「帰りに豚コマ300g買ってきて。なければバラでもいいから。それから今日は寄り道しないで帰ってきてね。」

・・・なんだこれは。

むむ。おそらくこれはクライアントから送られた暗号に違いない。文体を第3者のように変えたり、ターゲットの容姿を動物に例えたり、命令をあたかも普通のメールのやり取りのように暗号化して送られることはよくあることだ。

豚コマ、これはおそらくターゲットは太った人物と思われる。300gというのは体重か？グラムをキロに変えたとしてはて、そんなにでかい人物だっただろうか？
寄り道をしないで帰ってきてね、これはおそらく速やかに射殺せよ、ということであろう。

私はこのメールの返事を最小限で表す2文字で返した。

「了解」ぽち。

さて、そろそろターゲットが狙撃ポイントに移動してくるころだ。再びスコープを覗くビルとビルの間の中庭のベンチに座って昼食を取るのがいつものスタイルであることは調べ済みだ。このポイントが大きく見えるように位置調整すると、一人のスーツ姿の男の背中をとらえた。

おかしい、さっきのメールにあった豚というキーワードでは表現が全く異なった体型だ。むしろやせ型といってもいいほどだ。
もしかすると暗号を読み違えたか？改めて確認しようともう一度2つ折りのケータイ電話を開いてみた、開いた瞬間に

ブルルルル・・・・

またも携帯にメールが届いたようだ。画面に封筒が上から下に残像を残しながらスクロールしているグラフィックが表示されている。

送信者はわからないが、どうやらさっきと同じ人物らしい。使い捨ての携帯なので、アドレス帳には何も登録していないから相手が誰なのか見た目に判断できない。どうせ仕事が終わればこの携帯は粉砕してしまうつもりだからメモリーには何もなくてもかまわないのだ。

メールのメッセージを確認する。

「あと、牛乳もついでにお願い。いつもの低脂肪のやつね。それから・・」

途中から読むことを放棄した。

どうやら、これはリアルな間違いメールではないか？俺としたことがクライアントからの暗号メールといち主婦からのメールと間違うとは。
無視して再びスコープを覗く。ターゲットが一人になったときが狙い目だ。死体発見までの時間を稼ぐのがその理由。
まだ部下らしき人物と会話をしている。

今回のターゲットはある大企業の買収にかかわる人物だ。見た目の年齢は30代半ばか後半くらい。実際の年齢より老けてみえる。
企業の買収を行うためには役員の賛同が
必要となるのだがこの人物の派閥がどうしても首を縦に振らないそうだ。この男さえいなければクライアントの思うままになるってことか。
しかし、どう見ても人の良さそうな雰囲気でそんなに偉そうに見えない。
そんなことは私にとってどうでもいいことだ。ただ、クライアントからの命令に従うのが今の私の仕事だ。

ターゲットが一人になるのを待っているとまたもや携帯が震えた。

ブルルルルル・・・・

またか。
クライアントからの連絡の可能性もあるので無視をすることもできない、携帯を開いてみる。
「ちょっと、さっきのメールはちゃんとみたの？返事くらいしなさいよ！」

よっぽど気が短い奥さんだ。これ以上メールのやり取りが続かない様に気を静めるような返事を返しておくか。
そうだな、この文面を見ると家庭内の序列が容易に想像できる。付き合ったころはおとなしかった彼女が妻へと名前が変わり、そして子供ができる頃には夫への愛情が子供へと移り、次第に家庭内の政権が交代してしまったのだろう。

こういうときは今では失いかけた愛のメッセージの一つでも送っておけばきっと昔の夫の威厳を思い出して落ち着いてくれるだろう。但し、お使いを忘れてこっぴどく叱られるだろうがそこは我慢してくれ。

「大丈夫だよ、君のことはすべてわかってる、愛してるよ」っと。ぽち。

短いがこれはおそらくかなり効果的だと思う。我ながらよくできた文章だ。
これでもう間違いメールに邪魔されずに仕事に集中できるわけだ。そろそろターゲットが一人になっているころだろう。
私は再びスコープを覗いたら、さっきまでの部下の姿はなく、ターゲットは一人になっていた。鞄から何かの箱を取り出しているようだが、これはいったい？

つづく。