悲しい自分に出会う日もある
- カテゴリ:人生
- 2012/05/05 01:59:18
他人を壊し、その生き血をすすって心がいやされる・・・
そんな極悪人で、「心の貧しい」自分がいる。
それがボクなのだ。
どうしようもなく愛に飢えているのだ。
愛に飢えている人間が・・・それを自覚せずに「外的」なものに依存し続けると・・・結果として「傷」を負うのだ。
今回のゲームがそうだった。
ボクはいつのまにか・・・「愛」をゲームに求めてしまっていた。
でも、ゲームはボクを映す「鏡」でしかなかった。
ゲームで育てたキャラが・・・おもむろにボクを映し出していた。
わがままで・・・不器用な自分・・・
一番活躍したキャラは何故か・・・自分そっくりだった。
そんな不思議さを感じた。
またゲームの主人公に憧れもした。
破壊の竜に・・・主人公は話す。
「あなたはわたし・・・だから一緒に天国へ行きましょう」
そう言って・・・破壊の竜に止めをさした。
言葉どおり自分も消えて行く。
破壊の竜の化身であった彼女は・・・自ら命を絶った。
世界平和のために・・・。
死は休息である。という聖書の言葉がある。
彼女はほんの少し休息し、夫と娘と、息子のいる場所へ帰ってきた。
どういう神のいたずらなのか、わからないが・・・。
主人公は再び生き返ったところで・・・物語は終焉する。
絆は消えない・・・。
製作者はそのことを伝えたかったのかもしれない。
最近、思うことは・・・製作者のレベルが上がっているということだ。
話がそれた。
ゲームに「愛」を求めたことに「後悔」したが・・・
ゲームを「鏡」として見れたことに「嬉しさ」を感じている。
何よりも22年前からの付き合いあるゲームに出会えたことに感謝している。
そう・・・ボクの「業」(ごう)は。
ボクのカルマは・・・それがどんなモノであれ、「愛」を求めてしまうところなのだろう。
過剰に期待してしまう。
このパソコンにも・・・。
人にも。
そしてその期待は崩れ去る。
そんな過剰の期待は「実現」するはずがないからだ。
それが「ボクのカルマ」なのかもしれない。
そうで無いかもしれない。
わからない。
ボクは傷を負ったのかもしれないし、負っていないのかもしれない。
ただ言えることは・・・無駄ではなかった。。。。
悲しさもあり・・・いとおしくもあった。
ボクはまた「愛に飢えた」
もう一人の自分と一緒に歩いて行く。
何を体験するのか、わくわくしながら
歩いて行く。
ボクの道はボクが選んでいいのだ。
愛はあなたの中にあり・・・。
ここにいて優しい人たちにブログコメントもらうと、嬉しかったり。
たまに、みなさんに求めてしまってる自分がいて、反省することも多いです。
リアルの世界を充実させて、現実を受け止めて夢も頑張る自分を、応援していきたいです。
答えも愛も自分の中にあり、そして、自分は自分の友達であり、理解者でありたいと
いつもリルルちゃんのブログを読むと気付かされるの。
弱い自分も、頑張り屋の自分も、元気な自分も、逃げちゃう自分も受け止めていき、成長してきたいです
いつもいつもありがとう(*^。^*)
小さな自分にも感謝したいと思いました
答えは自分自身の中に・・・
ですね
自分の道は自分で切り開かんとね。