3/11
- カテゴリ:日記
- 2012/03/12 23:38:23
自分の震災時の気持ち・状態、地元県の話題や、宮城の友人達から仕入れた現状等ブログに書こうかと思ってもいたんですが…
自分の中でまだ整理されきっていない部分があるのと(一生できないかな)
「暖かい言葉と同時に、きっと心無い意見もまた沢山見てしまうのだろう。いつもなら流せることも、今日は無理かもしれない…」と0:00回るまでネットに向かう事は極力さけていました
案の定、うっかり「震災の話題ばかりでかったるい、うざったい」だの記事を見てしまい、げっそり
頭の中で思っている場合は自由だし罪はない
自分の正直な心中だから書き込んだ。も、いいだろう
但しこの場合本名、他略歴も添えるべきなのでは、とも思う
この手合いは一見似たように見えるが「普通の生活を楽しみ、明るい話題を求め、向上精神を持っていくことも立派な復興支援」とは、ま逆のものだと思うけど、これもまた勝手な意見かな…
やはり纏まりません…ぐるぐる…
お早うございます^^
訪問ありがとうございます
震災のことは、地元は大規模被災3県に比べると全然低い方なので気にするのも悪いとも思うのですが、自分でも気が付かない精神的な所でやられてしまっているようで、上記のような一寸したことでささくれだってしまうというか、過敏になってしまう現状です
強制的に花見を自粛するとかは止めて欲しい方なんですが(復興の為にも経済は回して欲しい)自分には関係ないと思っていても「声」に出すことはまだ控えて欲しいな、と…
去年3・11の 東日本大震災を思い出して 怖かったです。
私も 被災地に住んでいます。あの時のことを思い出すと パニックになりそうです。
「生きている自分と家族」を 尊い・・・と思いながら 日々を過ごしています。
辛くて怖くて泣きたくてー そんな気持ちの時に 励ましてくれた方々の事は今でも
感謝でいっっぱいです・・・。
トリ・ダさんの 言いたいこと伝わって来ましたよ。
震災を 忘れられる事が 一番怖いですね・・・。
こんにちは^^
お気遣い有難うございます
私の住居は被災したといっても他に比べると県の一部(それでも今までにないものでしたし、死者も出ましたが)で、軽い方ではありました
津波もギリギリこなかったので(となりの市までは来ました)生死の境目と言える程ではないとも思います
自身の恐怖は半年くらいしてからの方が自覚したように思います
>頭では整理できてても 心はまだ あちこち散乱してて 足元が危ないと思いますので
正にそんな感じです
自分はもう橋をかけて歩いているつもりだったのに、あれ?まだ川に流されてるじゃない?みたいな^^;
本当は上記のこともこの一年、散々見てきたんだから結構耐性ついてるかとも思っていたんですが、どうもまだまだだったようです
無理せず、けれどたゆまず(笑)やっていこうと思います
こんにちは^^
上記のような方は震災に限らず100人中1割合くらい必ずいるもので、一人で千人以上のキツさで攻撃してきます
別件で友人が言った言葉を思い出しました
「こういった人は悪い意味で想像力がない人。共感力は人によって差があるのは当たり前だけど(←特に男性は本能的に低め)「この状況は客観的に見てどういった内容か、こういったら他人はどう感じるだろう」という想像はできる。でもこういう人は自分以外の思考も行動も状況も想像できない」
その通りだと思います
私の父母は自分達の幼少時戦時中で、昔は私達姉妹に「今の若い人は贅沢、我慢が足りない、云々~」
<今の時代と同じですね^^;
しょっちゅう言い「そんな事言われても、その時代を知らないし…酷い内容だと解っている戦争なんか体験したくない」とウンザリしていました
正直、当時は一種の自慢をしているようにすら聞こえました
しかし「身内が亡くなったり、言えない辛さも沢山あったんだろう」とそれに対しては本人達には無言で返していました
後に父母は「今は今の時代がある」と言う様になりました
当時を語る口調も内容も「辛かった」とは言っても「今を責めるもの」ではなくなりました
時間の中で何かが動き、昇華したのだと思います
「かったるい、うざったい」方はいくら思っていても良いので、「声」に出すことはもう少し辛抱して欲しいものです
無理する必要は無いと思います・・ 本人の実体験や 肉親 知人 恋人など間接的に関わった人も
やはり 辛い日でしたから・・・
でも、言っていいことと悪いことはあると思います。
被災地に友人知人居ないのかな。あの日、連絡がとれなくて心配した相手はいないのかな。とか。自分の日常が失われたときに、そう言われても傷つかないのかな、とか。
それを当然のように、傷つくだろう相手の目に付くかもしれないところに書いてしまう人が存在することが。
心苦しい気分にさせられます。