「普通」は普通ではない
- カテゴリ:日記
- 2012/04/08 22:00:21
「あたりまえ」を疑う社会学
好井裕明
光文社新書
本書は社会学での調査において質的に調べるために
基本であり大切だと著者が考えた事を述べたもの。
「質的に」というのは、数字だけでは説明できない現実
を調べるために生きた答えを得ること。
「住みやすいですか」という質問に対して、5段階評価で
Aさんは4点とし、Bさんは2点とした場合、2人のデータ
を単純に比較することはできない。
なぜなら「住みやすさ」の基準がAさんとBさんで同じか
どうか分からないから。
このようなケースの場合、インタビューなどの人との対話
が必要になるのだが、その際、著者が大切にしている
ことを述べている。
社会学そのものに興味を持っていたわけではないが、
「あたりまえを疑う」
「”普通であること”に居直らない」
といった点が気になったので、この本を手に取った。
「普通」という言葉は、ついつい使ってしまうものではあるが、
よくよく考えてみると、この「普通」には特に定義があるわけでない。
厳密に言うなら「その他いろいろ」でしかない。
少人数の集団が、世間一般からは「A」というカテゴリーで
呼ばれていた、とすると「普通」というのは「A以外」の人々、
という事でしかない。
「A」は明確に定義されるが、「A以外」は「A」と線引きをして
いるだけで、特に定義されているわけではない。
しかも「A」というカテゴリーが適切かどうか、という問題もあったりする。
カテゴリー分けは便利で、強力だが一歩間違えると
「先入観」
「決め付け」
となってしまう。
なんでもかんでも疑うと疲れてしまうが、自分にとって大切
な事に関しては、基本的なところから疑ってかかった方が
いいかもしれない。
「すべて”努力”と”根性”論」
に還元する前に
「何が原因か」
を考えてくれる先生が多いことを祈ります。
運動は出来るのがあたりまえ、出来ないのは努力と根性が足りないせい、といっていつも落ちこぼれのレッテルを貼ってくる(怒)
「A以外」の中にどれほど多様なものがある事か・・・。
2分法は、物事を単純化して分かりやすくしますが、単純化しすぎて、
選択肢を狭めてしまう危険性がありますね。
もっとも知っていて使っている人も少なくなさそうですが・・・
>ルヒードさん
誰でも自分を基準に物事を考えてしまいますね。
特に「エリート」と呼ばれる人達に
「自分ができる事は、他の人も同じようにできる」
「世の中には自分と同程度、もしくは自分以上の能力の人しかいない」
と考える傾向があるような気がします。
最近、行政に関わる所で、そういう考えに染まった人達が出てきたような・・・。
しかし自分は大多数に居ると思ってしまう錯覚。
怖い怖い;;;
A=欧米、A以外=その他の世界。
そして、A>A以外、という図式で論陣を張るのね・・。