2012/03/11(日)美術館へ行ってきました
- カテゴリ:日記
- 2012/03/11 18:29:43
プリキュア、今回も面白かったですねー♪
今回は悉く、お約束に突っ込み入れるような演出なんですね(笑)
決め台詞中に攻撃受けたりとか。
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美術館への通り道、上野駅前の広場で募金活動がありました。
震災から一年、東北の漁業の団体らしかったです。
申し訳ないけど、ああいう場で募金するのは種々と抵抗があるので、そのまま通り過ぎました。
帰る時もまだ募金活動は続いていました。
まぁ、まだ午後二時くらいだったし。
因みに朝は十時半頃でした。
あれから一年。
未だに福島と行ったり来たりしてますが、表面上は自分が住んでいる辺りは、日常が戻ってきています。
きっと、僻地になればなる程、まだまだ支援は届いていないんだろうけど。
崖崩れだか起こしている団地の辺りが、復興の目途立ってないとか、復興するより移動して欲しいんだろうって話は聞いた事あります。
まだ、福島の職場にいた頃、一ヶ月経ってもガスきてないって家もありましたし。
あの寒い時期にガスが使えないって、お風呂とか料理全般無理って事で、気の毒に思ったものです。
自分はたまたまタイミング的に福島で仕事していて、そこを辞める算段が付いた時でした。
先が見えない、従業員をないがしろにしている経営状態に、このままこの会社にいたくないと思ったし、派遣元の会社とも縁切りたいと思っていたのです。
とりあえず、福島を離れないと駄目だと。
派遣元は、特に問題なければずっと自分をあの現場に置いておく心算だったし。
いずれ破綻するであろう(もう、ボロは見えていたけど)場所と心中する気はなかったし。
あの会社は体質を変えないと、生き残れないと思う。
もう、知ったこっちゃないけど。
辞めると意思表示してから震災に遭い、それから転職活動して現在に至る訳ですが、自分が出来る事は社会の歯車の一部になって、経済を廻す構成要員の一人になる事だと思います。
仕事して、生産と消費を繰り返す。
出来れば仙台で仕事探したかったけどね。
自分は自分に出来る事しかやれないし。
でも、何時かは仙台に戻りたいですね。