忘れてはならない日・・・
- カテゴリ:日記
- 2012/03/11 07:53:43
今日で1年たちますね
これ見ていやなこと思い出してしまうかもしれませんが
あえて書いておきます
あの日私は一人で家にいてテレビを見ていました
外は寒い日で風がすご~く強くて最初の揺れは風でかな?
なんて思っていた
そうしたら置いてある小物とかがカタカタ音を出して
揺れ始めた
家もギジギジ揺れ始めた
とうとう東海道地震きたと思った
あわてて外に逃げた
地面も揺れているのがわかった
とりあえず車の中に逃げた
車の中でも周りの家自分の家ギシギシ揺れている
ちょうど子供の下校時間だったので
どうなるんだろうとおもったけど
どうにか帰ってきたお兄ちゃんも6時間だけど急遽下校ということになり
しばらくして帰ってきた
うちのところは地盤が固いので有名なことなのに
こんなに揺れるなんてと思ってテレビ家に入って
みたら地震東北だっていう事にびっくり
携帯も繋がらないしうちのほうは停電は免れていましたが
私の実家は関東なのに停電・水道までだめでした
電気が来たのが夜中の3時ごろだったそうです
私はいつでも逃げられるように
車にバックとジャンパー人数分積んで置いておきましたよ
あの地震がおきた時にうちの旦那は原発やばいぞといっていたけど
このときはよくわからないかったけど
数日後にはこのことがよくわかることになった
次の日からいろいろ買い物みんな同じこと考えているから
カップめんとかお水とかすご~い買っていたね
私よりも先の人なんてカート4個分買っていた
すごいなぁとちょっと思った
あと電池がみんな買いまくりでなんでもいい~みたいなことになっていた
私100均でローソク買ったけど
計画停電はぎりぎり免れたので実家の母にあげました
このときの地震で当たり前の生活ができるということが
どれだけ大事なのかっていうことよくわかった気がします
まだまだ東北の方不便な生活送られている方がいるのを見ると悲しくなります
日本の政治家~なにトロトロしてるんだよ
お前らの給料減らしてでももっといろいろやってくれと日々思います
追伸 うちのおかん一人暮らしでこの地震の次の日
「ねぇ~停電だとテレビ見えないから情報欲しいから
ラジオ買っておこうと思うんだけど電池売ってないけど
買って置けばいつでも聞けるよね?」
と某電気量販店から携帯でかけてきた
もちろん止めてあげました
停電の時使えないからですw
このときほどこの人大丈夫か?と心配になりました
昨日、一日を過ぎ、少し落ち着いて触れられる気持ちになってきました。
大変な大参事、それが継続中であること・・・なんとも。
個人で出来る事の限界も、想い知らされますね。
でもパニック状態でしたが、太平洋側はもっと大変なんて言うもんでない状況はあとで報道で知りました。
今やれることってなんだろうと思うと、少しの募金くらいですね。(期間が延長されたようです)赤十字でももっと宣伝すればよいのにって思いました。
復興への足音は確実なんですが、一番心配は、原発の放射能ですね。
日本の政治は遅すぎます^^。
東北地方の方々にはとても辛い日の始まりでした。
本当に悲惨な光景・・・多くのいのちが失われた日です。
この日にこの世を卒業されていかれた方は、この日にこの世でのお役目を終えられました。
自身のすべてを後に残る人に託して・・・。
すべてを託された私たちはどう生きることが大切なのかを見つめることが必要なのでしょう。
仰る通りに、当たり前はありません。
当たり前は幸せなことですね。
私は東海地方に住んでいますが、他人ごとではありません。
東海南海地震が騒がれている今ですが、毎日に感謝しながら、今を精一杯に生きたいと思っています(*^。^*)