既読と未読
- カテゴリ:日記
- 2012/05/04 23:38:02
読んでいない本について堂々と語る方法
ピエール・バイヤール
大浦康介 訳
本好きをイラつかせ、本嫌いが手を叩いて喜ぶ
ようなタイトル。
「何を!」という気持ちで、読み進めると、著者の
次のような問いにたじろぐ事になる。
「本を読んだ、とはどういう事を指すのか?」
「何度も繰り返し読んだ、という事が”読書”なのか?
ならば、流し読みした本は?、
人から話を聞いただけの本(特に古典など)は?」
「何度、読んでも意味を理解していなかったら?
繰り返し読んでも、時間の経過とともに内容を
忘れたら、読んでいないのと同じでは?」
著者が言うには「本を読んだ」という定義が
あいまいな以上、「完璧に読んだ」という状態は
ありえない。
つまり本について語る時、(”ある意味”という言葉が
付くが)誰もが読んでいない本について語っている
のだという。
ただ、だからと言って、本書は本嫌いにとっての
「福音書」
にもなりえない。
なぜなら、読んでいない本について語るにしても、
その本や著者が全体(自分の主観ではなく、社会
全体の共通認識)の中のどこに位置付けられるか、
という知識は必要だから。
本そのものに興味がなければならないのだ。
ズボラな本のタイトルに見えて、
「本を読む事とは?」
「批評する事とは?」
を論じる本となっている。
ちなみに「読んでいない本について堂々と語る方法」
自体は、この本の目次を見れば分かってしまう。
(あくまでざっくりとしたものでしかないが)
ただ、それが分かったとして、その方法で誰もがうまく
やれるかは、また別な話。
半分ハッタリでごまかせたとしても、それだけでは、
ただ口達者な人間。
結局のところ、語るべき事が自分自身の中になければ
ならないのだ。
その「語るべき事」を自分の中に積み重ねていく方法の
一つに「読書」(ただ読むだけでなく、自分なりに消化した
読書)があるのでは、と思う。
帯には「これでレポートや論文もこわくない」と書かれて
いるが、そんなにウマイ話はない。
(あとがきにもあるが)「本を読まずにすませる本」を
「読まずにすませる」人が出てきて、この本の存在自体
が危うくなってしまうからだ。
なお、一応、念押ししておくが、この感想は本書を(それも
2回)読んでから、書いている。
同じ本を読んでも、解釈は人それぞれですから、
「読み込んだ」という人ほど融通がきかなそうで、
コワイです。
>チェリなの★
「船を編む」は、タイトルと本屋大賞をとった、
という事くらいしか知りませんでした。
マニアックな・・・もとい面白そうな題材の
ようで気になります。
おもしろかったです^^
最初難しいかなと思いましたが
辞書作りりを愛する
言葉を大切にする気持ちが
すごかったです。
一書とは聖書とかコーランのこと。
つまり、一つだけでいいから、
自分の血肉になるほど読みこんだ本がある人がいれば、
そんな人は、コワイ存在になる・・。
読書も、ほどほどがいいのかもしれません(汗)。