペコリ
招き猫さんが幸せと感じるなら、それをキアヌくんも幸せと思うのではないかなぁ^^
「MASTERキートン」頃の浦沢作品が好きだな。
独居老人 予備軍ですなぁつ おれもだけどなぁ
でも お子さんがいれば そうなるとも限らないねぇ この先 健やかでありますように・・・